余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
白と黒が、ぶつかった。
アレク・ヴァイスの白銀剣奥義――。
魔神ゴブリン・ガルザヴェインの魔神爪――い。
それは、剣と爪の衝突ではなかった。
人間が人間のまま届ける最高点と、未成熟の魔神が戦いの中で掴みかけた暴力。
その二つが、の外縁接続路で真正面からぶつかった。
音は、遅れて来た。
最初に光が走った。
白銀の光が、黒い魔神性を裂く。
次に、黒い爪が白銀の剣筋を噛み砕こうとした。
霧が消し飛び、白磁床が割れ、戻り水が壁まで跳ね上がる。
外縁接続路の壁が悲鳴を上げた。
《外縁接続路、損傷率六十八パーセント》
《白磁床、崩落危険》
《戻り水路、逆流》
《ガルザヴェイン、負傷拡大》
《アレク・ヴァイス、肉体限界接近》
「補強しろ!」
《緊急補強を実行》
白い部屋で、余は壁面を睨んでいた。
だが、白い光と黒い魔力が荒れすぎて、映像が乱れる。
見えない。
見えぬほどの衝突。
「管理音声、状況!」
《解析中》
白が、黒を押した。
いや、黒が白を噛んだ。
どちらが勝っているのか、一瞬では分からない。
やがて、光が砕けた。
霧が戻る。
白磁の粉が舞う。
その中に、二つの影があった。
アレクは立っていた。
白銀の剣を両手で握りしめ、肩で息をしている。
剣は折れていない。
だが、刃の根元に深い亀裂が入っていた。
胸元の記録板は、まだある。
ひび割れ、血に染まり、それでも彼の胸に括りつけられている。
ガルザヴェインも立っていた。
両腕から黒い血が流れている。
胸の傷はさらに深くなり、片方の肩から黒い魔力が漏れていた。
右の爪は砕け、左の腕には白銀の斬撃痕が骨まで刻まれている。
だが、彼は笑っていた。
「……ツヨイ」
ガルザヴェインが言った。
その声には、いつもの単純な喜びだけではない。
驚き。
称賛。
そして、理解しかけた何かが混じっていた。
「オマエ、ツヨイ」
アレクは答えなかった。
答える余裕がない。
人極一閃は、彼の命を削った。
呼吸のたびに、口元から血が落ちる。
腕が震える。
足も震えている。
それでも、剣先はガルザヴェインへ向いている。
「どけ」
アレクは言った。
声は掠れていた。
「俺は、帰る」
「カエル」
ガルザヴェインは、胸の傷を押さえながら首を傾げる。
「ナカマ、シンダ」
「ああ」
「キロク、モツ」
「ああ」
「ソレ、オマエ、ツヨクスル」
アレクの目が細くなる。
「……そうだ」
ガルザヴェインは、少しだけ笑みを変えた。
楽しそうなだけの笑みではない。
目の前の強者が、なぜ強いのかを見ようとする顔だった。
「オレ、グン、モッタ」
彼は、ぎこちなく言葉を重ねる。
「ヨワイ、シンダ」
「……」
「オマエ、ナカマ、シンダ」
ガルザヴェインの金色の目が、アレクの胸の記録板を見る。
「デモ、オマエ、ツヨクナッタ」
アレクは剣を握り直した。
「俺は、強くなりたかったわけじゃない」
「ナゼ」
「帰るためだ」
「ナゼ、カエル」
「伝えるためだ」
「ナニヲ」
アレクは、血に濡れた記録板へ左手を添えた。
「ここで死んだ者たちのことを」
ガルザヴェインは黙った。
「この迷宮が、Aランクではないことを」
白い部屋で、余はその言葉を聞いていた。
外へ出せば終わりだ。
この記録が王都へ届けば、人間側は霧灰白庭迷宮を正しく恐れる。
そして正しく対策する。
Sランク迷宮として。
魔神性の残留がある場所として。
十万の魔物を喰った場所として。
だから、出せない。
「ガルザヴェイン」
余は契約線越しに告げた。
「記録板を外へ出すな」
「ワカッタ」
「殺せ」
「ワカッタ」
ガルザヴェインは、ゆっくり息を吸った。
胸の傷口から、黒い魔力が漏れる。
だが、その魔力は暴走していない。
