余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
グズと、魔神ゴブリン・ガルザヴェインが向かい合った。
中層の喉。
そこは、もはや通路ではなかった。
泥の門が幾重にも立ち、戻り水が床下を流れ、白磁片を含んだ灰色の泥が壁まで濡らしている。
その奥で、グズが立っていた。
巨大な泥の体。
門柱のような腕。
背に浮かぶ門扉。
手には、泥と白磁片でできた大門槌。
迷宮の入口を守っていた小さなゴブリンは、もういない。
そこにいるのは、軍勢を塞ぐ泥の大門だった。
その正面に、ガルザヴェインが立つ。
未成熟の魔神。
灰緑の肌。
金色の目。
腰に吊るした銅鐘。
背から流れる黒い魔力。
周囲には、彼に引き上げられたゴブリンたちがいる。
金眼の上位ゴブリン。
黒い筋の走るオーク。
巨大な狼型魔物。
甲殻の割れた大虫。
数は減った。
だが、弱いものから死んだせいで、残った群れは濃くなっていた。
「ゴブリン」
ガルザヴェインが言った。
まだ不器用な言葉。
だが、その声には、明確な興味があった。
「ツヨイ、ゴブリン」
グズが低く唸る。
「グ……ズ……」
会話ではない。
だが、互いに通じていた。
同族。
しかし、まったく違う道を通ったもの。
ガルザヴェインは、外の魔物を従え、力で群れを引き上げる魔神の卵。
グズは、迷宮に拾われ、泥を与えられ、門を守り、何度も死線を越えて進化した配下。
どちらもゴブリンだった。
だが、どちらも、もう普通のゴブリンではなかった。
「グズ」
余は白い部屋から命じた。
「止めろ。勝たなくていい。殺さなくていい。だが、今は止めろ」
「グズ!」
グズが大門槌を構える。
ガルザヴェインが笑った。
そして、銅鐘を鳴らした。
ごん。
周囲の強化ゴブリンたちが、一斉に前へ出る。
まるで、魔神の前座だ。
金眼のゴブリンが泥門へ飛びかかる。
黒いオークが棍棒を振り下ろす。
巨大狼が横へ回り込む。
大虫が天井から門を越えようとする。
「周囲から削りに来たか」
《ガルザヴェインはグズ本体との正面衝突前に、周辺門の構造を確認している可能性があります》
「学ぶな!」
余は叫び、すぐに指示を飛ばす。
「グズ、小門を閉じろ。カゲヌイ、横へ回る狼の影を縫え。湿骨軍列、門の足元を支えろ。ハイハネ、天井の虫どもを落とせ!」
迷宮が動いた。
グズの周囲に、十数枚の小型泥門がせり上がる。
横へ回り込んだ巨大狼の影に、影軍縫い(かげいくさぬい)カゲヌイの針が落ちる。
が泥の下から骨槍を突き出し、門の基礎を補強する。
ハイハネが霧を上へ流し、天井の大虫の羽と脚に追跡粉をまとわせる。
大虫が滑った。
落ちる。
その下で、湿骨軍列の骨槍が待っている。
突き刺さる。
暴れる。
さらに後続の虫が落ちて重なる。
《強化虫型魔物群、落下処理》
《獲得ソウル:214,000》
数字が入る。
だが、もう驚く暇はない。
ガルザヴェインが、初めて自分で動いた。
一歩。
その一歩で、泥が跳ねた。
二歩。
戻り水が押し返された。
三歩。
グズの泥門の正面へ、魔神ゴブリンが立つ。
「グズ!」
泥塞大門将グズが大門槌を振り下ろす。
ガルザヴェインは、避けなかった。
片腕を上げる。
泥と白磁片でできた巨大な槌を、素手で受けた。
衝撃。
中層の喉が揺れる。
白磁壁にひびが走り、灰霧が波打つ。
ガルザヴェインの足が泥へ沈む。
だが、彼は倒れない。
むしろ、笑った。
「オモイ」
ガルザヴェインの腕に黒い魔力が走る。
そのまま、大門槌を握る。
握り潰そうとする。
グズが唸る。
「グ、ズ、ズ……!」
泥が大門槌へ流れ込み、砕かれた部分をすぐに修復する。
力比べ。
