余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
名前を知られた。
それは、思っていた以上に気味が悪かった。
。
その名は、ロード側では正式な名だ。
ダンジョン新聞にも載る。
管理音声もそう呼ぶ。
余もそう認識している。
だが、人間側はまだ知らなかった。
人間どもは、灰白庭だの、白箱迷宮だの、銀刻帰らずだの、勝手な通称で呼んでいた。
それでよかった。
正式な名を知られないことは、薄い壁になる。
名を知らぬ相手は、正確に呼べない。
正確に呼べない相手は、正確に縛れない。
だが、は呼んだ。
霧灰白庭迷宮、と。
闇市の奥から。
死んだ迷宮のを胸に埋めた人間が、余の名を呼んだ。
「管理音声」
《はい》
「名前を知られると、何が起きる」
《通常、人間側が迷宮の正式名称を知っても、即時の支配権侵害は発生しません》
「通常ではない場合は」
《名称を用いた契約、指名討伐、封印指定、取引指定、に利用される可能性があります》
「最後が嫌だな」
《はい》
フィルエがから出ていた。
まだ完全に万全ではない。
だが、さっきからずっと白い部屋の床を見ている。
床には、黒い破片の図が浮かんでいた。
。
黒市主から噛み取った、死んだ迷宮の欠片の構造記録。
物体そのものは持ち帰れていない。
だが、形は記録した。
それだけでも、嫌な気配がする。
「ロード」
「何だ」
「あれ、ただの欠片じゃない」
「分かるのか」
「うん。死んでるけど、空っぽじゃない」
「どういう意味だ」
「死んだ迷宮の癖が残ってる。命令じゃなくて、癖。ずっと同じことをしてた場所の、腐った反射みたいなもの」
フィルエは少し眉を寄せた。
「あれを体に埋める人間、普通じゃない」
「黒市主が普通でないことは見れば分かる」
「違う。強いとか、悪いとかじゃなくて……自分の中に、死んだ迷宮の癖を入れてる」
「癖を入れるとどうなる」
「たぶん、人間のまま、迷宮みたいなことが少しできる」
白い部屋が静かになった。
人間のまま、迷宮みたいなことができる。
最悪に近い言葉だった。
迷宮は、領域で戦う。
罠で戦う。
帰路を奪い、欲を誘い、魔物を動かす。
人間は、身体で戦う。
剣で戦う。
魔法で戦う。
その境目があるから、こちらは人間を喰える。
だが、黒市主は、その境目を汚している。
死んだ迷宮を着て、人間のまま、迷宮のようにこちらを見ている。
「管理音声。は」
《形成準備中》
「急げ」
《ソウル消費:1,200》
「許可」
《現在保有ソウル:26,390》
白い部屋の奥、コア区画から少し離れた場所に、新しい小部屋が作られていく。
白磁でもない。
灰霧でもない。
泥でもない。
壁は厚い黒灰色。
戻り水を通さず、影糸も直接つながない。
白磁根で外側を囲み、その外をさらに泥で封じる。
中には、何も置かない。
ただ、中央に小さな台座。
その上に、死迷宮核片小片の構造記録を封じるための黒い器を置く。
《死核隔離室、形成完了》
《隔離対象:死迷宮核片小片の構造記録》
《接続深度:最浅》
《警告:観測時、迷宮側への汚染反応に注意してください》
「観測しなければ、何も分からぬ」
《はい》
「観測する」
黒い器の中に、死迷宮核片小片の構造が映し出された。
小さな黒い破片。
だが、その中は空洞だった。
空洞の奥に、さらに細い通路がある。
通路の奥に、古い鐘のような形。
その周りに、腐った命令がこびりついている。
進め。
鳴れ。
戻るな。
沈め。
捧げろ。
誰の声でもない。
ロードの意思でもない。
だが、迷宮だったものの習性が、まだそこに残っていた。
「これは、どこの迷宮だ」
《一致情報なし》
「か?」
《記事にあったSSランク迷宮とは反応が異なります》
「では、別の死んだ迷宮か」
《その可能性が高いです》
フィルエが静かに言った。
「たぶん、黒市主は一つだけじゃない」
「複数埋めているか」
「うん。胸にあったのは中心だけ。腕や首にもあった。死んだ迷宮を、部品にしてる」
「……気分が悪いな」
「私も」
その時、黒い器の中で、死迷宮核片が震えた。
誰も触れていない。
観測しているだけだ。
なのに、破片の中の古い鐘が、小さく鳴った。
ごん。
白い部屋まで届くはずのない音が、余の中に響いた。
《警告》
「何だ」
《死核隔離室内で、外部応答》