以前のように、ただ膨れ上がるだけではない。
戦いの中で、少しずつ形を持ち始めている。
拳へ。
爪へ。
足へ。
呼吸へ。
鐘へ。
戦うための形へ。
ガルザヴェインは、腰のへ手をかけた。
ごん。
低い音が鳴る。
軍勢を動かす鐘ではない。
自分自身を戦場へ刻む鐘。
その音に合わせて、黒い魔神性が荒れずに締まった。
アレクもまた、剣を構える。
白銀の光は、先ほどより弱い。
だが、細い。
冷たい。
まだ折れていない。
◇
次に動いたのは、アレクだった。
正面ではない。
彼は左へ踏み込んだ。
出口へ。
ガルザヴェインの肩がまだ完全に動かない側へ。
剣を振るう。
「白銀剣技――・」
帰る意思を刃に変えた連撃。
一撃目は、ガルザヴェインの腕を狙う。
二撃目は、足。
三撃目は、胸の傷。
四撃目は、出口への空間。
アレクは戦っている。
だが、戦いながら抜けようとしている。
剣筋のすべてが、帰るための道を作る形になっていた。
ガルザヴェインは、今度は追わなかった。
出口を背にして、動かない。
余の命令を覚えている。
外へ出すな。
記録板を出すな。
その命令を、戦いの形へ変えた。
「魔神拳――け」
ガルザヴェインは、拳ではなく両腕を門のように構えた。
アレクの一撃目を腕で受ける。
血が飛ぶ。
二撃目を膝で止める。
三撃目を肩で受ける。
胸の傷がさらに裂ける。
だが、四撃目。
出口への空間を斬ろうとした一撃。
それだけは、ガルザヴェインが拳で叩き潰した。
白銀の斬撃が砕ける。
アレクの目が鋭くなる。
「覚えたか」
「ロード、オシエタ」
「いい主だな」
「オレノ、ロード」
ガルザヴェインが笑う。
「オレ、マモル」
アレクの剣が、一瞬だけ止まった。
「守る?」
「ロード、メイレイ。キロク、ダサナイ。ソト、デナイ。オマエ、トメル」
アレクの表情が変わった。
敵が、ただ戦いたいだけではない。
命令を守っている。
役割を持っている。
ただの魔物ではない。
迷宮の戦力として、そこに立っている。
「……灰白庭は」
アレクが低く言った。
「魔神を、飼っているのか」
白い部屋で、余の意識が冷えた。
気づいた。
この男は気づいた。
外へ出せない理由が、さらに増えた。
「ガルザヴェイン」
「ワカッタ」
魔神が踏み込む。
今度は、彼から攻めた。
拳ではない。
爪でもない。
体全体。
肩、肘、膝、額、牙。
全身を武器にする魔物の戦い。
「――し」
まだ未完成の技だった。
だが、成立していた。
拳で剣を上げさせ、膝で足を止め、額で視界を潰し、爪で記録板を狙う。
アレクはそれを受ける。
剣で拳を流す。
足を引いて膝を避ける。
額を肩で受ける。
爪を白銀の刃で弾く。
だが、全てを防げない。
爪の一本が、記録板の革紐を切った。
記録板が胸から外れかける。
アレクは左手で押さえる。
その瞬間、剣が片手になる。
ガルザヴェインはそれを見逃さなかった。
拳が、アレクの剣へ叩き込まれる。
白銀の剣が軋んだ。
ひびが広がる。
「っ……!」
アレクが後退する。
記録板を守った。
だが、剣が傷ついた。
ガルザヴェインは、金色の目でその選択を見ていた。
「ケン、ヨリ、キロク」
アレクは息を荒げながら答える。
「そうだ」
「ナゼ」
「剣は俺のものだ。記録は、全員のものだ」
ガルザヴェインは、また少し考えた。
戦闘中に。
傷だらけで。
それでも考えている。
「ゼンイン」
「そうだ」
「シンダ、ゼンイン」
「ああ」
「オマエ、モツ」
「ああ」
ガルザヴェインの魔神性が、静かに揺れた。
乱れるのではない。
形を変えるように。
フィルエが白い部屋で呟いた。
「ロード、ガルザヴェインが変わってる」
「見えている」
「この戦い、ただの討伐じゃない」
「ああ」
ガルザヴェインは、強さの理由を見ている。
仲間。
記録。
