余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
十万の軍勢は、消えた。
正確には、すべてが一瞬で消えたわけではない。
浅層の霧の中には、まだ迷っている魔物がいる。
戻り水の底には、まだ沈みきっていない死体がある。
の崩れた柱の下では、黒いオークが何体か息をしている。
の外周には、閉じ込められた魔物の叫びがまだ残っている。
だが、本流は死んだ。
軍勢としての形は、完全に壊れた。
王都へ向かっていた黒い波は、の腹で砕かれ、沈められ、縫われ、焼かれ、喰われた。
そして、その中心にいた未成熟の魔神は。
余の契約存在になった。
《契約存在:魔神ゴブリン・ガルザヴェイン》
《状態:重傷》
《魔神性:高》
《興奮:高》
《戦闘意思:極高》
《休息意思:低》
「……休め」
「イヤ」
ガルザヴェインは、白扉の前で膝をついたまま答えた。
不完全だった言葉が、契約を通したせいか、少しだけはっきりしている。
それでもまだ、幼い。
荒い。
魔物の喉で人間の言葉を削っているような声だった。
「お前、胸も足も腕も裂けているだろうが」
「タタカエル」
「戦うな」
「ツギ、ツヨイ、ドコ」
「今はいない!」
「イル」
ガルザヴェインの金色の目が、迷宮の奥へ向く。
余は嫌な予感がした。
「管理音声」
《はい》
「ガルザヴェインの視線先」
《夜棺白庭方面です》
「見るな!」
余は即座に叫んだ。
ガルザヴェインが、少しだけ首を傾げる。
「ツヨイ、イル」
「いるが、見るな。起こすな。近づくな。挑むな」
「ナゼ」
「お前が死ぬか、迷宮が壊れるからだ」
「ツヨイ」
「そういう問題ではない!」
の奥では、古血のヴァンパイア、ヴェルグレイヴが眠っている。
あれは戦力ではない。
災厄だ。
最終防衛機構だ。
少なくとも、今のガルザヴェインと会わせてはいけない。
強いものと戦いたい未成熟の魔神ゴブリン。
眠りを邪魔されればどうなるか分からない古血のヴァンパイア。
想像するだけで、コアが痛い。
「管理音声。夜棺白庭への全経路を封鎖」
《承知しました》
「フィルエ、ガルザヴェインの感知をずらせ」
「やってる」
から、フィルエの声が返る。
疲れている。
だが、まだ意識は鋭い。
森灰の流れが、ガルザヴェインの感覚から夜棺白庭の方向を薄く隠していく。
ガルザヴェインは不満そうに唸った。
「キエタ」
「消したのだ」
「ロード、カクス」
「隠す。絶対に隠す」
「ツマラナイ」
「つまらなくていい!」
こいつは危険だ。
ものすごく危険だ。
だが、契約は成立している。
コア不可侵。
ロード不可侵。
配下の無断支配禁止。
迷宮内ゴブリンへの強制進化禁止。
強敵来訪時、余の許可により出撃。
迷宮存亡時の防衛義務。
契約線は、ガルザヴェインの胸で金色に濁って光っている。
暴れてはいる。
だが、切れていない。
ならば、扱える。
扱わねばならない。
◇
《報告》
「何だ」
《残敵処理、継続中》
白い部屋の壁面に、迷宮全体の戦後図が映る。
浅層では、ハイハネが、疲れた羽で霧を動かしていた。
霧の中に残った狼型魔物やゴブリンを、の待つ泥へ流している。
中層では、グズが崩れた門を修復しながら、まだ暴れている黒オークを押し潰している。
白磁偽財殿はひどい状態だ。
白い天井は割れ、正式宝箱は大量に壊れ、はほぼ動けない。
だが、宝物庫中枢補助核が辛うじて機能を保っている。
骸門残響隔離層の外周では、黒い檻の残りがまだ魔物を閉じ込めていた。
そこへ軍帰路喰らいの落武者が入り、逃げ道ごと刃で喰っている。
影軍縫いカゲヌイは、影針をほぼ使い果たしているが、まだ壁の影から残敵を縫っていた。
白骨書記は、戦争台帳を高速で更新している。
骨筆が摩耗して、何本も折れていた。
「白骨書記、無理をするな」
白骨書記は、かた、と顎を鳴らし、床に書いた。
⸻
戦争記録は鮮度が重要。
⸻
「もっともらしいことを書くな」
《正しいです》
「管理音声まで同意するな」
白骨書記は、さらに一行足す。