泥の門将と、未成熟の魔神。
ガルザヴェインが一歩押す。
グズが押し返す。
門槌と腕の間で、泥と黒い魔力が弾ける。
《泥塞大門将グズ、負荷上昇》
《ガルザヴェイン、筋力および魔力圧、想定以上》
「耐えろ!」
余は叫んだ。
「ここは余の迷宮だ! 泥で負けるな!」
グズの背の門扉が開く。
そこから、さらに泥が流れ込む。
白磁庭園を喰った白。
戻り水の湿り。
灰霧の重さ。
それらが混ざった泥が、グズの腕を太くする。
大門槌が、さらに重くなる。
ガルザヴェインの腕がわずかに下がった。
初めて、押された。
金色の目が細くなる。
「イイ」
ガルザヴェインは笑った。
「モット」
次の瞬間、ガルザヴェインは額で大門槌にぶつかった。
鈍い音。
泥が弾ける。
同時に、左拳がグズの胴へ突き刺さる。
泥が爆ぜた。
グズの体が大きく揺れる。
《泥塞大門将グズ、胴部損傷》
「グズ!」
だが、グズは崩れない。
泥は壊れるためにある。
壊れて、また固まるためにある。
グズの胴の穴に戻り水が流れ込み、白磁片が骨のように並び、泥がそれを包む。
再生。
遅いが、止まらない。
「グ……ズ……!」
グズの大門槌が横へ払われる。
ガルザヴェインの脇腹へ直撃。
魔神ゴブリンの体が、初めて横へ滑った。
周囲の強化ゴブリンたちがざわめく。
いや、怯えた。
自分たちの中心が、押されたからだ。
その揺らぎを、迷宮は逃さない。
「今だ。周囲のゴブリンを殺せ」
《各部隊、実行》
湿骨軍列が槍を並べる。
影軍縫いカゲヌイが、強化ゴブリン群の影をまとめて縫う。
ハイハネが灰霧を流し、目と鼻を塞ぐ。
軍帰路喰らいの落武者が、逃げようとした群れの退路を斬る。
強化ゴブリンたちは、通常のゴブリンより強い。
速い。
爪も牙も鋭い。
だが、群れとしての経験は浅い。
急激に引き上げられた力に、まだ体も判断も追いついていない。
そこを罠で崩す。
骨槍が刺さる。
影が縫われる。
泥へ落ちる。
霧で互いを見失う。
そして死ぬ。
《強化ゴブリン群、大量死亡》
《死亡推定:4,800体》
《獲得ソウル:432,000》
「よし」
余は短く言った。
ガルザヴェインが振り返る。
自分の周囲のゴブリンが死んでいく。
その光景を見て、怒ったのか。
悲しんだのか。
違う。
彼は、学んでいた。
「ムレ……ヨワイ」
そう言った。
群れは弱い。
迷宮の中では、ただ強くしただけの群れでは足りない。
それを、今、理解した。
ガルザヴェインが銅鐘を握る。
ごん。
強化ゴブリンたちの動きが変わった。
密集しなくなる。
小さな群れに分かれる。
影軍縫いの影を避け、泥門へまとまって突っ込むのをやめる。
湿骨軍列へ正面から行かず、壁と天井を使い始める。
「また対応した」
フィルエの声が重い。
「早い」
「なら、さらに変える」
余は宝物庫中枢補助核へ意識を向けた。
「正式宝箱を壊していいと言ったな」
《はい》
「なら、爆ぜる箱を並べろ。報酬品ではなく、軍勢用だ」
《宝物庫戦闘転用を実行》
中層の喉の奥に、白い箱がいくつも浮かび上がる。
正式宝箱。
ただし、中身は宝ではない。
灰霧。
白磁片。
戻り水圧。
そして、偽価値反応。
魔物に価値など分からない。
だが、ガルザヴェインの周囲にいる一部の上位個体は、強い魔力反応に引かれる。
箱が光る。
強化ゴブリンや上位オークが、それに一瞬だけ目を向ける。
そこへ箱が開いた。
爆ぜる。
白磁片が散る。
戻り水が吹き上がる。
灰霧が喉へ詰め込まれる。
小型の群れがまとめて吹き飛び、泥へ落ちる。
《宝箱爆裂罠、発動》
《獲得ソウル:268,000》
《正式宝箱群、損耗》
「構わん。後で作り直す」
今は宝より命だ。
いや、命よりソウルだ。