帰還。
役割。
守るもの。
今まで彼が外で持てなかったもの。
迷宮に入ってから学び始めたもの。
そのすべてが、アレクという人間の最高到達点の中に凝縮されている。
だから、この戦いはガルザヴェインに必要だった。
◇
アレクの体は、もう限界だった。
Sランク相当の魔力反応。
人間種の通常最高到達点。
だが、その境地に体が慣れていない。
仲間の死と、記録を持ち帰るという強烈な目的で、無理やりそこへ届いている。
命を燃やし、骨を削り、血を代償にしている。
長引けば、死ぬ。
それでも、彼は出口を見た。
ガルザヴェインの背後。
白い光。
外縁接続路。
あと、少し。
アレクは息を吸った。
これが最後だと分かっていた。
剣はひび割れている。
体は裂けている。
記録板も壊れかけている。
次の一撃で抜ける。
抜けられなければ、終わる。
「白銀剣奥義――」
剣の光が、再び集まる。
先ほどの人極一閃ほど大きくない。
だが、さらに鋭い。
薄く、細く、真っ直ぐ。
「」
帰るための一閃。
敵を倒すためではない。
道を開くための奥義。
アレクは、ガルザヴェインではなく、彼の横の空間を斬った。
そこを抜けるために。
白銀の剣が、出口へ向かう道を切り開く。
ガルザヴェインの目が見開かれる。
速い。
美しい。
そして、ずるいほど正しい。
戦うためではなく、帰るための剣。
だが、ガルザヴェインは笑った。
「ソレ、ツヨイ」
彼は、踏み込まなかった。
退かなかった。
ただ、鐘を鳴らした。
ごん。
魔神進軍鐘の音が、迷宮の外縁接続路に響く。
その音は軍勢を動かさない。
今回は、彼自身の足を動かした。
ほんの半歩。
だが、その半歩で、ガルザヴェインはアレクの帰天一閃の先へ入った。
白銀の刃が、ガルザヴェインの脇腹を深く裂く。
黒い血が噴き出す。
骨まで届いた。
普通なら、避ける。
受けるなら腕で受ける。
だが、ガルザヴェインは脇腹で受けた。
両腕を自由にするために。
記録板を狙うためではない。
アレク本人を掴むために。
ガルザヴェインの両腕が、アレクの体を捕まえた。
「捕まえた」
不完全な言葉ではなかった。
はっきりとした言葉だった。
アレクの目が揺れる。
「……っ!」
ガルザヴェインの爪が、アレクの背に食い込む。
剣を持つ腕を封じる。
出口への一歩を止める。
アレクは剣を引こうとする。
剣はガルザヴェインの脇腹に食い込んだまま抜けない。
ガルザヴェインが、額をアレクの額へぶつけた。
鈍い音。
アレクの視界が揺れる。
それでも、彼は記録板を守ろうとする。
左腕が動く。
ガルザヴェインは、その腕を見た。
「キロク」
アレクは、血を吐きながら言った。
「……渡さない」
「ワタサナイ」
ガルザヴェインは、その言葉を繰り返す。
そして、少しだけ静かな声で言った。
「ナラ、オマエゴト、トル」
黒い魔力が、両腕に集まる。
潰すのではない。
引き裂くのでもない。
抱え込んだまま、魔神性を叩き込む。
アレクの体が軋む。
骨が折れる。
記録板を守る左腕も、力が抜けていく。
だが、彼は最後まで離さない。
「……帰る」
アレクが言った。
声は小さかった。
「帰って……伝える……」
「カエレナイ」
ガルザヴェインが答える。
「オレ、トメル」
アレクは、笑った。
血に濡れた、ひどく疲れた笑みだった。
「なら……伝えられないな」
彼の視線が、白い霧の奥を向く。
まるで、そこに王都があるかのように。
「マルク……すまない」
それから、彼は最後の力で剣を握った。
ガルザヴェインの脇腹に刺さったままの白銀剣。
その刃へ、残った全魔力を流す。
記録板を持ち帰れないなら。
せめて、目の前の魔神を深く傷つける。
それが最後の抵抗だった。
「白銀剣技――」
剣が、内側から光った。
ガルザヴェインの脇腹の中で。
