余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
エリラの芽が白い土を破ってから、八日目。
ルオ・ゼルファニアは、霧灰白庭迷宮の中を歩いていた。
今日は果物を食べに来ただけではない。
フィルエから、
「芽の近くでは走らない」
「ガルザヴェインと組み手しない」
「触る前に聞く」
と三度も念を押されたため、本当にゆっくり歩いている。
非常に珍しい。
だが、その代わり。
ルオは普段よりも長く、迷宮の中を見ていた。
浅層。
白灰薬果林。
グズの黒泥城。
ハイハネの霧。
カゲヌイの影。
湿骨王列。
傷から回復しつつある霧喰い刃ゴブリンたち。
そして、覇王練兵窟で歩行訓練をしているガルザヴェイン。
ルオは一通り見た後、妙な顔をした。
「ロード」
「何だ」
「前から思ってたんだけどさ」
「嫌な言い方だな」
「ここ、魔物少なくない?」
白い部屋が静まり返った。
「……少ない?」
「うん」
ルオは周囲を見回す。
「一体一体は強いぞ」
「当然だ」
「ガルザヴェインはすげー強い」
「当然だ」
「グズも便利だし、ハイハネとカゲヌイも面倒だし、骨の奴らも数えづらい」
「褒めているのか?」
「褒めてる」
ルオは少し考えてから続けた。
「でも、数が少ない」
「他と比べてか」
「うん」
「お前、他の迷宮へも入ったことがあるのか」
「散歩してたら、たまに入る」
「迷宮を何だと思っている!」
「洞窟より面白い場所」
「お前の基準は聞いていない!」
ルオは気にせず話を続ける。
「オレが見た大きい迷宮は、もっと魔物がいたぞ」
「どれほどだ」
「何百。多いところだと、もっと」
「何百……」
「強い奴が前で戦っても、後ろから次の群れが出てきた」
ルオは、覇王練兵窟の方を見る。
「ここは、ガルザヴェインが倒れたら急に苦しくなる」
その言葉に。
余は何も返せなかった。
黒冠軍戦。
三十五人との連戦。
赫月の晩餐。
全て、そうだった。
ガルザヴェインは強い。
グズたちも、成長している。
だが、一度大きな戦いをすれば、次に出せる戦力がない。
傷ついた配下を休ませる間、迷宮全体が無防備に近くなる。
赫月の晩餐は、そこを狙った。
三十五人を先に入れ。
こちらが疲弊した直後に侵入した。
結果。
余は配下を守るため、道を開けるしかなかった。
「管理音声」
《はい》
「現在の戦力数を確認しろ」
《戦闘可能配下を集計します》
壁面に、現在の戦力が表示される。
個体として数えられる戦闘配下。
軍列として動かせる骨兵。
負傷中のゴブリン。
霧、影、泥の特殊個体。
数え方の違いはある。
だが。
《常時運用可能な戦闘個体数は、同格迷宮の平均を大きく下回っています》
「……ルオの言う通りか」
《はい》
「ほらな」
ルオが少し得意そうに胸を張る。
「なぜお前が偉そうなのだ」
「気づいたから」
フィルエが、エリラの芽の前から言った。
「ロード」
「何だ」
「増やす?」
余は、白い迷宮全体を見た。
強い個体だけでは足りない。
罠だけでも足りない。
戦える者。
交代できる者。
傷ついた仲間を下げ、その間を埋める者。
軍が必要だ。
「増やす」
余は決めた。
「今度は、百や二百では足りないとは言わせん」
◇
白い部屋へ、ダンジョン新聞を呼び出した。
「購入欄を開け」
《ダンジョン新聞・迷宮取引欄を表示します》
黒い紙面が広がる。
罠。
魔物。
区画。
進化素材。
軍団一括購入。
通常なら一体ずつ選ぶ。
だが、今欲しいのは個ではない。
数。
そして、最初から軍として動ける兵。
「ゴブリン軍団を探せ」
《検索します》
紙面が切り替わった。
⸻
《軍団一括商品》
商品名:
覇牙強兵ゴブリン軍団
内容:
