余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
は、迷宮の中にある異物だった。
白磁でもない。
灰霧でもない。
戻り水でもない。
泥でもない。
そこにあるのは、から奪った、死んだ迷宮の残り香。
。
かつて、何かを閉じ込めるために存在していた高位迷宮の残響。
黒い門。
骨の檻。
錆びた鎖。
消えた囚人の気配。
そして、何度も何度も繰り返された命令の残り。
閉じろ。
逃がすな。
戻すな。
閉じ込めろ。
余はそれを完全には繋いでいない。
隔離している。
利用するにしても、まだ表面だけだ。
だが、今は戦争中だった。
使えるものは使う。
危険でも使う。
十万の魔物を相手にして、綺麗な運営などしていられない。
「骸門残響隔離層、外周だけ開け」
《危険です》
「分かっている」
《骸門牢獄の残響汚染が拡大する可能性があります》
「外周だけだ。中心は開けるな。骸門そのものを起こすな」
《外周檻反応、限定開放》
白い部屋の壁面に、黒い区画が浮かぶ。
骸門残響隔離層の外周。
そこに、細い檻の線が走り始めた。
黒い骨のような柱が、灰色の床から生える。
天井から、錆びた鎖の幻影が垂れる。
壁には、無数の小さな門の影。
そこへ、ガルザヴェインが踏み込んだ。
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。
で傷を負い、グズとぶつかり、霧と泥と骨と宝物庫を越えてきた怪物。
体には無数の傷。
胸の裂傷はまだ黒い血を流している。
片目には白磁花粉の濁り。
腕にはの斬撃痕。
それでも、その金色の目は死んでいない。
むしろ、奥へ進むほど強くなっている。
「クロイ」
ガルザヴェインが言った。
骸門残響隔離層の黒い檻を見て、笑う。
「シンダ、ニオイ」
「分かるのか」
余は白い部屋で呟いた。
フィルエが答える。
「分かると思う。あれ、魔物だけど、成長途中だから感覚が鋭すぎる。死んだ迷宮の匂いも、強いものとして見てる」
「なら、閉じ込められるか」
「閉じ込めるだけなら少し。でも、長くは無理」
「理由は」
「閉じ込められるほど、暴れると思う」
だろうな。
あれは逃げたいのではない。
奥へ行きたいのだ。
閉じ込めれば、檻を敵と見る。
敵と見れば、壊す。
なら、壊される前提で使う。
「骸門外周檻を三重。逃げ道ではなく、進路を区切れ」
《骸門外周檻、三重展開》
「カゲヌイ、檻の影を縫え。軍帰路喰らい、後退路を喰え。湿骨軍列、檻の隙間へ槍を出せ。ハイハネ、黒い霧に灰霧を混ぜろ」
《各配下、展開》
骸門の外周で、檻が閉じる。
一重。
二重。
三重。
ガルザヴェインの周囲に、黒い檻が立ち上がった。
その後ろから、残った精鋭魔物たちが雪崩れ込む。
だが、檻は軍勢を通さない。
ガルザヴェイン本人は通す。
周囲の魔物は区切る。
黒いオークが檻にぶつかる。
金眼の狼が隙間を探す。
強化ゴブリンが黒い骨柱を登ろうとする。
そこへ、影軍縫いカゲヌイの針が落ちる。
檻の影ごと、魔物の群れの影を縫う。
逃げようとした魔物は、軍帰路喰らいの落武者に退路を斬られる。
戻ろうとしても、戻る道が分からない。
前へ進もうとしても、黒い檻がある。
止まれば、湿骨軍列の槍が来る。
ハイハネの灰霧が、黒い骸門の霧へ混ざり、魔物の目を濁らせる。
檻の中で、魔物が詰まった。
叫ぶ。
暴れる。
潰れる。
刺される。
影に縫われる。
戻れず、進めず、黒い檻の中で死んでいく。
《骸門外周檻、精鋭魔物群を分断》
《死亡推定:九千六百体》
《獲得ソウル:1,728,000》
ソウルが流れ込む。
だが、骸門残響隔離層も震えている。
《骸門残響隔離層、汚染反応上昇》
《隔離層外周、黒檻の自律拡大傾向》
