余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
白銀の剣と、黒い拳がぶつかった。
音が遅れて来た。
まず、光が裂けた。
次に、霧が吹き飛んだ。
最後に、白磁の床が割れる音が響いた。
アレク・ヴァイスの剣は、ガルザヴェインの拳を受け止めていた。
いや、受け止めたのではない。
斬り込んでいた。
魔神ゴブリンの黒い魔力をまとった拳へ、白銀の刃が食い込んでいる。
血が飛んだ。
黒い血。
ガルザヴェインの拳から、確かに血が流れた。
「……硬い」
アレクが呟く。
その声に驚きはない。
ただ、測っている。
敵の硬さを。
魔力の厚みを。
骨の位置を。
次にどこを斬ればよいかを。
一方、ガルザヴェインは笑っていた。
拳を斬られて。
血を流して。
それでも、金色の目を細め、楽しそうに笑っていた。
「イタイ」
ガルザヴェインは言った。
「イイ」
拳を引く。
アレクは追わない。
記録板を左腕に抱えたまま、半歩だけ位置を変える。
出口へ向かう道は、ガルザヴェインの背後にある。
外縁へ繋がる細い接続路。
そこへ辿り着けば、外に出られるかもしれない。
だが、その前に魔神がいる。
アレクは分かっていた。
倒す必要はない。
通ればいい。
記録を持ち帰ればいい。
仲間たちの死を、灰白庭の正体を、外へ伝えればいい。
だが、目の前の相手は、通してくれるような怪物ではなかった。
「どけ」
アレクが言う。
ガルザヴェインは、笑ったまま首を横に振る。
「イヤ」
「俺は帰る」
「タタカウ」
「帰るために斬る」
「斬レ」
ガルザヴェインが両腕を広げた。
「オレ、タタカウ」
白い霧の中、二つのSランク相当が向かい合う。
人間の最高到達点。
未成熟の魔神。
白い部屋で、余は息を詰めるようにその光景を見ていた。
《外縁接続路付近、戦闘圧上昇》
《周辺構造、損傷危険》
「周囲の補強を厚くしろ」
《ソウル消費による緊急補強を実行》
「ガルザヴェインに伝えろ。外へ出るな。道を壊しすぎるな。記録板を外へ出すな」
《契約線を通じて伝達》
ガルザヴェインの胸の契約線が、金色に濁って光る。
魔神は一瞬だけ、白い部屋の方を見たような気がした。
「ロード、メイレイ」
彼は言った。
「ワカッタ」
分かっているのか。
本当に分かっているのか。
余は不安だったが、今は任せるしかない。
アレクが動いた。
◇
白銀の剣が、霧を裂きながら走る。
「――」
速い。
踏み込みが見えない。
白い霧そのものを足場にしたような、異様な加速。
アレクは正面から行かなかった。
ガルザヴェインの左側へ抜ける。
狙いは首ではない。
出口だ。
魔神を倒すより、背後を取って接続路へ走る。
合理的な判断だった。
だが、ガルザヴェインは笑った。
「ハヤイ」
魔神の足が床を叩く。
白磁が割れる。
巨体が、信じられない速度で横へ滑った。
アレクの進路へ、拳が置かれる。
ただ殴るのではない。
進む先に拳を置いた。
アレクは剣を返す。
「白銀剣技――」
白銀の刃が、拳の軌道を受け流しながら、ガルザヴェインの腕を斬る。
黒い血が散る。
浅くない。
腕の筋肉まで届いている。
だが、ガルザヴェインの拳は止まらなかった。
受け流されたはずの拳が、途中で軌道を変える。
手首ではない。
肘でもない。
肩から魔力が噴き出し、無理やり拳の方向を変えた。
アレクの脇腹へ入る。
「ぐっ……!」
アレクの体が横へ飛ぶ。
白い床を滑り、片膝をつく。
記録板を抱える左腕を、彼は最後まで離さなかった。
《アレク・ヴァイス、負傷拡大》
《記録板、保持》
「今のを受けて、板を落とさんのか」
余は思わず呟いた。
フィルエが低く言う。
「落としたら、全部終わると思ってる」
「執念だな」
「うん。でも、あれが今のアレクの芯」
アレクは立ち上がった。
口元から血が落ちる。
白銀の剣は、まだ光っている。
ガルザヴェインは腕の傷を見た。
指で血を拭い、それを眺める。
「キレル」
彼は嬉しそうに言った。
「オマエ、キレル」
「当たり前だ」
アレクは剣を構える。
「俺は、剣士だ」
「ケンシ」
ガルザヴェインがその言葉を繰り返す。
そして、拳を握る。
「オレ、コブシ」