余の命はコアにある。
迷宮が生き残れば、宝箱などまた置ける。
◇
ガルザヴェインは、ついに泥門へ両手をかけた。
グズが押す。
ガルザヴェインが押す。
力が拮抗する。
いや、少しずつ、ガルザヴェインが押している。
グズは迷宮の泥を背負っている。
だが、ガルザヴェインは魔神性を膨らませながら成長している。
戦えば戦うほど、力が増している。
危険だ。
このまま正面で押し合えば、グズが折れる。
「グズ、下がるな。だが、正面だけで受けるな」
《指示内容を具体化してください》
「門を開けろ」
《開けるのですか》
「少しだけだ」
フィルエがすぐに理解した。
「挟むんだね」
「ああ」
グズの泥門が、わずかに開いた。
ガルザヴェインの力が前へ流れる。
魔神ゴブリンの体が、半歩、門の内側へ入った。
その瞬間、左右の小型泥門が一斉に閉じる。
足元から戻り水。
背後から湿骨軍列。
上からハイハネの灰霧。
横からカゲヌイの影針。
正面からグズの大門槌。
閉じ込める。
押し潰す。
ガルザヴェインが初めて、完全に罠の中へ入った。
《魔神ゴブリン、泥門挟撃範囲内》
「潰せ!」
グズが咆える。
「グズアアアアア!」
大門槌が振り下ろされる。
戻り水が足を絡める。
湿骨軍列が骨槍を突き出す。
影軍縫いが影を縫う。
灰霧追導蛾ハイハネが視界を潰す。
魔神ゴブリンが、泥門の中で押し潰される。
普通なら、死ぬ。
どれほど強い魔物でも、この瞬間だけは死に近づく。
だが、ガルザヴェインは、笑った。
「コレ」
泥の中で、金色の目が光る。
「タノシイ」
黒い魔力が、爆発した。
泥門が弾ける。
骨槍が砕ける。
影針が裂ける。
灰霧が吹き飛ぶ。
グズの大門槌が半分消し飛んだ。
《泥塞大門将グズ、中度損傷》
《湿骨軍列、損耗》
《カゲヌイ、影針損耗》
《ハイハネ、霧層乱れ》
「化け物め」
余は笑った。
怖い。
強い。
理不尽だ。
だが、楽しいと言った。
ガルザヴェインは、今の罠を楽しいと言った。
その言葉の意味を、余は理解し始めていた。
こいつは、死を恐れていない。
群れを失うことも恐れていない。
強いものとぶつかることを求めている。
ならば、まだ殺さない。
まだ奥へ来させる。
「グズ、退け」
「グズ……!」
「十分だ。お前は止めた。削った。門としての役目は果たした」
グズは、少しだけ不満そうに泥を鳴らした。
だが、下がった。
泥門が崩れる。
その奥に、さらに深い道が開く。
白磁偽財殿へ続く道。
折剣濁白騎士が待つ場所。
宝物庫の守護者が、剣を構える場所。
ガルザヴェインは、門の奥を見た。
金色の目が、また細くなる。
「ツギ」
彼は、そう言った。
余は白い部屋で答えた。
「そうだ。次だ」
中層の喉に、戦果が表示される。
⸻
中層泥門戦追加戦果:
強化ゴブリン群処理:432,000
宝箱爆裂罠:268,000
泥門挟撃周辺圧死:391,000
上位オーク・黒狼処理:224,000
追加獲得ソウル合計:1,315,000
現在保有ソウル:4,124,530
損耗:
泥塞大門将グズ、中度損傷
湿骨軍列、一部損耗
影軍縫いカゲヌイ、影針損耗
灰霧追導蛾ハイハネ、霧層乱れ
正式宝箱群、多数破損
⸻
4,124,530。
数字は膨れ上がっている。
だが、戦いはまだ続いている。
十万の軍勢は大きく削れた。
それでも、ガルザヴェインと、その周囲の精鋭はまだ残っている。
そして今、魔神ゴブリンはさらに奥へ進む。
白磁偽財殿へ。
折剣濁白騎士のもとへ。
「来い、ガルザヴェイン」
余は静かに言った。
「余の迷宮には、まだ強いものがいる」
白磁偽財殿の奥で、折剣濁白騎士が剣を鳴らした。
灰白の霧の中、魔神ゴブリンが笑った。