余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
「はい」
セリア・ヴァレストは、逃げずに答えた。
「昨日、この迷宮へ二百六十三人を送ったのは、私たちヴァレスト公爵家です」
白い霧の向こう。
余は、その顔を見つめていた。
恐怖で青ざめている。
両手は震え。
唇も、わずかに動いている。
それでも。
自分は関係ないとは言わなかった。
父が命じたのだとも。
兵たちが勝手に入ったのだとも。
責任を別の誰かへ押しつけなかった。
《目的は》
余が問う。
「弟の治療です」
《ノエル・ヴァレスト》
セリアの目が見開かれた。
「弟の名を……」
《昨日の兵が、何度も口にしていた》
公子を救う。
四日目の朝は迎えられない。
赤金の奇跡果を、最低でも十個持ち帰る。
根も。
枝も。
周辺の土も。
全て、余は聞いている。
《一人を救うために、二百六十三人を送った》
「はい」
《余の配下を殺し》
「はい」
《迷宮を壊し》
「はい」
《余が守る植物の根まで奪おうとした》
セリアは、白布の上で両手を握り締めた。
「はい」
声は小さい。
だが。
否定しなかった。
「その通りです」
《ならば》
白い霧が、ゆっくりと濃くなる。
《なぜ、余がお前の頼みを聞くと思った》
セリアの顔から、さらに血の気が引いた。
答えを間違えれば。
ここで死ぬ。
そう理解している顔だった。
それでも。
彼女は、すぐには言葉を出さなかった。
都合のよい答えを探すのではなく。
自分の中にある言葉を、確かめている。
「聞いていただけるとは」
やがて。
セリアが答えた。
「思っていません」
《何?》
「許していただけるとも」
白い布へ、視線を落とす。
「助けていただけるとも、思っていません」
《では、なぜ来た》
「他に」
セリアの声が震えた。
「何も残っていなかったからです」
◇
白い部屋。
ガルザヴェインが、壁面のセリアを睨んでいる。
「タスケテ、ホシイ」
「ああ」
「デモ、ムリ、ワカッテル」
「そう言っている」
ガルザヴェインは、しばらく考えた。
「ワカラナイ」
「何がだ」
「ムリ、ナラ」
金色の目が細くなる。
「ナンデ、クル」
「余も、それを聞いている」
フィルエが、命の苗床の前で小さく答えた。
「何もしなかったら、弟が死ぬから」
ガルザヴェインが、フィルエを見る。
「シヌ」
「うん」
「ダカラ、クル」
「たぶん」
ガルザヴェインは、再び壁面へ視線を戻す。
「コワイ、ノニ」
「ああ」
恐怖の匂いは。
迷宮の内側まで届いている。
カゲツは、大剣を抱えたまま動かない。
「カゲツ」
「ロード」
「この女の言葉をどう見る」
「虚偽反応」
一拍。
「現時点、確認出来ズ」
「弟を救うためなら、何でもする可能性は」
「有リ」
「迷宮へ入り、隙を見て奪う可能性」
「否定出来ズ」
「そうだな」
今、嘘をついていないことと。
今後、裏切らないことは別だ。
追い詰められた者は。
最後に何をするか分からない。
「ロード」
フィルエが呼ぶ。
「何だ」
「でも」
フィルエは、セリアが置いた木箱を見る。
「昨日の人たちは、武器を持ってきた」
「ああ」
「この人は、本を持ってきた」
「まだ中身までは読んでいない」
「うん」
「罠ではないと確認しただけだ」
「それでも」
フィルエは、静かに言った。
「違うと思う」
違う。
確かに。
昨日の軍と。
目の前の女は。
同じ目的を持ちながら、選んだものが違う。
◇
《木箱を開けろ》
余は命じた。
セリアは、一瞬だけ箱を見た。
「ここで、ですか」
《開けられない理由があるのか》
「ありません」
両手で木箱を引き寄せる。
金属の留め具を外し。
ゆっくりと蓋を持ち上げた。
中に入っていたのは。
一冊の分厚い本。
茶色く変色した革表紙。
四隅には、植物の蔓を模した銀の装飾。
中央には。
根を広げる大樹の紋章が刻まれていた。
《取り出せ》
「はい」
セリアは、本を両手で持ち上げる。
かなり重いらしい。
腕がわずかに下がった。
《表紙をこちらへ向けろ》
大樹の紋章。
その下に。
古い人間の文字。
「ヴァレスト植物大典」
セリアが読み上げた。
「我が家に、七百年以上前から伝わる記録です」
《内容は》
「薬草や魔樹」
「霊樹」
「魔力を持つ果実」
「特殊な土壌」
「枯死した植物から、新しい株を育てる方法」
フィルエが、壁面へ少し身を乗り出した。
「枯れた木から?」
「ああ」
「見たい」
「まだ待て」
「うん」
フィルエは素直に下がった。
だが。
目は本から離れない。
《なぜ、それを持ってきた》
「代価として」
セリアは答えた。
《余が金や宝石を望むと思ったか》
「思いませんでした」
《では》
「昨日の報告に」
セリアは本を抱え直す。
「迷宮の深部から、非常に強い植物の生命反応があると記されていました」
芽。
直接は見ていない。
だが。
存在を推測している。
「そして」
「あなたは、それを守るために」
「二つの軍を動かした」
「道を変えた」
「兵を退かせた」
「最後まで、深部へ近づけなかった」
《それがどうした》
「大切にしているのだと思いました」
余は答えなかった。
セリアは続ける。
「この本なら」
「あなたが守る植物の役に立つかもしれません」