黒い魔力が、拳に集まる。
さきほどより濃い。
大きい。
殴るためだけの魔力。
「――」
言葉は不完全だが、技として成立していた。
ガルザヴェインの拳が、黒い牙のような魔力をまとって突き出される。
アレクは真正面から受けなかった。
剣を斜めに置き、拳の表面を削るように斬る。
「白銀剣技――り」
黒い魔力が削られる。
拳の威力が横へ逃げる。
だが、ガルザヴェインはその瞬間、逆の手を開いた。
爪。
鋭く伸びた魔神の爪が、アレクの記録板を狙う。
剣士ではなく、目的を狙った。
アレクの目が鋭くなる。
「させるか!」
彼は左腕を引く。
同時に剣を逆手へ返す。
「白銀剣技――」
白い光が記録板を包む。
ガルザヴェインの爪が、その光へ食い込む。
ぎし、と記録板が軋む。
端が削れる。
だが、砕けない。
アレクの剣が、ガルザヴェインの爪を斬った。
指が一本、飛ぶ。
魔神の指が白い床へ落ち、黒い血を撒く。
「……ッ」
ガルザヴェインの笑みが深くなった。
「イタイ」
「何度も言うな」
「タノシイ」
「俺は楽しくない」
「オマエ、カエル。オレ、トメル。タタカイ」
ガルザヴェインは切られた指を見下ろす。
その切断面に、黒い魔力が集まった。
完全に再生するわけではない。
だが、血が止まる。
筋肉が締まり、次に同じ切り方では落ちにくいように変質していく。
「またか」
アレクが目を細める。
「戦いながら、変わるのか」
ガルザヴェインが笑う。
「オレ、マダ、ナル」
「未成熟というわけか」
「ミセイジュク」
ガルザヴェインは、その言葉の意味を噛むように繰り返した。
「モット、ナル」
◇
白い部屋で、管理音声が告げる。
《ガルザヴェイン、戦闘適応中》
《アレク・ヴァイスの斬撃傾向を学習》
《ただし、アレク・ヴァイスも魔神の動きへ対応中》
「互いに学んでいるのか」
《はい》
フィルエが言った。
「長引くと危ない」
「どちらが」
「両方」
アレクは命を削っている。
長引けば、体がもたない。
だが、ガルザヴェインは戦いながら成長する。
長引けば、さらに強くなる。
そして、その戦闘圧は迷宮にも負荷をかける。
外縁接続路の白磁床は、すでに何度も割れている。
戻り水の流れも乱れている。
影糸は近づけない。
湿骨軍列も巻き込まれれば砕かれる。
これは、もう迷宮の罠の戦いではない。
強者同士の殴り合いだ。
余は、それを分かっていた。
だからこそ、目が離せなかった。
「ガルザヴェイン」
余は契約線越しに告げる。
「記録板を壊すな。回収する」
「ワカッタ」
「アレクは殺せ」
「ワカッタ」
「外へ出るな」
「ワカッタ」
少し不安だ。
だが、三つは伝わった。
ガルザヴェインが、魔神進軍鐘へ手を伸ばす。
ごん。
一度、鳴らした。
迷宮の中に、低い音が広がる。
魔物の軍勢を動かす音ではない。
今は、自分自身を高める音。
魔神進軍鐘・。
ガルザヴェインの黒い魔力が、さらに濃くなる。
アレクもまた、剣を両手で握り直した。
いや、左手には記録板がある。
だから、完全な両手持ちではない。
それでも、彼は記録板を胸当ての内側へ押し込み、革紐で固定した。
左手が空く。
ただし、記録板は胸元。
狙われれば、命と一緒に砕ける位置だ。
「持って帰る」
アレクは言った。
「これを」
白銀の剣を両手で構える。
その瞬間、剣の光がさらに強くなる。
《アレク・ヴァイス、剣圧上昇》
《両手構えへ移行》
「本気か」
余は呟いた。
アレクが踏み込む。
◇
次の一合は、見えなかった。
白銀の光と黒い魔力が交差した。
アレクの剣が、ガルザヴェインの胸を裂く。
ガルザヴェインの爪が、アレクの肩を裂く。
血が飛ぶ。
白い床に、黒と赤が同時に散る。
「白銀剣技――!」
アレクの剣が、命を燃やすように輝く。
縦斬り。
横斬り。
斜め。
突き。
すべてが速い。
しかも、一撃ごとに意味が違う。
ただ肉を斬るのではない。
ガルザヴェインの魔力の流れを斬る。
拳の溜めを斬る。
足の踏み込みを斬る。
次の動きの芽を斬る。
まるで、戦いそのものを解体する剣だった。
ガルザヴェインの体に傷が増える。
腕。
胸。
肩。
脇腹。
太腿。
白銀の斬撃が、魔神の体へ次々と入る。