⸻
ゴブリン食害記録、戦後再開予定。
⸻
「それは今いらん!」
しかし、いずれ必要になる。
なぜなら、今、迷宮内にはゴブリンが増えすぎている。
霧灰白庭迷宮のゴブリン。
ガルザヴェインの軍勢から生き残ったゴブリン。
死んだゴブリンから作られる素材。
さらに、ガルザヴェインの魔神性に触れて変質しかけた個体。
放っておけば、絶対に何か食う。
卵か。
宝箱か。
札か。
悪ければ、残響核隔離室の壁でも齧りかねない。
「……やはりゴブリン管理区画が必要だな」
《推奨します》
「だが、その前に残敵だ」
《残敵処理による追加獲得ソウルを表示します》
⸻
残敵処理:
浅層霧中残敵:
死亡推定:二千八百体
獲得ソウル:398,000
中層泥門残敵:
死亡推定:千九百体
獲得ソウル:512,000
白磁偽財殿下敷き残敵:
死亡推定:千二百体
獲得ソウル:356,000
骸門外周檻残敵:
死亡推定:八百体
獲得ソウル:344,000
その他迷走個体:
死亡推定:千六百体
獲得ソウル:288,000
追加獲得ソウル合計:1,898,000
現在保有ソウル:17,123,530
⸻
17,123,530。
余は、その数字をしばらく見た。
見たが、もう感覚が鈍っている。
大きすぎる。
だが、使い道は山ほどある。
修復。
隔離。
強化。
ガルザヴェイン用の区画。
ゴブリン管理。
骸門残響の封鎖。
白磁偽財殿の再建。
湿骨軍列の整備。
ハイハネと霧喰い大蛾群の育成。
グズの修復。
カゲヌイの影針補充。
軍帰路喰らいの調整。
折剣濁白騎士の大修復。
フィルエの命脈補助。
そして、外部監視。
やることが多すぎる。
「ロードとは忙しいものだな」
《はい》
「最初からこうだったか?」
《最初は生存に必死でした》
「今も必死だ」
《規模が変わりました》
「それはそうだ」
余はガルザヴェインを見る。
未成熟の魔神は、まだ白扉の前で膝をついている。
だが、目は死んでいない。
むしろ、戦い足りなそうだ。
「まず、お前の区画を作る」
「クカク」
「住む場所だ」
「タタカウ、バショ?」
「寝る場所だ」
「イラナイ」
「いる!」
「タタカウ」
「まず寝ろ!」
フィルエが少し笑った。
「ヴェルグレイヴとは逆だね」
「本当にな」
ヴェルグレイヴは寝床を欲しがった。
戦いたがらない。
いや、本気で戦えばとんでもないのだが、普段は寝ている。
対して、ガルザヴェインは寝床より戦場を欲しがる。
これを同じ迷宮に抱えるのか。
余は何をしているのだろう。
いや、強くなるためには必要だ。
必要だが、頭が痛い。
「管理音声。ガルザヴェイン用区画を設計」
《条件を指定してください》
「コアからは近すぎず、遠すぎず。夜棺白庭からは最大限遠ざけろ。ゴブリン系統の育成が可能。ただし強制進化は許可制。戦闘訓練場を併設。外部へ魔神性が漏れないよう遮断。グズの泥門と連携できる位置。フィルエの観測が届く範囲」
《大規模区画になります》
「ソウルはある」
《推定消費:850,000》
「高いな」
《魔神性遮断、訓練場、ゴブリン管理機能を含みます》
「許可」
《現在保有ソウル:16,273,530》
白い部屋の壁面に、新しい区画が形成されていく。
中層より奥。
だが、コア区画からは少し離れた場所。
泥塞大門将グズの門列から枝分かれするように、広い空間が生まれる。
床は白磁ではなく、硬い灰泥。
壁には黒い魔神性を吸収する白灰の紋。
天井は高く、ゴブリンや大型魔物が動ける。
周囲には小さな訓練穴。
中央には、戦闘用の円形広場。
そこからは、グズの泥門へ繋がる道と、浅層のゴブリン管理域へ繋がる細い通路が分かれている。
《新規区画名を設定してください》
余は少し考えた。
魔神ゴブリンのための区画。
寝床ではない。
戦場でもない。
強さを育てる場所。
ただ暴れるのではなく、役割を与える場所。
「」
《魔神練兵窟、登録》
ガルザヴェインの目が、少しだけ光った。
「レンペイ」
「そうだ。戦うために鍛える場所だ」
