余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
魔物を買えば、軍になる。
余は、ほんの少しだけそう思っていた。
百二十体の覇牙強兵ゴブリン。
百体のスケルトンナイト。
軍団として強化され、最初から盾、槍、剣、弓、術の役割まで分けられている。
ならば、並べて命じれば戦える。
そう考えていた。
甘かった。
「盾兵! 前!」
ガルザヴェインの声が、覇王練兵窟へ響く。
二十体の覇牙盾兵が、一斉に走り出した。
「ギャアッ!」
黒い盾を構え、横一列に並ぶ。
そこまではよかった。
「槍兵、後ロ!」
「ギャッ!」
三十体の槍兵が盾兵の背後へ入ろうとする。
だが、覇王練兵窟から出る通路は、軍隊が横一列のまま通れるほど広くない。
盾兵が詰まる。
槍兵が後ろからぶつかる。
さらに、その後ろから刃兵三十体が来た。
「ギャッ!?」
「ギギャッ!」
「ギャアアッ!」
百二十体のゴブリンが、通路の入口で固まった。
「……」
ガルザヴェインが黙る。
百二十体も黙る。
白い部屋で、余も黙った。
ルオだけが笑った。
「詰まったな」
「見れば分かる!」
「軍、出られないじゃん」
「分かっていると言っている!」
戦う以前の問題だった。
◇
黒冠軍や赫月の晩餐との戦いで分かったことがある。
強い配下がいるだけでは足りない。
数も必要だ。
だから、百二十体のゴブリン軍団と、百体の骸骨騎士団を手に入れた。
だが、数を増やせば。
今度は、その数を動かす場所が必要になる。
「管理音声」
《はい》
「主要軍用通路の幅を拡張しろ」
《対象範囲を指定してください》
「覇王練兵窟から中層まで。百二十体が、六列に分かれて動ける幅だ」
《必要ソウルを算出します》
「待て」
フィルエが、エリラの芽の前から口を挟んだ。
「全部広くするの?」
「そのつもりだ」
「広くしたら、侵入者も動きやすくなる」
「……」
正しい。
軍が動きやすい道は、敵にも動きやすい。
「ではどうする」
「ゴブリンだけが通れる道を、横に作る」
「横?」
「大きな人が通る道の横に、小さい道をたくさん」
壁の中。
床下。
天井近く。
ゴブリンの体なら通れる細い軍用路。
大型の侵入者には入れない。
それなら、敵の動きやすさを変えずに、覇牙軍団だけを動かせる。
「採用だ」
《小型軍用路を登録します》
「盾兵用は少し広くしろ。弓兵は天井側。刃兵は壁内。槍兵は通常通路の後ろから出す」
《承知しました》
白い壁の内部が動き始める。
細い道が、迷宮の各所へ伸びていく。
覇牙軍団の百二十体が、それを興味深そうに見上げていた。
「買っただけでは、軍にならんのだな」
《はい》
「先に言え」
《質問されませんでした》
「腹立たしい!」
◇
新しい道が完成するまで。
ガルザヴェインは、軍団を六つに分けて訓練することにした。
盾兵二十体。
槍兵三十体。
刃兵三十体。
弓兵二十体。
術兵十体。
小隊長十体。
ただし。
覇牙強兵は強化済みでも、この迷宮のことを知らない。
どこで霧が濃くなるか。
どの白い床が動くか。
グズの泥が、どの隙間から流れてくるか。
カゲヌイの影糸が、どこを通るか。
それを知っているのは、以前からいる配下たちだった。
「霧喰い刃ゴブリン」
余が呼ぶ。
小さなゴブリンたちが、少し緊張しながら出てきた。
覇牙刃兵は、彼らより体が大きい。
武器も良い。
基礎の力も上だ。
だが。
霧喰い刃ゴブリンたちは、この迷宮で何度も戦ってきた。
「お前たちは、覇牙刃兵へ霧の歩き方を教えろ」
「ギ?」
「お前たちが教える側だ」
小さな目が、大きく開く。
覇牙刃兵三十体も、霧喰い刃ゴブリンたちへ向き直った。
先頭にいた刃兵が片膝をつく。
目線を、古参の小さなゴブリンと同じ高さまで下げた。
「ギャッ」
「……ギ」
霧喰い刃ゴブリンは、少し迷ってから。
短い刃で、白い床に線を引いた。
「ギギッ」
霧の中で真っすぐ進むな。
影を見ろ。
壁の白い継ぎ目を目印にしろ。
言葉は少ない。
だが、覇牙刃兵たちは真剣に聞いていた。