「広がるな。外周だけだと言っただろうが」
《骸門牢獄残響が、戦場死によって活性化しています》
「死体を喰って目を覚ます気か」
黒市主が死んだ時に奪った残響。
それが、今の大量死に反応している。
当然だ。
牢獄は、囚人がいてこそ牢獄になる。
骸門牢獄は、閉じ込める対象を得て、少しずつ形を取り戻そうとしている。
「」
余は残響核隔離室へ意識を向けた。
「骸門の音を抑えられるか」
黒い器の中で、小さな鐘が震えた。
⸻
こわい
でも
ならす
⸻
ごん。
小さな音が、残響音響室へ送られる。
マネがその音を真似る。
「ゴォン」
まだ少し違う。
だが、前よりずっと近い。
残響音響室の壁が鳴り、音が骸門外周へ流れる。
骸門の黒い檻が、ほんの少しだけ軋んだ。
暴走しかけた自律拡大が鈍る。
フィルエが森灰観測網を重ねる。
「森灰術・鳴り止め(なりどめ)」
灰色の線が、骸門の黒い音へ絡む。
音を消すのではない。
響く先をずらす。
檻が迷宮全体へ広がろうとする道を、外周内へ折り返す。
《骸門残響の自律拡大、一時抑制》
「よし」
フィルエが息を吐く。
「長くは持たない」
「分かっている」
「ガルザヴェイン、来るよ」
その声と同時に、黒い檻が揺れた。
◇
ガルザヴェインは、檻の中で立っていた。
三重の骸門外周檻。
普通の魔物なら、それだけで動けなくなる。
強化オークでも、上位狼でも、黒い骨柱に触れれば力を吸われ、戻り道を奪われ、槍で処理される。
だが、ガルザヴェインは違った。
彼は黒い檻を見た。
触れた。
握った。
骨柱が黒い魔力を吸おうとする。
だが、ガルザヴェインの魔力の方が、逆に骨柱を汚していく。
「オリ」
彼は言った。
「ジャマ」
拳が檻へ叩き込まれた。
黒い骨柱が砕ける。
骸門の檻が悲鳴のように鳴る。
ごぉん。
その音に、小鐘泥廟が怯える。
⸻
こわい
⸻
「耐えろ。今は見る」
ガルザヴェインは二本目の骨柱を折る。
三本目を引き抜く。
鎖の幻影が彼の腕へ絡むが、黒い魔力で引きちぎる。
骸門牢獄の残響は、閉じ込める迷宮の力だ。
だが、ガルザヴェインは閉じ込められることを敵と認識した瞬間、その力へ真っ向からぶつかっている。
力任せ。
単純。
だが、強い。
「檻が持たない」
《第一外周檻、破損率六十パーセント》
《第二外周檻、圧力上昇》
「第二で止めるな。壊させろ」
《よろしいのですか》
「壊す時の動きを見る。あれが檻をどう破るか記録しろ」
白骨書記が骨筆を走らせる。
⸻
魔神ゴブリン:
檻に対し、拳・握力・魔力汚染で突破。
閉鎖術式に対して恐怖反応なし。
妨害物を敵として認識。
破壊時、魔力圧が上昇。
⸻
「よい記録だ」
その間にも、ガルザヴェインは檻を壊していく。
一重目が砕けた。
二重目へ入る。
そこには、骸門の黒い床がある。
踏むと、足元から檻が生える。
ガルザヴェインの足首へ絡む。
さらに、影軍縫いカゲヌイの針が影へ刺さる。
軍帰路喰らいの落武者が、檻の外へ出ようとする道を斬る。
湿骨軍列が、檻の隙間から骨槍を突き出す。
ガルザヴェインの体に、槍が刺さる。
一本。
二本。
十本。
黒い血が流れる。
ガルザヴェインは、痛みを受けながら笑った。
「イタイ」
骨槍をまとめて掴み、へし折る。
影針を、足を引き裂くようにして引き抜く。
足首に深い傷が走る。
だが、止まらない。
「モット」
彼は、二重目の檻を肩で押した。
檻が歪む。
黒い骨柱が軋む。
そこへ、ハイハネが霧を集中させた。
灰霧追導蛾となったハイハネの羽が震える。
ふぁさ。
骸門の黒い霧に、灰白の粉が混じる。
ガルザヴェインの濁った片目が、さらに白く曇る。
視界が落ちる。
だが、彼は目に頼らなかった。
銅鐘を鳴らす。
ごん。
音で空間を見る。
檻の位置。
柱の揺れ。
霧の厚み。
すべてを音で測る。