強制強化済みゴブリン百二十体。
全個体へ基礎身体強化、恐怖耐性、軍列理解、命令共有能力を付与済み。
構成:
・覇牙盾兵 二十体。
・覇牙槍兵 三十体。
・覇牙刃兵 三十体。
・覇牙弓兵 二十体。
・覇牙術兵 十体。
・覇牙小隊長 十体。
指揮官:
購入者側で指定。
価格:
4,800,000ソウル。
注意:
個体ごとの自我あり。
食料、寝床、訓練区画が必要。
一括返品不可。
⸻
「百二十体」
最低百。
条件は満たしている。
しかも、強制強化済み。
ただ数だけを増やすのではない。
軍列を理解し。
命令を共有し。
ガルザヴェインの号令へ応じられる。
「指揮官は」
《指定してください》
「決まっている」
余は、覇王練兵窟へ声を送った。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「百二十体のゴブリンを、お前に預ける」
ガルザヴェインの足が止まった。
「ヒャクニジュウ」
「ああ」
「オレガ、ヒキイル?」
「そうだ」
ガルザヴェインは、しばらく黙った。
強敵と戦うと言われた時なら、すぐに目を輝かせただろう。
だが今度は違う。
百二十の命。
百二十体の仲間。
守り。
率い。
死なせないように動かす責任。
「ムズカシイ」
「ああ」
「デモ」
ガルザヴェインは、ゆっくり拳を握った。
「ヤル」
「よし」
《指揮官を魔神覇王ゴブリン・ガルザヴェインに設定》
《購入を承認しますか》
「承認だ」
《4,800,000ソウルを消費します》
◇
覇王練兵窟の床に、百二十の魔法陣が現れた。
一列ではない。
役割ごとに分けられた六つの軍列。
白い光が立ち上がる。
最初に現れたのは、二十体の盾兵。
通常のゴブリンより一回り大きい。
片腕に、体の半分を覆える黒い盾。
その後ろへ、長槍を持つ三十体。
短い刃を二本持つ三十体。
小型弓を背負った二十体。
骨杖と灰色の布を持つ術兵十体。
そして、胸に小さな牙印を刻んだ小隊長十体。
百二十体が、光の中から現れた。
誰も騒がない。
誰も勝手に走らない。
全員が整列したまま、中央に立つガルザヴェインを見る。
「……」
ガルザヴェインも、百二十体を見ていた。
自分と同じゴブリン。
だが、今までの小さな群れとは違う。
最初から兵として強化された者たち。
一体が、拳を胸へ当てた。
「ギャッ!」
百十九体も続く。
「ギャッ!」
声が重なり、覇王練兵窟を震わせた。
ガルザヴェインは、ゆっくり前へ出る。
「オレ、ガルザヴェイン」
百二十体が聞く。
「オマエラ、オレノ、ドレイ、チガウ」
余は、その言葉に少し驚いた。
「オマエラ、ロードノ、ナカマ」
ガルザヴェインの金色の目が、全軍を見る。
「オレモ、ナカマ」
一体の盾兵が、わずかに顔を上げた。
「タタカウ」
ガルザヴェインが拳を握る。
「デモ、ムダニ、シナナイ」
黒冠軍戦。
赫月の晩餐戦。
守れなかった仲間の記憶が、その声に乗っている。
「オレ、マモル」
百二十体へ向けて。
魔神覇王が、初めて軍へ命じた。
「オマエラモ、マモレ」
沈黙。
次の瞬間。
百二十体が、武器を床へ打ちつけた。
「ギャアアアアッ!」
盾。
槍。
刃。
弓。
杖。
その全てが一つの音になる。
《軍団登録》
《正式名称を指定してください》
「魔神覇王直属」
余は言った。
「覇牙軍団」
《登録しました》
⸻
魔神覇王直属・覇牙軍団。
総数:百二十体。
軍団長:ガルザヴェイン。
⸻
ガルザヴェインは、軍団の前に立った。
もう。
ただ一人で前へ出る覇王ではない。
百二十の牙を率いる王になった。
◇
「ロード」
フィルエが呼ぶ。
「何だ」
「前からいたゴブリンたち、大丈夫?」
その言葉で、余も気づいた。
霧喰い刃ゴブリンたち。
赤金果守ゴブリンたち。