だが、ガルザヴェインは下がらない。
むしろ、前へ出る。
「イイ」
拳。
アレクが避ける。
爪。
剣で受ける。
膝。
アレクの腹へ入る。
彼の体が浮く。
だが、アレクは空中で剣を返した。
「白銀剣技――」
落下の勢いを使った斬撃が、ガルザヴェインの肩へ入る。
深い。
骨まで届く。
ガルザヴェインの片腕が、一瞬だけ下がった。
アレクがその隙に、横を抜けようとする。
出口へ。
外縁接続路へ。
だが、ガルザヴェインは笑った。
「ソレ」
彼は、無事な方の腕で地面を殴った。
白磁床が砕け、戻り水が噴き上がる。
出口への道が、一瞬だけ水で塞がれる。
アレクはそれを斬る。
「白銀剣技――水裂!」
道が開く。
だが、その一瞬でガルザヴェインが前に入る。
「カエサナイ」
アレクの目が細くなる。
「なら、斬る」
「斬レ」
二人がまたぶつかる。
拳と剣。
爪と刃。
牙と白銀。
アレクの剣は、確かにガルザヴェインを傷つけている。
だが、ガルザヴェインの体は、その傷から学んでいる。
最初は深く入った斬撃が、次は少し浅くなる。
同じ角度では、筋肉が固まる。
同じ踏み込みでは、足が先に動く。
同じ誘いでは、引っかからない。
アレクもそれに気づく。
「同じ剣は通じないか」
彼は、剣筋を変えた。
白銀の剣が、さらに細く鋭くなる。
「なら、全部変える」
ガルザヴェインの笑みが、子供のように輝いた。
「モット」
◇
戦いは、出口を中心に回った。
アレクは何度も抜けようとする。
ガルザヴェインは何度も塞ぐ。
アレクが斬る。
ガルザヴェインが受ける。
受けきれずに血を流す。
だが、立つ。
ガルザヴェインが殴る。
アレクは受け流す。
受け流しきれずに骨を軋ませる。
だが、立つ。
白い部屋では、警告が次々と流れていた。
《外縁接続路、損傷率四十一パーセント》
《戻り水流路、乱れ》
《白磁床、補強材消費》
《ガルザヴェイン、負傷蓄積》
《アレク・ヴァイス、肉体負荷上昇》
《記録板、保持状態継続》
「まだ板を守っているのか」
《はい》
「どれだけ執念深い」
《目的保持能力、極めて高》
フィルエが言った。
「ロード、アレクはガルザヴェインを倒す気じゃない。帰る気だよ」
「分かっている」
「でも、ガルザヴェインは倒す気で戦ってる」
「それも分かっている」
「この差、使えるかも」
「どういうことだ」
「アレクは出口を見る。ガルザヴェインはアレクを見る」
余は、その言葉に少し黙った。
なるほど。
アレクの目的は帰還。
ガルザヴェインの目的は戦闘。
だから、アレクは隙を見て抜ける。
ガルザヴェインはそれを塞ぐ。
だが、戦いそのものを楽しむガルザヴェインは、時折、アレクを倒すより強い一撃を受けることを選ぶ。
危険だ。
だが、契約で制御できる。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「出口を背にしろ。アレクではなく、出口を守れ」
「……」
「戦いたければ、あいつを帰すな」
ガルザヴェインの金色の目が、少しだけ動いた。
「カエス、タタカイ、オワル」
「そうだ」
「カエサナイ、ツヅク」
「そうだ」
「ワカッタ」
ガルザヴェインの動きが変わった。
アレクを追うのではなく、出口を背にした。
体を半身にし、接続路を完全に塞ぐ。
アレクはそれを見て、表情を変えた。
「学ぶな」
「ロード、オシエタ」
「厄介な主だな」
「オレノ、ロード」
ガルザヴェインは笑った。
「ツヨイ」
アレクは、白銀の剣を構え直す。
「なら、その主ごと斬る」
「ロード、キルナ」
「お前をどかす」
「イヤ」
また、ぶつかった。
◇
アレクは技を変えた。
速度ではなく、重さ。
「白銀剣技――し」
かつてガルドスの盾と共に使った対大型用の剣技。
相手の重心を崩し、守りの姿勢ごと切り開く技。
白銀の剣が、ガルザヴェインの膝を狙う。
ガルザヴェインは拳で受けようとする。
だが、剣は拳ではなく床を斬った。
白磁床が斜めに割れ、ガルザヴェインの足場が崩れる。
巨体がわずかに傾く。
そこへアレクが踏み込む。
「白銀剣技――!」
下から上への斬撃。
ガルザヴェインの胸を裂く。
深い。
黒い血が大きく噴いた。
《ガルザヴェイン、胸部深創》