白銀の光が爆ぜる。
魔神の腹が裂ける。
黒い血と魔力が吹き出す。
ガルザヴェインが、初めて苦痛に顔を歪めた。
「グ……!」
だが、離さない。
離さなかった。
魔神の両腕が、アレクをさらに強く締めた。
アレクの体が折れる音がした。
白銀の剣が、根元から砕けた。
記録板が、アレクの胸元でひび割れる。
だが、完全には砕けない。
ガルザヴェインは、砕けた剣の柄ごとアレクの体を押さえつけたまま、最後に牙を剥いた。
「ツヨカッタ」
彼は言った。
「オマエ、ツヨカッタ」
そして、魔神の爪が、アレクの心臓を貫いた。
《Sランク相当覚醒冒険者:アレク・ヴァイス、死亡》
《獲得ソウル:180,000》
《取得:白銀剣覚醒片、人極一閃の記録、帰天一閃の記録、記録守護意思、仲間喪失による限界突破記憶》
白い霧が、静かになった。
◇
ガルザヴェインは、しばらく動かなかった。
アレクの体を抱えたまま。
白銀の剣の破片が、彼の脇腹に刺さっている。
黒い血が、白い床へ滴っている。
記録板は、アレクの胸元で割れていた。
だが、文字は残っている。
マルクの最後の査定。
灰白庭はSランク相当。
ガルザヴェインは、その記録板を見た。
そして、白い部屋の方へ差し出した。
「ロード」
「回収する」
白磁根が静かに伸び、記録板を受け取った。
外へは出ない。
情報は、漏れない。
アレクは、帰れなかった。
だが、彼が守った記録は、迷宮の中に残った。
余のものとして。
白い部屋に、記録板が運ばれてくる。
血に濡れ、ひび割れ、しかし読める。
白骨書記が、それを受け取った。
いつもより慎重に。
骨筆を止め、両手で受け取る。
⸻
回収物:
王国ギルド再査定記録板
最終査定:灰白庭はSランク相当
⸻
白骨書記は、さらに書く。
⸻
持ち帰り不能。
しかし、査定は成立。
⸻
余は、その文字を見て黙った。
調査隊は帰らなかった。
Aランク二組も帰らなかった。
アレクも帰らなかった。
だが、査定はここにある。
外へ出なかっただけだ。
そして、迷宮側にも条件として刻まれた。
《条件確認中》
《大規模スタンピード殲滅》
《魔神ゴブリン契約》
《王国認定調査隊討伐》
《Aランクパーティ二組討伐》
《Sランク相当覚醒冒険者討伐》
《再査定記録、迷宮内回収》
《条件統合》
白い部屋の壁面が、静かに光った。
だが、その前に、別の表示が浮かぶ。
《契約存在:魔神ゴブリン・ガルザヴェイン》
《Sランク相当覚醒冒険者討伐を確認》
《強敵討伐経験を確認》
《戦闘中学習を確認》
《仲間・記録・帰還目的への認識変化を確認》
《迷宮契約下での役割定着を確認》
《進化条件達成》
ガルザヴェインの体が、黒い光に包まれた。
「……来たか」
余は呟いた。
ガルザヴェインは、アレクの亡骸をそっと床へ置いた。
乱暴ではなかった。
それは、彼なりの敬意だったのかもしれない。
次の瞬間、魔神進軍鐘が鳴った。
ごん。
今までより低く、深い音。
ガルザヴェインの背から、黒い魔力が噴き上がる。
ただ荒れるのではない。
形を持つ。
鎧のように。
王冠ではない。
玉座でもない。
だが、戦場に立つ者の威圧。
彼の角が伸びる。
未成熟だった角が、少しだけ形を整える。
体の傷が塞がるのではなく、傷跡として刻まれる。
アレクにつけられた白銀の傷も、グズにつけられた泥の打痕も、折剣濁白騎士の剣傷も、すべてが戦歴として残る。
魔神ゴブリンではない。
ただ強さを求める未成熟の怪物ではない。
役割を得た。
戦う意味を少しだけ知った。
ロードの命令を守り、強敵を迎撃し、記録を外へ出さなかった。
そして、人間の最高到達点を倒した。
《魔神ゴブリン・ガルザヴェインは、ゴブリン・ガルザヴェインへ進化しました》
《新能力を確認》
《:ゴブリン系魔物を役割に応じて段階的に強化可能》