「前からいたゴブリンたちは、いらなくならない」
フィルエが言う。
「ああ」
力が弱くても。
知っているものがある。
経験がある。
新しく来た強い者へ、教えられるものがある。
「マネ」
「ロード」
「各隊へ、命令を届ける役を頼む」
マネの体が、わずかに震えた。
黒冠軍に、余の声を奪われた記憶。
それでも。
「ヤル」
「無理なら言え」
「ヤル」
今度は、はっきり答えた。
マネはガルザヴェインの声を真似る。
「盾、前!」
覇牙盾兵が動く。
「槍、待つ!」
槍兵は走らない。
「刃、左右!」
壁内の小道へ、刃兵が分かれる。
偽の命令ではない。
ガルザヴェインの本当の指示を、軍全体へ広げる声。
マネは。
奪われた声を。
今度は、軍を動かすために使い始めた。
◇
冥月百骸騎士団の訓練は、覇牙軍団とはまったく違った。
騒がない。
詰まらない。
ぶつからない。
冥月骸将カゲツが、大剣をわずかに動かす。
「冥月軍令」
声は小さい。
それでも、百体の頭蓋の奥で青い光が同時に灯った。
盾騎士二十体が前へ。
槍騎士三十体が、その隙間へ槍を通す。
剣騎士三十体が左右へ。
弓騎士十体が後方の高台へ上がる。
術騎士十体が、骨杖を床へついた。
数秒。
それだけで、一つの大きな陣が完成した。
「……覇牙軍団より、まともに見えるな」
余が言う。
ガルザヴェインが、カゲツを見る。
「オレノ、グンモ、デキル」
「できるようにしろ」
「ウン」
カゲツが大剣を横へ向ける。
「百骸城陣」
盾騎士が盾を重ねる。
その後ろから、骨の騎士たちが互いの鎧と骨を組み合わせ始めた。
盾。
骨。
槍。
それらが、一つの白い城壁へ変わる。
隙間から槍先が並ぶ。
上部には弓騎士。
術騎士の青い結界が、壁全体を覆った。
「強いな」
ルオが言った。
「だが、動きが遅い」
余は答える。
百骸城陣は固い。
正面から突破するのは難しい。
だが、陣を作った後は速く動けない。
敵が別の道へ移れば、組み直す必要がある。
「覇牙軍団が敵を動かす」
フィルエが言った。
「百骸騎士団が、行く先を塞ぐ」
「その通りだ」
ガルザヴェインが前へ。
カゲツが後ろ。
一方が敵を追い立て。
もう一方が退路を閉じる。
「二つの軍を、別々に戦わせるな」
余は二人の将へ言った。
「ガルザヴェイン」
「ウン」
「お前は敵を押す」
「オス」
「カゲツ」
「承知」
「お前は、押された敵の帰る道を塞げ」
「封ジル」
「ただし、互いの軍を巻き込むな」
「ウン」
「承知」
ガルザヴェインとカゲツが、互いを見た。
金色の目。
兜の奥の青い光。
「競争ではないぞ」
「シナイ」
「競争ニ非ズ」
「なぜ二人とも、少し残念そうなのだ!」
◇
合同訓練を始めた。
敵役は、白骨書記が作った六十体の模擬侵入者人形。
これまで迷宮へ来た者たちの動きを、記録から再現している。
盾。
槍。
弓。
術師。
さらに、赫月の晩餐の戦闘記録を基にした高位人形が五体。
本物ほど強くはない。
それでも、訓練相手としては十分だった。
「開始」
マネが余の声を広げる。
「開始!」
模擬侵入者六十体が動く。
盾を前へ。
術師が後ろ。
左右へ斥候役。
中央には、高位人形五体。
ガルザヴェインが片手を上げる。
「盾、前!」
覇牙盾兵が小型軍用路から飛び出す。
二十体が、侵入者の正面を塞いだ。
盾と盾がぶつかる。
「槍!」
後方から三十本の槍が伸びる。
敵人形の盾の隙間を狙う。
だが、模擬術師が火を放った。
「術兵!」
覇牙術兵十体が、灰色の壁を作る。
炎を完全には止めない。
熱を左右へ流し、盾兵が耐えられる程度まで弱める。
「刃、横!」
霧喰い刃ゴブリンに教えられた刃兵が、壁の小道から左右へ出る。
正面へは行かない。
敵の術師。
弓使い。
後方へ回る。
模擬侵入者の隊列が乱れた。
「押セ!」
「覇王号令――進軍!」
ガルザヴェインの重い声。
覇牙軍団が、一斉に前へ出る。
模擬侵入者たちは、押される。
後ろへ。
一歩。
五歩。
十歩。
その先に。
百骸騎士団が待っていた。
「冥月軍令」