以前から迷宮にいる、小さな配下。
突然現れた百二十体の強化兵を、少し離れた場所から見ている。
「自分たちはいらなくなる」
そう思った個体もいるかもしれない。
「全ゴブリンへ伝えろ」
マネが余の声を迷宮へ広げる。
「新しい兵は、お前たちの代わりではない」
小さな耳が動く。
「お前たちを守るために増やした」
霧喰い刃ゴブリンが顔を上げる。
「役割は消えない」
赤金果守ゴブリンたちも。
「新しい軍団が来ても、お前たちが余の配下であることは変わらない」
しばらくして。
霧喰い刃ゴブリンの一体が、覇牙軍団へ近づいた。
新しい刃兵が、その小さな個体を見る。
体格は違う。
装備も違う。
だが、同じゴブリン。
覇牙刃兵が拳を差し出した。
霧喰い刃ゴブリンも、小さな拳を当てる。
「ギッ」
「ギャッ」
それで十分だった。
◇
次は。
軍帰路喰らいの落武者。
一度、ゼルヴァンの黒冠隷命に呑まれ。
黒帰将へ変質し。
ガルザヴェインの覇王威令によって取り戻された存在。
現在は、深部の影で静かに立っている。
灰白の鎧。
長い刃。
以前より強くなってはいる。
だが、黒冠との融合で受けた傷は、まだ魂の奥に残っていた。
「落武者」
灰白の兜が、わずかに余へ向く。
「お前へ、新しい力を与える」
反応はない。
だが、聞いている。
「ただし」
余は、封印保存していた赤い欠片を表示した。
レオルド・ヴァンゼル。
SSランクへ覚醒した際に生まれた、人外核の残り。
強烈な怒り。
執念。
自分の弱さを許せなかった醜い感情。
そのまま使うつもりはない。
「管理音声」
《はい》
「人格も、執念も、全て消せ」
《完全浄化には480,000ソウルが必要です》
「承認する」
《480,000ソウルを消費》
赤い欠片が、白い炎に包まれる。
レオルドの声が聞こえた気がした。
俺は弱くない。
俺が正しい。
俺が上だ。
その残響が、一つずつ白い炎に焼かれる。
怒りが消える。
傲慢が消える。
執着が消える。
最後に残ったのは。
人間の限界を突破した魂格。
高密度の魔力。
赤い月の力。
ただ、それだけ。
《人外核残滓、浄化完了》
「人格反応は」
《検出されません》
「よし」
これなら使える。
レオルドは要らない。
あいつの力だけを。
余の配下の次へ繋げる。
「落武者へ融合した場合は」
《進化可能性あり》
《ただし、結果は完全には予測できません》
「危険度は」
《高》
「本人の意思は」
灰白の落武者が、一歩前へ出た。
長い刃を、床へ立てる。
兜の奥で、淡い光が灯った。
「……受ケル」
初めて。
はっきりした声を聞いた。
「喋れたのか」
「今、喋ッタ」
「そうだな」
自分でも驚いているらしい。
「本当に受けるのだな」
「軍ヲ」
落武者が、空の通路を見る。
「守ル、軍ヲ」
かつて。
帰れなかった軍の残響だった存在。
今度は。
帰る場所を守る軍を率いる。
「承認する」
《進化費用:1,800,000ソウル》
《実行しますか》
「実行だ」
◇
浄化された人外核残滓が、落武者の胸へ入った。
灰白の鎧が揺れる。
最初に広がったのは、赤い光だった。
だが。
レオルドの赤ではない。
血のような赤は、鎧の中で黒く沈む。
その上から、青白い死の光が重なった。
赤い月が。
死者を照らす、暗い月へ変わる。
落武者の鎧が大きくなる。
肩当て。
胸当て。
腰の外套。
全てが、古い将軍の鎧へ変わっていく。
長い刃も。
片刃の大剣へ姿を変えた。
背後に、青黒い月が浮かぶ。
《進化反応》
《軍帰路喰らいの落武者、進化》
《新規個体》
《冥月骸将》
鎧の将軍が、片膝をついた。
「ロード」
「名が必要だな」
余は、青黒い月を見る。
影。
死者。
それでも、夜を照らす月。
「カゲツ」