「タタカウ、マエ」
「そうだ。戦う前に鍛える」
「イイ」
初めて素直に頷いた。
なるほど。
寝ろと言うより、鍛えろと言った方が聞くのか。
扱い方が少し分かった。
「だが、今日は休め」
「レンペイ」
「今日は休め!」
「レンペイ、スコシ」
「……少しだけだぞ」
フィルエが呆れた声で言った。
「甘い」
「仕方ないだろう。暴れられるよりは、指定区画で少し動かした方がましだ」
「うん。たぶんそう」
ガルザヴェインは、重傷のまま立ち上がろうとした。
その瞬間、傷口から黒い血が落ちる。
床がじゅう、と鳴る。
《警告。魔神血による床面侵食》
「ほら見ろ! まず治療だ!」
「チリョウ」
「傷を塞ぐことだ」
「イラナイ」
「いる!」
余は即座に治療機能を動かす。
戻り水と白磁粉だけでは危険だ。
魔神性と反発する。
なら、ガルザヴェイン用に調整する必要がある。
「管理音声。魔神血対応の回復槽を作れるか」
《可能ですが、通常戻り水では汚染が発生します》
「白灰で濾過しろ。森灰を少し混ぜる。泥も使え。グズの泥核から少量」
《ソウル消費:120,000》
「許可」
《現在保有ソウル:16,153,530》
魔神練兵窟の隅に、黒灰色の回復槽ができる。
水ではない。
泥と戻り水と森灰が混じった、重い液。
そこへガルザヴェインを入れる。
「入れ」
「ドロ」
「回復槽だ」
「ドロ」
「泥だが回復槽だ!」
ガルザヴェインは少しだけ匂いを嗅いだ。
グズの泥の気配が混ざっているのに気づいたらしい。
「グズ」
「あいつの泥も入っている」
「ツヨイ、ドロ」
「そうだ。強い泥だ」
ガルザヴェインは納得したように、回復槽へ足を入れた。
ずぶり、と沈む。
胸まで浸かる。
黒い血が泥に溶け、白灰の紋がそれを中和していく。
傷口がゆっくり塞がり始めた。
《魔神ゴブリン・ガルザヴェイン、回復開始》
《完全回復には時間が必要》
《魔神性漏出、抑制中》
ようやく少し安心できる。
少しだけだが。
◇
戦後処理は終わらない。
十万の魔物を喰った迷宮は、強くなった。
だが、同時に壊れた。
白い部屋の床に、損耗一覧が表示される。
⸻
大規模損耗:
浅層霧構造:中度損傷
戻り水湿地外縁:過負荷
中層喉部:構造変形後、要補強
白磁偽財殿:損傷率83%
骸門残響隔離層外周:大破
宝物庫中枢補助核:過負荷
折剣濁白騎士:重度損傷
泥塞大門将グズ:中度損傷
湿骨軍列:一部崩壊
影軍縫いカゲヌイ:影針大量損耗
灰霧追導蛾ハイハネ:疲労
軍帰路喰らいの落武者:刃鳴り不安定
フィルエ:命脈反動、小から中
残響核隔離室:安定
夜棺白庭:秘匿維持
⸻
「修復費は」
《初期修復のみで2,400,000》
「高い」
《完全修復と強化を含めると6,800,000以上》
「……払えるのが怖いな」
《はい》
「まず初期修復。完全修復は区画ごとに判断する」
《初期修復に2,400,000を消費します》
《現在保有ソウル:13,753,530》
迷宮が低く鳴った。
壊れた床が、ゆっくりと閉じる。
浅層の霧が整えられる。
戻り水の流れが洗浄される。
白磁偽財殿の崩れた天井が仮支柱で支えられる。
骸門外周の黒い檻は、一部を切り離して再隔離される。
折剣濁白騎士は、白磁修復室へ運ばれる。
グズには泥核補修。
湿骨軍列は、壊れた骨を整理しながら再編。
カゲヌイには影針の再生成。
ハイハネは育成温室で羽を畳む。
軍帰路喰らいの落武者は、刃を床に刺して沈黙する。
全員が疲れていた。
迷宮そのものも疲れていた。
だが、生きている。
勝った。
喰った。
そして、得た。
「白骨書記」
白骨書記が、骨筆を構える。
「大戦果をまとめろ」
白骨書記は、長い骨板を一枚出した。
そして、かりかりと書き始める。
⸻
スタンピード迎撃記録:
侵入推定:十万規模
主敵:魔神ゴブリン・ガルザヴェイン
結果:軍勢壊滅
主敵:契約成立
総獲得ソウル:
初動:882,800
中層戦:1,945,000
泥門戦:1,315,000
白磁偽財殿戦:3,399,000