「外部?」
黒い器の中に、文字が浮かんだ。
迷宮文字ではない。
人間の文字でもない。
だが、読めた。
読めてしまった。
⸻
霧灰白庭迷宮
買値未定
生体迷宮器官あり
宝物庫機能確認
帰路捕食反応あり
契約存在、推定複数
⸻
余は、白い部屋の床を叩きたくなった。
「値札を付けられている」
《外部闇市側の索引反応と推定》
「余の迷宮にか」
《はい》
「買値未定だと?」
《はい》
「ふざけるな」
声が低くなった。
自分でも分かるくらい、低くなった。
フィルエがこちらを見た。
「ロード」
「余の迷宮に値札を付けたぞ、あの人間」
「怒っていい」
「怒っている」
黒い器の中で、さらに文字が増える。
⸻
出品候補:
白箱系器官
灰霧採取物生成部
帰路捕食個体の痕跡
命脈契約線
古血反応、不確定
⸻
余の思考が止まった。
古血反応。
不確定。
不確定だが、見られかけている。
ヴェルグレイヴ。
。
あれを知られるのはまずい。
絶対にまずい。
「管理音声」
《はい》
「夜棺白庭の遮断を最大」
《すでに高水準です》
「最大だと言っている」
《追加遮断にはソウル消費が発生します》
「いくらだ」
《2,400》
「許可」
《現在保有ソウル:23,990》
《夜棺白庭、秘匿強度上昇》
白い部屋の奥で、夜棺白庭へ続く通路がさらに沈む。
白磁根が重なり、影糸が外周を覆い、戻り水が内側循環だけに切り替わる。
古血のヴァンパイア、ヴェルグレイヴの棺は静かなままだ。
だが、ほんの一瞬。
白磁の棺の蓋が、内側からこつりと鳴った。
余は固まった。
「起きたか」
《ヴェルグレイヴ、状態:睡眠》
「今、鳴ったぞ」
《睡眠中の微反応です》
フィルエが小さく言う。
「外が、あれの匂いを嗅いだから」
「起こすな」
「うん」
「絶対に起こすな」
「分かってる」
黒い器の中の文字は、さらに増えようとしている。
死迷宮核片を通じて、闇市の何かが、こちらを索引している。
余の迷宮に値札を付け、売れる部品を探している。
宝物庫。
採取物生成部。
帰路喰らい。
命脈契約線。
古血反応。
どれも売るものではない。
どれも余のものだ。
「この索引、切れるか」
《可能ですが、切断すると黒市主側に遮断反応が通知されます》
「もう気づかれているだろう」
《はい》
「なら切れ」
フィルエが止めた。
「待って」
「なぜだ」
「切る前に、逆に書き込める」
「何を」
「値札を、嘘で塗れる」
余はフィルエを見た。
フィルエの目が、少し光っている。
「黒市主は、迷宮を商品として見てる。なら、商品情報を汚せばいい」
「具体的には」
「危険すぎる。すぐ腐る。持ち出すと爆ぜる。買い手を喰う。そういう情報を混ぜる」
なるほど。
闇市は、価値を見る。
なら、価値を下げる情報を混ぜる。
ただし、完全に価値がないと思わせてはいけない。
価値がありすぎると群がる。
危険すぎると上位の買い手が来る。
なら、扱いにくい商品に見せる。
高いが面倒。
欲しいが危険。
買い手を選ぶ。
そういう品にする。
「やれ」
フィルエが床に手をついた。
森灰観測網が、死核隔離室へ細く伸びる。
死迷宮核片の構造に直接触れないよう、灰を挟んで、情報の表面だけを撫でる。
「森灰術・値札汚し(ねふだよごし)」
黒い器の中の文字が揺れた。
その上に、新しい文字が重なる。
⸻
注意:
霧灰白庭迷宮の器官は高汚染
持ち出し後、自律捕食の危険あり
帰路捕食反応、所有者にも作用する可能性あり
命脈契約線、逆流危険
古血反応、不確定につき取引非推奨
⸻
「良い」
《外部索引に偽装警告を書き込みました》
「もっと嫌な文言を入れろ。買った者の倉庫が迷宮化する可能性あり、とか」
《事実ではありません》
「事実でなくてよい。闇市の連中が嫌がればよい」
フィルエが少し笑った。
「じゃあ、こう」
文字が追加される。
⸻
追記:
保管場所が霧化する事例あり
所有者の帰路認識を侵食する恐れあり
開封者が迷宮へ再誘導される危険あり
⸻
「最高だ」
《悪質です》
「相手が先に余へ値札を付けたのだ」
死迷宮核片が震える。
向こうがこちらの書き込みに気づいた。
黒い器の中で、鐘の音が強くなる。
ごん。
ごん。
ごん。
《外部索引側から反発》
「切れ」
《切断します》
黒い器に白磁の蓋が降りた。
影糸が巻きつく。
泥が外側を固める。