青い光が灯る。
「閉ジヨ」
白い城壁が、敵の退路へ立ち上がった。
模擬侵入者は挟まれる。
前には覇牙軍団。
後ろには百骸騎士団。
左右は白い壁。
逃げ道はない。
「弓」
カゲツの短い命令。
骨の矢が上から降る。
「槍」
盾壁の隙間から、三十本の骨槍。
覇牙盾兵が一斉にしゃがむ。
その頭上を、覇牙弓兵の矢が飛ぶ。
骨の矢。
ゴブリンの矢。
前後から同時に降り注ぐ。
六十体の模擬侵入者が、次々に動きを止めた。
最後に残った高位人形五体へ。
ガルザヴェインとカゲツが同時に動く。
「覇王拳――破軍!」
「冥月斬!」
黒い拳圧。
青黒い月の斬撃。
二つが左右から入り。
高位人形五体をまとめて砕いた。
《合同訓練終了》
《仮想侵入者六十体、全滅》
《覇牙軍団、死亡想定四体》
《百骸騎士団、破壊想定七体》
「死者が出た」
ガルザヴェインが言う。
「あくまで想定だ」
「デモ、シンダ、ソウテイ」
「次は減らせ」
「ウン」
カゲツが、砕けたスケルトン人形の骨へ手を向ける。
「骸兵再陣」
青い魔力が流れる。
ばらばらになっていた骨が浮く。
折れた部分を別の骨で補い。
再び一体の騎士人形へ組み上がる。
「本物の百骸騎士団も、同じように戻せるのか」
「骨ガ残レバ」
カゲツが答える。
「完全ニ消エナケレバ、再陣可能」
「何度でも?」
「魔力ノ限リ」
長期戦向き。
まさに、今の余の迷宮に必要な力だった。
◇
最後に。
万蝕酸界の確認を行った。
蝕界のウルグは、部屋の床一面へ薄く広がっている。
見た目だけなら、透明な水膜。
だが、触れれば。
ウルグより魔力量が少ない存在は、溶ける。
「試験用人形を入れる」
最初は、厚い鉄で作った重装兵人形。
魔力はない。
物理的な硬さだけなら、Aランク冒険者の鎧に近い。
白晶の足場を一つだけ出し。
人形を、その中央へ置く。
「足場を消す」
白晶が沈む。
鉄の足が、ウルグへ触れた。
じゅううううううっ。
一瞬だった。
足が消える。
膝。
腰。
胸。
鉄も。
内部の白骨も。
何の抵抗もなく透明な酸の中へ沈み、なくなった。
「速いな」
ルオが言う。
「怖いことを平然と言うな」
次に、物理攻撃試験。
壁の穴から、巨大な鉄槌を落とす。
鉄槌がウルグの体へ直撃した。
ぷしゃっ。
透明な酸が、無数の滴となって飛び散る。
鉄槌は止まらない。
ウルグを殴った感触すらなく、床まで落ちる。
そして。
飛び散った酸の滴が、鉄槌を四方から溶かした。
「物理無効」
《はい》
「殴るほど、飛び散る」
《はい》
「最悪だな」
《防衛個体としては有効です》
「知っている!」
飛び散ったウルグの体は、床の上を流れ。
また一つへ戻っていく。
傷一つない。
次は魔法。
覇牙術兵が、区画の外から灰色の魔力弾を放つ。
一発。
ウルグの表面がへこむ。
少量の酸が蒸発した。
だが。
すぐに元へ戻る。
《魔法攻撃による損傷を確認》
《ただし、威力不足》
「有効だが、弱い魔法では倒せない」
《はい》
ルオが、自分の指先へ白銀の光を集める。
「オレもやる?」
「弱く撃てるのか」
「できる」
「本当だな」
「たぶん」
「やめろ!」
万蝕酸界で龍神の力を試す勇気はなかった。
芽の一つ前の区画なのだ。
ウルグが消し飛ぶだけならまだしも、部屋ごと吹き飛ばされたら困る。
「ルオは触るだけでいい」
「また?」
「ウルグが、お前へどう反応するか確認する」
ロード認証の白晶足場を出す。
ルオが、その上を歩いて中央へ。
手を伸ばし、ウルグへ触れる。
煙は出ない。
溶けない。
透明な酸が、ルオの指へ寄ってくる。
少しずつ盛り上がり。
拳ほどのスライムの形になった。
「うるぐ」
小さな声のような泡が鳴る。
「覚えてるみたいだぞ」
「懐かせるな」
「何で?」
「勝手に外へついていったらどうする!」
「ウルグ、ここから出るなよ」
「うるぐ」
透明な体が、ぷるんと揺れた。
本当に理解しているのか。
非常に不安だ。
◇
万蝕酸界の通過規則を決めた。
⸻
一、ロードの許可なしに入らない。
二、白晶足場以外へ触れない。