《強敵嗅ぎ(きょうてきかぎ):迷宮内高位侵入者への感知強化》
《魔神進軍鐘・:訓練済みゴブリン部隊への精密指揮が可能》
《:強敵による傷を戦闘経験として定着》
ガルザヴェインは、ゆっくり立ち上がった。
以前より、静かだった。
強くなったのに、暴れない。
むしろ、魔力が収まっている。
金色の目が、白い部屋の方を向く。
「ロード」
「何だ」
「アレク、ツヨカッタ」
「ああ」
「ナカマ、キロク、カエル。ソレ、ツヨイ」
「そうだ」
ガルザヴェインは、自分の胸に残る白銀の傷を見た。
「オレ、オボエル」
余は、少しだけ黙った。
「覚えておけ」
「ウン」
魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェインは、静かに頷いた。
その姿を見て、余は思った。
これは、ただの戦力強化ではない。
迷宮は、また別のものを抱えた。
強さを求める魔神に、戦いの意味が少し宿った。
それが良いことなのか、悪いことなのか。
今はまだ分からない。
だが、少なくとも。
アレク・ヴァイスという人間は、死んでも何かを残した。
敵である余の迷宮にすら。
◇
白い部屋に、管理音声が響く。
《迷宮ランク再査定を開始》
壁面が白く光る。
《大規模スタンピード殲滅実績、確認》
《Sランク魔物契約および進化、確認》
《Aランクパーティ二組討伐、確認》
《王国認定調査隊討伐、確認》
《Sランク相当覚醒冒険者討伐、確認》
《迷宮独自報酬構造、継続稼働》
《複合迷宮構造、拡張済み》
《深部防衛戦力、基準超過》
《総合判定》
余は、白い部屋の中央でその表示を見ていた。
フィルエが森灰観測室から静かに息を呑む。
白骨書記が、骨筆を構える。
魔神戦王となったガルザヴェインは、外縁接続路でアレクの死体の前に立っている。
夜棺白庭では、ヴェルグレイヴがまだ眠っている。
グズも、ハイハネも、カゲヌイも、湿骨軍列も、軍帰路喰らいも、損傷しながら待っている。
そして、管理音声が告げた。
《霧灰白庭迷宮は、AランクからSランクへ昇格しました》
白い部屋に、しばらく静寂が落ちた。
余は、ゆっくり笑った。
「……そうか」
Aランクではない。
人間の査定官も、そう書いた。
管理音声も、そう告げた。
霧灰白庭迷宮は、Sランク迷宮になった。
だが、外の人間はまだ知らない。
調査隊は戻らない。
Aランク二組も戻らない。
Sランクへ覚醒したアレクも戻らない。
彼らが持ち帰るはずだった答えは、余の手元にある。
白骨書記が、静かに骨板へ書いた。
⸻
人間側再査定結果:
持ち帰り不能。
迷宮側再査定結果:
Sランク到達。
⸻
余は、その文字を見て、白い霧の外を思った。
封鎖線。
王都。
ギルド。
待っている者たち。
彼らは、帰らない調査隊を待つことになる。
そして、やがて知る。
灰白庭へ入ったAランク二組と調査隊は戻らなかった。
外部観測では、一瞬だけSランク相当の人間反応が発生し、それも消えた。
それが何を意味するか。
人間どもは、震えながら考えるだろう。
「測りに来たな」
余は、血に濡れた記録板を見下ろした。
「測った結果は、余がもらう」
外縁接続路で、ガルザヴェインがアレクの折れた白銀剣を拾い上げた。
刃は砕けている。
だが、白銀の光がまだ少しだけ残っていた。
彼はそれをじっと見てから、白い部屋の方へ差し出す。
「ロード」
「それも回収する」
白磁根が伸び、折れた剣を受け取る。
これもまた、迷宮の素材になる。
人間の最高到達点の剣。
仲間の記録を守ろうとした剣。
そして、魔神戦王に傷を残した剣。
余は静かに言った。
「アレク・ヴァイス」
敵の名を、初めて口にした。
「お前の査定は、正しかったぞ」
霧灰白庭迷宮は、Sランクになった。
そして、白い霧はまた静かに閉じていった。