死核隔離室の扉が閉じる。
鐘の音は、そこで途切れた。
白い部屋に、静けさが戻る。
だが、余の中の怒りは戻らない。
「黒市主」
余はその名を呟いた。
「余を商品にする気か」
《敵対意思が高いと推定されます》
「なら敵だ」
《はい》
「だが、ただ殺すだけでは足りぬ」
フィルエがこちらを見る。
「どうするの」
「闇市に、余の偽商品を流す」
「偽商品?」
「霧灰白庭迷宮の器官に見えるが、実際は墓銭札の塊。買った者を追い、倉庫を記録し、持ち主の帰路感覚を少しずつ狂わせる宝だ」
フィルエは目を細めた。
「それ、闇市を迷宮の外部通路にする気?」
「そうだ」
闇市は、迷宮の外にある。
だが、そこに余の宝が流れれば、線ができる。
欲の線。
取引の線。
所有の線。
人間が宝を運び、売り、買い、隠すたび、余はその線を見る。
完全な支配ではない。
だが、迷宮の外に、細い外部通路を作ることはできるかもしれない。
「管理音声」
《はい》
「新しい報酬品を設計する」
《用途は》
「闇市汚染用」
《危険な用途です》
「名前は」
少し考えた。
闇市で売られる白い札。
買った者に帰り道の違和感を植えるもの。
「」
《迷子札、仮登録》
⸻
外観:
白銀磁片に似た薄い札。灰霧の縁取りあり。
表向きの価値:
帰路確認用の迷宮産護符。
低級帰還魔具の補助素材として利用可能に見える。
実際の効果:
所有者の帰路認識を微細に記録。
一定期間後、所有者が通った道、隠し場所、取引相手を迷宮側へ断片送信。
長期保有時、軽度の方向感覚異常を付与。
危険:
聖職者、専門鑑定士に発見される可能性あり。
推定生成コスト:1枚あたり80ソウル
⸻
「安いな」
《効果が軽度のためです》
「100枚作れ」
《ソウル消費:8,000》
「……高いな」
《数量が多いためです》
「では20枚」
《ソウル消費:1,600》
「許可」
《現在保有ソウル:22,390》
《迷子札、20枚生成》
白い部屋の奥で、小さな札が生まれた。
白銀磁片に似ている。
だが、よく見ると縁に灰色の霧が巡っている。
綺麗だ。
安っぽくはない。
闇市で売れる程度には価値がありそうだ。
「これをどう流す」
《墓銭拾い経由、または浅層報酬に混入可能》
「墓銭拾いだな。あいつらは闇市へ流す」
《墓銭札反応は弱化中です》
「では、墓銭拾いがまた来た時に持たせる」
フィルエが言う。
「来ると思う?」
「来る」
「どうして」
「黒市主は、余の名を知った。こちらに値札を付けた。あの手の者は、一度見た商品を諦めない」
「うん。たぶん来る」
「なら、次はただ盗ませない」
余は迷子札を見下ろした。
「盗んだつもりで、道を置いていけ」
その時、死核隔離室の方で、また小さな音がした。
今度は鐘ではない。
爪で、黒い器の内側を引っかくような音。
かり。
かり。
フィルエの顔色が変わる。
「ロード」
「何だ」
「死核、まだ何か残ってる」
「切断したはずだ」
「うん。でも、こっちに残った構造記録の中に……声がある」
「声?」
死核隔離室の表示が、勝手に開く。
黒い器の上に、一行だけ文字が浮かんだ。
⸻
たすけて
⸻
余は、黙った。
フィルエも、黙った。
管理音声も、しばらく何も言わなかった。
死んだ迷宮の欠片。
売られ、埋め込まれ、使われていた核片。
その奥に、まだ声が残っている。
ロードなのか。
眷属なのか。
迷宮そのものの残響なのか。
分からない。
だが、確かにそこには、助けを求める文字があった。
「……管理音声」
《はい》
「死核隔離室の封を、さらに一段強くしろ」
《承知しました》
「ただし、消すな」
《理由は》
「まだ、使い道がある」
フィルエが静かに言った。
「それだけ?」
余は、すぐには答えなかった。
しばらくして、言った。
「それだけではない」
死んだ迷宮の声。
助けて、と書いた何か。
黒市主の胸に埋められていた欠片。
余は、それを見捨てるほど冷たくはない。
いや、違う。
見捨てれば、黒市主に近づく手がかりを失う。
だから残す。
そういうことにしておく。
「黒市主は、死んだ迷宮を売り物にした」
余は言った。
「なら、余はその死骸から話を聞く」
白い部屋の奥で、死核隔離室がさらに閉じる。
だが、黒い器の中の文字は、消えなかった。
⸻
たすけて
⸻
それは、新しい宝よりも、ずっと重いものに見えた。