兜の奥の光が揺れる。
「お前の名は、カゲツだ」
「カゲツ」
一度、自分で繰り返す。
「拝命」
冥月骸将カゲツ。
新しい将軍が、白い迷宮に生まれた。
◇
「将軍だけでは、軍にならんな」
《百体規模のスケルトンナイト軍団を購入可能です》
「表示しろ」
⸻
《骸騎士軍団・一括召喚》
内容:
強化済みスケルトンナイト百体。
構成:
・盾騎士 二十体。
・槍騎士 三十体。
・剣騎士 三十体。
・弓騎士 十体。
・術騎士 十体。
指揮系統:
冥月骸将との接続可能。
特殊特性:
骨が残存する限り、指揮官の能力による再編成が可能。
価格:
3,500,000ソウル。
⸻
「購入だ」
《承認しますか》
「承認」
《3,500,000ソウルを消費》
深部の新しい骨兵区画に、百の青白い魔法陣が浮かぶ。
盾を持つ骨の騎士。
長槍を持つ騎士。
剣。
弓。
骨杖。
全員が、湿骨王列とは違う。
最初から個別の騎士として組まれている。
鎧には、青黒い月の紋。
百体が現れ。
一斉にカゲツへ向いて、片膝をついた。
カゲツは、大剣を掲げる。
「冥月軍令」
声を張らない。
それでも。
百体の頭蓋の奥へ、青い光が同時に灯った。
「立テ」
百体が、一つの音で立ち上がる。
盾。
槍。
剣。
弓。
杖。
隊列が一瞬で完成した。
《軍団名を指定してください》
「正式名は」
余は、百の骸骨騎士を見る。
「冥月百骸騎士団」
《登録しました》
「普段は、百骸騎士団と呼ぶ」
「承知」
カゲツが頭を下げる。
⸻
冥月骸将カゲツ直属。
冥月百骸騎士団。
総数:百体。
⸻
正面を受ける骨の軍。
通路を塞ぐ盾。
逃げ道を断つ槍。
砕かれても、骨を集めて再び陣へ戻す将軍。
覇牙軍団が動の軍なら。
百骸騎士団は、静かに敵を閉じ込める死の軍だった。
◇
ルオは、二つの軍を見て腕を組んだ。
「今度は多いな」
「誰の指摘だと思っている」
「オレ」
「得意そうにするな」
「でも、これなら連戦できる」
フィルエが聞く。
「ガルザヴェインとカゲツは、どっちが上?」
「役割が違う」
余は答えた。
「ガルザヴェインは、覇牙軍団を率いて前線を崩す」
「ウン」
「カゲツは、百骸騎士団で道を塞ぎ、敵を逃がさない」
「拝命」
「どちらが上という話ではない」
ルオは二人を見る。
「戦ったら?」
「戦わせるな!」
ガルザヴェインとカゲツが、互いを見た。
ほんの一瞬。
ガルザヴェインの目が光る。
カゲツの兜の奥も光る。
「考えるな!」
「カンガエテナイ」
「未思考」
「絶対に嘘だ!」
◇
軍は増えた。
百二十体。
百体。
合計二百二十体。
これだけでも十分なはずだった。
だが。
ダンジョン新聞の購入欄に、一つだけ妙な商品が残っていた。
黒い枠。
中身の説明が、ほとんどない。
⸻
《限定商品》
未知高位魔物・封印召喚
入手数:
一体。
危険度保証:
SランクからSSSランク。
種族:
購入後まで非公開。
属性:
非公開。
大きさ:
非公開。
性格:
非公開。
能力:
非公開。
返品:
不可。
再抽選:
不可。
価格:
8,000,000ソウル。
注意:
必ずしも購入者の希望する形状・役割・性質とは限りません。
⸻
「……怪しい」
《はい》
「何が出る」
《購入前には開示されません》
「最低でもSランク」
《はい》
「最高ならSSS」
《はい》
「ゴブリンかもしれない?」
《可能性があります》
「竜かもしれない?」
《可能性があります》
「虫かもしれない?」
《可能性があります》
「巨大な何かが出て、迷宮を壊す可能性は」
《否定できません》
「買うなよ、ロード」
ルオが言った。
「なぜだ」
「絶対、変なの出るぞ」
「お前に言われたくない!」
「オレは商品じゃないぞ!」
「変なのではある!」