三、物を落とさない。
四、ウルグへ物理攻撃しない。
五、ルオはウルグを持ち上げない。
六、ガルザヴェインは指で触らない。
七、果物を与えない。
⸻
「五番、オレだけ名指しじゃん」
「必要だからだ」
「六番もガルザヴェイン名指し」
「必要だからだ」
ガルザヴェインが、溶けた指はすでに治っているのに手を後ろへ隠した。
「サワラナイ」
「当たり前だ」
「七番は?」
ルオが聞く。
「お前向けだ」
「結局オレじゃん!」
ウルグが、酸の床全体を波打たせた。
また笑っているように見える。
◇
二つの軍。
二人の将。
一体の酸の災害。
それらを、迷宮の各層へ配置する。
浅層から中層。
覇牙軍団。
小さな道を使い、敵を分断し、霧と泥と影を利用して削る。
中層から深部手前。
冥月百骸騎士団。
広い通路を城壁で塞ぎ、退路を断ち、長期戦へ持ち込む。
そこを越えた者は。
万蝕酸界。
物理攻撃の通じないウルグを突破しなければならない。
さらに、その奥。
五重の防衛路と命の苗床。
エリラの芽。
「これなら」
余は、迷宮図を見た。
「次に連戦になっても、前よりは耐えられる」
ガルザヴェインを休ませられる。
グズたちを下げられる。
古参ゴブリンたちだけへ負担を集中させずに済む。
百骸騎士団は、骨が残る限り再び立てる。
ウルグは、物理型の敵をほぼ一体で止められる。
「軍は、完成か?」
ルオが聞く。
「まだだ」
「何が足りない?」
「実戦だ」
訓練で動けても。
本物の侵入者は、訓練人形のようには動かない。
恐怖。
欲。
予想外の力。
新しい技。
それらへ、二つの軍がどう対応するか。
まだ分からない。
「でも、前よりずっと強い」
フィルエが言った。
「ああ」
「皆を下げても、次の皆がいる」
「ああ」
「今度は、誰か一人だけに無理させなくていい」
ガルザヴェインが、その言葉を聞いて少しだけ目を伏せた。
「オレ、ヒトリ、チガウ」
「ああ」
「カゲツ、イル」
「我、在リ」
「グン、イル」
覇牙軍団が武器を鳴らす。
百骸騎士団の青い目が灯る。
「ウルグモ」
万蝕酸界の床が、ぷるんと揺れた。
「いるな」
とても危険な形で。
◇
その日の夜。
新しい軍の配置を終えた直後。
白い部屋に警告が響いた。
《外縁に多数反応》
余は、すぐに壁面を切り替えた。
「人数は」
《計測中》
「冒険者か」
《隊列を形成しています》
「数を言え」
《二百六十三名》
白い部屋が静まり返った。
「二百六十三?」
《はい》
「赫月の晩餐のような少数ではないな」
《はい》
「軍か」
《武装、装備、移動間隔から、組織的集団と推定》
森の外。
灯りがいくつも並んでいる。
盾。
槍。
馬車。
大型の箱。
魔術を撃ち出すための器具らしき物まで運んでいる。
旗はない。
紋章も布で隠されている。
だが、冒険者の寄せ集めではない。
兵だ。
さらに。
先頭近くから、会話が拾えた。
「本当に、この白い迷宮で間違いないのか」
「密偵の報告では」
「赤金の奇跡果は?」
「奥にある可能性が高い」
「必ず持ち帰れ」
「公子の命がかかっている」
余は、壁面の集団を見た。
遊びではない。
金だけでもない。
誰かの命を救うため。
二百六十三人が来た。
天蓋の猟犬が、眠る仲間のために限界を越えたように。
今度は。
一人を救うための軍が、迷宮へ来た。
「ロード」
ガルザヴェインが呼ぶ。
「聞こえている」
「グン、キタ」
「ああ」
カゲツが大剣を取る。
「百骸騎士団、出陣可能」
覇牙軍団も、一斉に武器を構えた。
万蝕酸界では。
ウルグが、透明な床全体をゆっくり波打たせる。
余は、新しく得た二百二十一の牙を見た。
「ちょうどよい、とは言わん」
救いたい者がいる。
それは分かる。
天蓋の猟犬を見たからだ。
だが。
こちらにも。
守りたい者がいる。
「全軍、配置につけ」
マネが余の声を、白い迷宮全体へ広げた。
「全軍、配置につけ!」
百二十のゴブリンが走る。
百の骸骨騎士が立つ。
二人の将が、それぞれの軍の前へ出る。
新しい迷宮軍の。
最初の実戦が始まろうとしていた。