「ガルザヴェイン!」
余は思わず叫んだ。
だが、ガルザヴェインは倒れない。
彼は笑っていた。
そして、傾いた体のまま、アレクの剣を腕で挟んだ。
肉で。
骨で。
無理やり。
白銀の剣が一瞬、動かなくなる。
アレクの目が見開かれる。
ガルザヴェインの額が、アレクの顔面へ叩き込まれた。
鈍い音。
アレクの鼻が潰れ、血が飛ぶ。
それでも彼は剣を離さない。
膝蹴りが腹に入る。
アレクの体が折れる。
だが、記録板は胸元に固定されたまま。
ガルザヴェインが爪を伸ばす。
今度こそ、記録板へ。
アレクは、折れそうな体を無理やり捻った。
記録板を守るために。
爪が彼の背を裂いた。
「ぐあっ!」
アレクの悲鳴。
初めて、はっきりした悲鳴だった。
それでも、記録板は守った。
ガルザヴェインが、ほんの少しだけ動きを止める。
「ナゼ」
彼は問うた。
「ナゼ、ソレ、マモル」
アレクは血を吐きながら答えた。
「仲間が……死んだからだ」
「シンダ」
「それを、なかったことにさせない」
アレクは剣を引き抜く。
腕の肉を裂きながら。
ガルザヴェインも血を流す。
「記録は、あいつらが生きた証だ」
ガルザヴェインの金色の目が、細くなる。
「ナカマ」
「そうだ」
「シンダ、ナカマ」
「だから帰る」
ガルザヴェインは、しばらく黙った。
その顔から、ほんの少しだけ笑みが消えた。
だが、すぐに戻る。
今度の笑みは、さっきまでとは少し違った。
「ワカラナイ」
彼は言った。
「デモ、ツヨイ」
拳を構える。
「ソレ、オマエ、ツヨクスル」
アレクは剣を構える。
「ああ」
「ナラ、オレ、ソレゴト、タオス」
ガルザヴェインの魔力が膨れ上がる。
アレクの白銀の剣も、さらに強く光る。
このまま続けば、どちらもただでは済まない。
だが、止まらない。
◇
白い部屋で、余はその会話を聞いていた。
「ガルザヴェインが、理解しようとしている」
《はい》
「戦い以外をか」
《仲間、記録、帰還目的について反応あり》
フィルエが静かに言う。
「これ、ガルザヴェインにとって大きいかも」
「どういう意味だ」
「強さが、ただ戦いたいだけじゃないって見てる。アレクは帰るために強い。仲間のために強い。ガルザヴェインはそれを見てる」
「進化の種か」
「たぶん」
アレクを殺せば、ガルザヴェインは変わる。
ただSランク冒険者を倒したからではない。
強さの理由を見たから。
戦いの意味を、少しだけ理解したから。
それは、魔神練兵窟で役割を教えた時と同じ流れだった。
「なら、勝たせる」
余は言った。
「ガルザヴェインに、こいつを越えさせる」
《戦闘支援しますか》
「直接の罠は出すな。邪魔になる」
《では》
「出口を封じろ。アレクが抜ける隙だけを潰せ。戦いはガルザヴェインに任せる」
《承知しました》
外縁接続路の奥で、白磁根が静かに動いた。
出口そのものを壊すのではない。
抜け道だけを塞ぐ。
逃げられない。
なら、アレクは戦うしかない。
帰るために。
ガルザヴェインを倒すために。
そして、ガルザヴェインは戦う。
アレクを倒すために。
強さを知るために。
白い霧が、二人を囲む。
もう、他の配下は近づかない。
これは、魔神と人間の頂点の戦いだ。
◇
アレクは、最後の構えに入った。
白銀の剣を、正面へ。
両足を白磁床に沈めるように立つ。
胸元の記録板が、血で赤く染まっている。
彼の体は限界だった。
骨が軋む。
筋肉が裂ける。
魔力が内側から燃える。
だが、剣はぶれない。
「――」
白い光が、剣へ集まる。
霧が退く。
戻り水が止まる。
白磁床が細かく震える。
「」
人間の最高到達点。
人としての限界を、剣の一点へ集める奥義。
ガルザヴェインも構えた。
拳ではない。
爪でもない。
両腕を開き、胸の傷をさらす。
魔神進軍鐘が、腰で揺れる。
ごん。
黒い魔力が、全身から噴き上がる。
「――」
彼の両腕に、黒い爪のような魔力が生える。
床を削り、霧を裂き、空気を震わせる。
「い」
アレクが踏み込む。
ガルザヴェインが踏み込む。
白銀の一閃と、黒い魔神爪が、正面からぶつかった。
白い部屋の壁面が、真っ白に染まった。
音は、まだ来ない。
結果も、まだ見えない。
ただ、迷宮全体が震えていた。