フィルエが商品欄を見る。
「返品できない」
「ああ」
「性格も分からない」
「ああ」
「危ないかも」
「ああ」
「買うの?」
余は、現在の戦力を見た。
前線は増えた。
軍もできた。
だが。
命の苗床へ至る最後の一線。
ガルザヴェインも。
カゲツも。
軍団も。
全てを越えた敵が来た時。
最後に立つものが、まだ必要だ。
「買う」
「ロード」
「最低でもSランクだ」
ルオが嫌そうな顔をする。
「そういう賭け方する奴、だいたい外すぞ」
「余は迷宮の王だ!」
「関係ある?」
「ある!」
《購入を承認しますか》
一瞬。
本当に一瞬だけ迷った。
「承認だ!」
《8,000,000ソウルを消費します》
◇
白い部屋の中央に。
黒い箱が落ちてきた。
大きくない。
両手で抱えられる程度。
「小さいな」
ルオが覗き込む。
「巨大な竜ではなさそう」
「まだ中で縮んでいる可能性がある」
「箱から出した瞬間、大きくなるかも」
「怖いことを言うな!」
フィルエとガルザヴェイン。
カゲツ。
マネ。
グズ。
ハイハネ。
カゲヌイ。
赤金果守ゴブリンたち。
覇牙軍団。
百骸騎士団。
全員が、少し離れた場所から箱を見ている。
「開けるぞ」
黒い箱の留め金を外す。
蓋が。
ゆっくり開いた。
中から。
ぬるり。
透明に近い、暗い緑色の何かが出てきた。
「……」
拳ほどの大きさ。
丸い。
柔らかい。
床の上で、ぷるんと揺れる。
「スライム?」
ルオが言った。
余も見た。
どう見ても。
小さなスライムだった。
「これが?」
《解析を開始します》
「Sランク以上?」
《解析中》
スライムは、その場で一度だけ跳ねた。
ぽよん。
赤金果守ゴブリンたちが、少し安心したように近づこうとする。
「待て!」
余が止めた。
遅かった。
スライムの体から、一滴だけ床へ落ちる。
じゅううううううっ。
白磁の床が。
煙を上げて消えた。
「……え?」
深い穴が開く。
床だけではない。
その下の岩層まで。
何層も。
溶け続ける。
「全員、下がれええええっ!」
配下たちが一斉に後退した。
ガルザヴェインまで、思わず一歩下がる。
スライムは、何も知らないように揺れている。
ぷるん。
《解析完了》
《未登録高位魔物》
《種族仮称》
《万蝕酸界粘体》
《危険度》
《SSSランク候補》
白い部屋が静まり返った。
「……SSS?」
《候補です》
「これが?」
《はい》
小さなスライムが、また跳ねた。
床がさらに溶ける。
「止めろ! 動くな!」
スライムが止まった。
余の命令は聞くらしい。
購入契約によって、最低限の繋がりはある。
「能力を出せ」
⸻
《万蝕酸界粘体》
身体構成:
全身が超高濃度溶解酸。
物理攻撃:
無効。
斬撃、打撃、刺突による損傷なし。
物理攻撃を受けた場合、体液が飛散する危険あり。
魔法攻撃:
有効。
接触効果:
人間、魔物、武具、壁、床を問わず溶解。
例外:
接触対象の総魔力量が、当該個体を上回る場合。
対象自身の魔力によって酸が押し返され、溶解は発生しない。
⸻
「魔力量が、こいつより上なら溶けない」
《はい》
「こいつの魔力量は」
《極めて高いです》
「具体的に」
《現在のガルザヴェインを上回ります》
ガルザヴェインが、スライムを見る。
「オレヨリ」
《はい》
「サワル」
「やめろ!」
ガルザヴェインが指先を、ほんの少しだけスライムへ近づけた。
触れた。
じゅっ。
黒い皮膚から煙が上がる。
「熱ッ!」
「馬鹿者!」
ガルザヴェインが急いで手を引く。
フィルエが、エリラの実を持って駆け寄った。
「触らない!」
「スコシ、ダッタ」
「少しでも駄目!」
スライムは、悪びれずに揺れている。
ルオがしゃがみ込んだ。
「じゃあ、オレなら?」
「触るな!」