骸門外周戦:3,529,000
コア前防衛戦:4,173,000
残敵処理:1,898,000
総獲得ソウル:17,141,800
主な消費:
湿骨兵生成:3,000
戦場維持:45,000
ガルザヴェイン用区画:850,000
魔神回復槽:120,000
初期修復:2,400,000
現在保有ソウル:13,753,530
戦闘中進化:
一、ハイハネ → 灰霧追導蛾
二、湿骨兵群 → 湿骨軍列
三、泥塞門将グズ → 泥塞大門将グズ
四、カゲヌイ → 影軍縫いカゲヌイ
五、帰路喰らいの落武者 → 軍帰路喰らいの落武者
新規契約存在:
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン
⸻
白骨書記は、最後にもう一行を書いた。
⸻
注意:
ゴブリン管理、最優先。
⸻
「まだ言うか」
《重要です》
「否定はしない」
今、迷宮には新しい問題が生まれている。
ガルザヴェイン。
魔神練兵窟。
ゴブリン育成。
十万の魔物の素材。
膨大なソウル。
王都側の観測。
人間どもは、必ず知ろうとする。
自分たちが流した軍勢がどうなったのか。
灰白庭が壊れたのか。
魔物が出てくるのか。
ガルザヴェインが死んだのか。
人間側は知らないだろう。
魔神ゴブリンが、死なず、迷宮の契約存在になったことを。
「管理音声」
《はい》
「外部観測は」
《遠距離観測反応あり》
「人間どもか」
《はい。灰白庭外縁から距離を取った観測班と思われます》
「こちらの内部は見えているか」
《不明。ただし、魔物反応の大量消失と、迷宮魔力の急上昇は観測されている可能性があります》
「隠せるか」
《完全には不可能です》
「なら、どう見せる」
《提案:スタンピードによる外縁魔力乱れ、魔物同士の衝突、迷宮内部崩落、白灰反応過負荷として偽装》
「ガルザヴェインは」
《魔神反応は深部に沈めます。契約反応は秘匿》
「魔神練兵窟も隠せ」
《承知しました》
余は外の方角を見た。
人間ども。
王都。
討伐軍。
冒険者。
彼らは、今日生き残った。
余に魔物を押し付けたからだ。
だが、その代償は大きい。
霧灰白庭迷宮は、ソウルを得た。
進化を得た。
そして、魔神ゴブリンを得た。
「人間ども」
余は、静かに言った。
「お前たちは王都を守るため、余の腹へ災厄を流した」
魔神練兵窟では、ガルザヴェインが回復槽の中で目を閉じている。
眠っているわけではない。
たぶん、次の強敵を夢見ている。
「その災厄は、余のものになった」
余は笑った。
「次に来る時は、それを忘れるな」
◇
遠く、外縁の森の外。
観測班は、白い霧を見ていた。
魔物の咆哮は、もうほとんど聞こえない。
十万の軍勢が入ったはずの森は、静かだった。
静かすぎた。
観測班長が、魔力盤技師へ聞く。
「反応は」
技師の手が震えていた。
「魔物反応……大半が消失」
「大半?」
「はい。追えません。白灰系魔力が膨れ上がっている。迷宮全体が、戦闘後のように……いや、食後のように」
「食後?」
技師は、自分で言ってから青ざめた。
だが、他に表現が見つからない。
白い霧は、ゆっくりと揺れている。
満腹の獣が、静かに呼吸しているように。
観測班長は言った。
「ガルザヴェインは」
「反応不明。死亡したか、深部へ沈んだか、あるいは……」
「あるいは?」
技師は答えられなかった。
答えたくなかった。
観測班長は、白い霧から目を離せなかった。
王都は救われた。
だが、灰白庭は静かだ。
あれほどの軍勢を呑んだのに、壊れていない。
むしろ、霧が濃くなっている。
彼は、震える声で言った。
「記録しろ」
「はい」
「灰白庭、十万規模の魔物軍勢を受け入れ後、なお活動反応あり。魔物反応、大規模消失。迷宮魔力、異常上昇」
魔力盤技師が、震える手で書く。
最後に、観測班長は少し迷い、こう付け加えた。
「接近、非推奨」
白い霧の奥で、何かが笑った気がした。
もちろん、見間違いかもしれない。
だが、その場にいた誰も、それを確かめようとはしなかった。