「学習が早すぎる」
フィルエが言った。
「ハイハネの粉だけじゃ目を潰しきれない。音で見るようになってる」
「なら音を歪めろ。マネ」
「マネ!」
「余の声ではなく、銅鐘の音を真似ろ」
マネが、ガルザヴェインの銅鐘を聞く。
ごん。
マネが口を開く。
「ゴン」
違う。
軽い。
だが、骸門の反響と混ざると十分だった。
ガルザヴェインが一瞬だけ振り向く。
本物の銅鐘とは違う音。
だが、似ている。
彼の音による空間認識が、ほんの少し乱れる。
その一瞬に、第二外周檻が内側へ閉じた。
ガルザヴェインの胴へ食い込む。
黒い骨柱が肋骨のように締まる。
湿骨軍列の槍が、足を固定する。
カゲヌイの影針が、影を縫う。
軍帰路喰らいが、前へ出る道と後ろへ戻る道の両方を噛む。
「今だ、折剣濁白騎士!」
白磁偽財殿で下げた折剣濁白騎士が、修復不十分のまま再出撃する。
白剣は半分欠けている。
灰剣もひび割れている。
だが、まだ斬れる。
騎士が黒い檻の隙間から踏み込み、ガルザヴェインの胸の傷へ白剣を突き込んだ。
深く入った。
黒い血が噴く。
ガルザヴェインの金色の目が、騎士を見た。
「ケン」
彼は、笑わなかった。
今度は、怒った。
黒い魔力が爆発する。
第二外周檻が砕けた。
湿骨軍列の槍がまとめて折れる。
カゲヌイの影針が吹き飛ぶ。
折剣濁白騎士も、胸を殴られて白磁の壁へ叩きつけられた。
《折剣濁白騎士、重度損傷》
《湿骨軍列、一部崩壊》
《第二外周檻、破損》
「騎士を引け!」
《回収します》
折剣濁白騎士が床下へ沈む。
今度は、本当に限界だ。
これ以上は壊れる。
だが、ガルザヴェインにも傷は増えた。
胸。
首。
足。
腕。
白磁、泥、骨、檻、剣。
霧灰白庭迷宮の全部が、少しずつあの魔神を削っている。
◇
第三外周檻が起動した。
これは、ただ閉じる檻ではない。
迷わせる檻だ。
骸門牢獄の性質を、最も薄く引き出したもの。
進む者に、同じ門を何度も見せる。
戻る者に、違う道を同じように見せる。
前へ進んでいるはずが、横へ流される。
横へ避けたはずが、また檻の前へ戻る。
ガルザヴェインの周囲に、黒い門がいくつも浮かんだ。
彼は一つを殴り壊す。
次がある。
また壊す。
また次。
殴っても、殴っても、同じ黒い門が現れる。
ガルザヴェインの息が荒くなった。
初めて、苛立ちが濃くなる。
「ジャマ」
拳。
門が砕ける。
「ジャマ」
肩で破る。
「ジャマ!」
銅鐘を鳴らす。
ごん。
音が返ってくる。
だが、マネがそれを真似る。
「ゴン」
残響音響室が歪ませる。
小鐘泥廟が細い音を重ねる。
フィルエが森灰術で音の道をずらす。
ガルザヴェインの音による空間認識が、わずかに狂う。
彼は一歩進んだつもりで、半歩横へ流される。
また門。
また檻。
また骨槍。
魔神ゴブリンの怒りが、膨れた。
その怒りに、彼の周囲に残っていた強化ゴブリンたちが耐えられなかった。
一部が、さらに進化しかける。
だが、無理な進化だ。
体が割れる。
骨が伸びすぎる。
筋肉が裂ける。
叫びながら崩れる。
ガルザヴェインの魔神性に耐えられない個体が、自滅し始めた。
《ガルザヴェイン周辺強化個体、自壊》
《骸門迷走檻による圧迫と魔神性過負荷が原因》
《死亡推定:三千二百体》
《獲得ソウル:768,000》
「自分の力で配下を壊したか」
余は低く言った。
ガルザヴェインが振り返る。
死んでいく自分のゴブリンたちを見た。
怒りか。
悲しみか。
それとも失望か。
「ヨワイ」
彼は言った。
「ヨワイ、シヌ」
その言葉は冷たい。
だが、どこか幼い。
強さを求めるあまり、弱い者が死ぬことを当然としか見ていない。
それがガルザヴェインだった。
だが、余はそこに一つ、隙を見た。
弱い者は死ぬ。
強い者は残る。
ならば、この迷宮はどう見える?