「魔力量、こいつより多いぞ」
「本当か」
《比較します》
《ルオ・ゼルファニアの総魔力量が上回っています》
「ほら」
ルオは、ゆっくり指を伸ばした。
透明なスライムの表面へ触れる。
煙は出ない。
皮膚も溶けない。
スライムの方が、ルオの指へ寄ってきた。
ぷるん。
「冷たい」
「本当に溶けていないな」
「ちょっとぬるぬるする」
「余計な感想はいらん!」
スライムは、ルオの手へ少しだけ体を乗せようとした。
「持ち上げるな!」
「まだ持ってない!」
「絶対に落とすな!」
「ロード、心配しすぎ!」
「落ちた場所が消えるのだぞ!」
◇
「名前がいるな」
フィルエが言った。
「この危険物にか」
「配下だから」
確かに。
名無しのままでは命令しづらい。
小さなスライムが。
泡を一つ出した。
「うる……ぐる……」
「今、声を出したか?」
《発声器官は確認できません》
「でも、ウルグって聞こえた」
ルオが言う。
スライムが、もう一度揺れる。
「うるぐ」
「……ウルグ」
悪くない。
短い。
呼びやすい。
「お前の名は、ウルグだ」
スライムが跳ねた。
「跳ねるな!」
じゅうううっ。
また床が溶けた。
《個体名登録》
《蝕界のウルグ》
小さな体。
だが、触れればほとんどの存在が溶ける。
物理攻撃は無効。
魔法攻撃だけが有効。
そして。
ウルグを上回る魔力量がなければ、接触した時点で肉体も装備も消える。
本当に。
最悪の当たりだった。
いや。
防衛用としては、最高の当たりかもしれない。
◇
「専用区画が必要だ」
《はい》
「今すぐだ!」
このまま白い部屋へ置けば、床がなくなる。
「命の苗床の一つ前」
余は迷宮図を開いた。
「エリラの芽へ至る、最後の区画だ」
フィルエが顔を上げる。
「ウルグを置くの?」
「ああ」
「芽の近くで大丈夫?」
「近くには置かん」
現在。
命の苗床へは五重の防衛路がある。
だが、それらの道を全て。
一つの区画へ繋ぎ直す。
「苗床へ向かう者は、必ずウルグの区画を通る」
《構造変更可能》
「迂回路は」
《作成しません》
「壁抜けは」
《苗床周辺の空間固定により遮断可能》
「転移は」
《同様に遮断》
「掘って下から入る場合は」
《全経路を当該区画へ再接続します》
「つまり」
余は、迷宮図を見る。
「どの方法を使っても、ウルグを越えなければエリラの芽へ届かない」
《はい》
「形成しろ」
《専用区画形成費用:2,700,000ソウル》
「承認!」
◇
命の苗床の一つ前。
白い通路が大きく広がった。
床。
壁。
天井。
全てに、通常の白磁とは違う素材が使われる。
ウルグ自身の酸へ耐えるための、迷宮専用の耐蝕白晶。
部屋は広い。
だが、何もない。
水も。
橋も。
足場も。
最初は。
「ウルグを移す」
「どうやって?」
ルオが聞く。
「お前が運べ」
「オレ?」
「触れられるのはお前だけだ!」
「いいけど」
「絶対に落とすな」
「分かったって」
ルオが両手でウルグをすくう。
透明な酸の体が、ルオの手の中でぷるぷる揺れる。
配下たちは、全員かなり離れてついていく。
ガルザヴェインなど、先ほど溶かされた指を胸元へ隠していた。
「怖いのか」
「コワクナイ」
「手を隠しているぞ」
「タマタマ」
非常に分かりやすい。
ルオが専用区画の中央へウルグを置いた。
「ここな」
ウルグが、床へ広がり始める。
拳ほどだった体が薄くなる。
広がる。
さらに広がる。
床一面へ。
透明な膜となって。
やがて。
部屋全体の床が、ウルグの体になった。
《酸界拡張を確認》
床だけではない。
壁の下部。
天井から垂れる透明な滴。
全て、ウルグの一部。
侵入者が入れば。
一歩目から接触する。
「物理攻撃をすれば」
《体液が飛散し、接触範囲が拡大します》
「魔法なら倒せる」
《はい》
「ただし、弱い魔法では足りない?」
《有効な損傷を与えるには、高位魔法が必要です》
「魔力量がウルグより多い者なら、触れても溶けない」
《はい》
つまり。
力だけの戦士。
硬い鎧。
巨大な盾。
どれも意味がない。
比較されるのは。
ウルグ以上の魔力を持つかどうか。
それだけ。
「区画名を指定してください」
余は、透明な酸の海となった部屋を見た。
「万蝕酸界」
《登録しました》
⸻
最深部直前区画。
万蝕酸界。
守護個体:
蝕界のウルグ。
⸻
◇
「配下が通る時はどうするの?」
フィルエが聞いた。
「許可された者だけに、足場を出す」
余が命じると。
ウルグの体の上へ、白晶の足場が浮かび上がった。
一つ。
二つ。
苗床へ続く扉まで。
ロードが許可した時だけ現れる道。
「侵入者が乗った場合は」
《認証外個体の重量を感知した時点で、足場を消去可能》
「よし」
ガルザヴェインが、足場の端からウルグを見る。
「オチタラ」
「溶ける」
「……」
「落ちるなよ」
「オチナイ」
足が少し震えている。
「ガルザヴェイン、今日は通らなくていい」
フィルエが言う。
「ウン」
即答だった。
やはり怖いのだ。
カゲツは、酸界の入口へ立った。
「この先、我ガ軍モ配置スルカ」
「いや」
余は答えた。
「百骸騎士団は、一つ前で敵を削る」
「承知」
「万蝕酸界へ入った後は、ウルグ一体で受ける」
物理攻撃をする骸骨騎士を一緒に入れても、酸に巻き込まれる。
ここは。
ウルグだけの戦場だ。
「ルオ」
「何だ」
「お前は勝手にウルグを外へ持ち出すな」
「しないって」
「果物を食べさせるな」
「スライムって果物食うのかな」
「試すな!」
「聞いただけだろ!」
ウルグが、酸の床全体を小さく波打たせた。
まるで。
笑っているようだった。
◇
その夜。
白骨書記が、新しい戦力台帳を作った。
⸻
《霧灰白庭迷宮・新規戦力》
第一軍。
魔神覇王ゴブリン・ガルザヴェイン。
直属:
覇牙軍団。
総数:
百二十体。
役割:
前線突破。
機動戦。
変則戦。
敵軍の分断。
⸻
第二軍。
冥月骸将カゲツ。
直属:
冥月百骸騎士団。
総数:
百体。
役割:
正面防衛。
通路封鎖。
長期戦。
退路遮断。
⸻
最深部直前守護。
蝕界のウルグ。
種族:
万蝕酸界粘体。
危険度:
SSSランク候補。
配置:
万蝕酸界。
能力:
物理攻撃無効。
魔法攻撃有効。
全身超高濃度溶解酸。
ウルグを上回る魔力量を持たない接触者を溶解。
⸻
新規戦闘配下:
二百二十一体。
⸻
百二十のゴブリン。
百の骸骨騎士。
一体の酸の災害。
これまで。
余の迷宮には、強い個がいた。
だが。
数が足りなかった。
一度戦えば、次がなかった。
今は違う。
ガルザヴェインの後ろには、百二十の牙がいる。
カゲツの背後には、百の骸骨騎士が立つ。
その全てを越えた先には。
触れるだけで敵を溶かすウルグが待っている。
そして。
万蝕酸界のさらに奥。
五重の防衛路に守られた命の苗床で。
エリラの芽が、八枚の赤金色の葉を静かに広げていた。
「ロード」
フィルエが苗床から呼ぶ。
「何だ」
「これで、少し安心?」
余は、新しい軍を見た。
覇牙軍団。
百骸騎士団。
万蝕酸界。
十分か。
分からない。
世界には。
Sランクがいる。
SSランクがいる。
龍神の子がいる。
そして、まだ見たことのない存在がいる。
「少しだけだ」
余は答えた。
「だが、前よりは遥かにましだ」
ルオが言う。
「今度は、数が少ないって言わないぞ」
「当然だ」
「でも、ウルグは一匹だよな」
「一匹で十分すぎる!」
万蝕酸界の床が。
ぷるん、と一度だけ揺れた。
白い迷宮は。
二百二十一の新しい牙を得た。