弱い魔物を喰い、強い配下を育て、死んだものをソウルに変え、何度でも進化する腹。
ガルザヴェインが求める強さと、似ているのではないか。
「まだだ」
余は言った。
「まだ説得はしない。もっと見せる」
《第三外周檻、崩壊寸前》
「十分だ。開けろ」
《第三外周檻を解除します》
黒い門が、すっと消えた。
ガルザヴェインの前に、深部へ続く道が開く。
彼は、怒りで肩を上下させながら、その道を見た。
道の奥には、白い圧がある。
コアへ近い区画。
余の気配を、あえて薄く漏らしている。
ガルザヴェインの金色の目が、静かに細くなった。
「イル」
また言った。
「モット、ツヨイ」
「そうだ」
余は白い部屋で答えた。
「ここまで来い。ガルザヴェイン」
残った魔物は、もうかなり少ない。
十万の黒い波は、霧と泥と骨と宝物庫と骸門で削られた。
だが、ガルザヴェインの周囲には、まだ精鋭が残っている。
黒いゴブリンの近衛のようなもの。
金眼の狼。
片腕を失った上位オーク。
甲殻を割られながらも生きる巨大虫。
数は少ない。
だが、濃い。
最後の波だ。
《骸門残響隔離層外周戦、終了》
白骨書記が戦争台帳に書き込む。
⸻
骸門残響隔離層外周戦果:
骸門外周檻による分断処理:1,728,000
第二外周檻・騎士連携戦:642,000
骸門迷走檻による強化個体自壊:768,000
残存精鋭処理・湿骨軍列追撃:391,000
追加獲得ソウル合計:3,529,000
損耗:
骸門残響隔離層、外周檻大破
折剣濁白騎士、重度損傷
湿骨軍列、一部崩壊
カゲヌイ、影針大量損耗
ハイハネ、霧制御疲労
小鐘泥廟、恐怖反応あり
マネ、銅鐘音模倣進行
現在保有ソウル:11,052,530
⸻
11,052,530。
とうとう、桁がさらに変わった。
だが、余はもう数字だけを見ていなかった。
ガルザヴェインを見ていた。
奴は、壊れた骸門外周を抜け、深部へ向かって歩いている。
泥と白磁と黒い血をまとい、傷だらけで、それでも笑っている。
強いものへ向かって。
余へ向かって。
コアの近くへ。
「ロード」
フィルエが言った。
「ここから先は、本当に危ない」
「分かっている」
「コア前まで来る」
「来させる」
「契約、できると思う?」
「分からん」
余は正直に言った。
「だが、殺すだけなら惜しい」
魔神ゴブリン。
最上位ゴブリン。
未成熟でSランク。
十万の軍勢を率い、迷宮の罠を学び、強さを求めて深部へ向かう怪物。
殺せば、莫大なソウルになるだろう。
だが、仲間にできれば。
配下にできれば。
グズとは違う形で、ゴブリンの頂点を迷宮に抱え込める。
その価値は、ソウルだけでは測れない。
「次で、コア前防衛区画を開く」
《最終深部防衛の準備を開始します》
「ヴェルグレイヴは」
《睡眠中》
「まだ起こすな」
《承知しました》
夜棺白庭の奥で、白磁の棺は静かだった。
だが、気のせいか。
ほんの一瞬だけ、内側から何かが笑ったような気がした。
余は、あえて見なかった。
「今の相手は、あの古血ではない」
余は白い部屋の中央で告げた。
「魔神ゴブリン・ガルザヴェイン」
深部へ向かう金色の目を見据える。
「余の前まで来い」
そして、心の底で思った。
殺すためではない。
選ばせるために。