《かもしれない》
「はい」
《役に立たなければ》
「私が差し出せるものは、他にありません」
公爵家の娘。
金貨。
宝石。
領地。
人間社会では、価値のある物をいくつも持っているはずだ。
だが。
余にとっては。
そのどれも、今すぐ必要ではない。
セリアは。
それを考えて。
植物の本を持ってきた。
《本を渡し》
余は問う。
《何を求める》
セリアの腕が、わずかに震える。
「弟を」
声が詰まる。
「ノエルを助ける方法を」
それでも。
言い直す。
「分けてください」
《果実を寄越せとは言わないのか》
「言いません」
《十個必要だと、昨日の軍は言っていた》
「医師たちは」
セリアは首を横に振る。
「実物を見ていません」
「効力も知りません」
「だから」
「確実に治療できる数を求めて、十個と言いました」
《お前は違うのか》
「一個で治るなら、一個だけ」
「半分で治るなら、半分だけ」
「果実でなくても治せるなら」
本を強く抱く。
「何もいただかなくて構いません」
白い霧が。
風もないのに、わずかに揺れた。
◇
「管理音声」
《はい》
「ノエル・ヴァレストの病気について、昨日の遺留品に記録はあったか」
《薬師の診療記録を確認済みです》
「出せ」
白い部屋へ、複数の紙が表示される。
⸻
《患者》
ノエル・ヴァレスト。
年齢十歳。
《症状》
先天性魔力経路脆弱。
黒脈崩壊症、末期。
魔力経路の崩壊範囲:
全身の八十一パーセント。
心臓周辺へ進行。
通常回復魔法:
効果なし。
高位神聖術:
進行遅延のみ。
予想生存時間:
記録作成時点から三日から四日。
⸻
「今は」
《記録作成から三日以上経過しています》
「本当に、時間がないか」
《はい》
フィルエが、悲しそうに紙を見る。
「十歳」
「ああ」
「小さいね」
人間の十歳。
余には、年齢の感覚が完全には分からない。
だが。
子供であることは分かる。
「エリラの実なら、治せる?」
「管理音声」
《完全治療の可能性はあります》
「可能性?」
《実物の効能は、高位肉体損傷、魔力経路損傷、呪詛、毒への強い回復効果を確認済み》
《ただし、黒脈崩壊症末期患者への使用記録はありません》
「一個で足りるか」
《不明》
「半分は」
《不明》
百四十個。
有限。
もう増えない実。
今後。
ガルザヴェインが瀕死になった時。
フィルエが傷ついた時。
配下が死にかけた時。
使うための命。
人間一人へ与えることは。
簡単には決められない。
◇
《セリア・ヴァレスト》
余が呼ぶ。
「はい」
《お前の弟を助ければ》
セリアが顔を上げる。
《余に何を返す》
「この本を」
《それだけか》
「……」
セリアは、答えに詰まった。
最初から。
本だけで足りるとは思っていないのだろう。
「私自身を」
やがて。
セリアが言った。
フィルエが目を見開く。
「何?」
ガルザヴェインの拳へ力が入る。
《どういう意味だ》
「弟が助かるなら」
セリアは、震える声で続ける。
「私は、この迷宮に残ります」
《人質か》
「奴隷でも」
《要らん》
即座に切った。
セリアが言葉を失う。
《余は、人間の奴隷を求めていない》
「ですが」
《お前一人を置いたところで、何になる》
「それは……」
《戦えるのか》
「いいえ」
《植物を育てられるのか》
「専門家ではありません」
《魔法は》
「生活魔法程度です」
《ならば、何の役に立つ》
厳しい問い。
だが。
事実だ。
フィルエのように、植物の命脈を感じられるわけでもない。
ガルザヴェインのように戦えるわけでもない。
カゲツのように軍を動かせるわけでもない。
ただ。
自分の命を差し出す。
それだけでは。
余にとって代価にならない。
「……分かりません」
セリアは、俯いた。
「ですが」
「私が持つものの中で」
「弟の命より大切なものは」
「自分の命しかありません」
《だから差し出すと》
「はい」
《愚かだな》
「はい」
セリアは否定しなかった。
「分かっています」
《弟が助かり、お前が戻らなければ》
余は言う。
《その弟は喜ぶのか》
セリアの顔が。
初めて、大きく歪んだ。
「……」
《お前を失って》
「……」
《自分だけ助かったことを、喜べるのか》
セリアの唇が震える。
答えは。
分かっているはずだ。
寝台に横たわる弟。
ベルガたちを心配していた少年。
自分を救うために姉が消えたと知れば。
それを。
望むとは思えない。
「喜ばないと」
セリアは、涙を流した。
「思います」
《ならば、勝手に自分を差し出すな》
フィルエが。
余の声を聞いて、静かに目を伏せた。
ガルザヴェインも。
何も言わない。
仲間を守るため。
一人で全てを背負おうとした。
以前の自分を。
セリアに重ねたのかもしれない。
◇
「ロード」
フィルエが小さく呼ぶ。
「何だ」
「私」
エリラの実が保管された区画を見る。
「一個、使ってもいいと思う」
余は、すぐには答えなかった。
「理由は」
「この人」
壁面のセリアを見る。
「木を取らないって言った」
「ああ」
「実を全部欲しいとも言わなかった」
「ああ」
「それに」
フィルエは、赤金色の芽へ視線を移す。
「エリラの実は」
「傷ついた命を助けるものだから」
「人間でもか」
「うん」
「昨日の軍の家族だぞ」
「この人は、戦ってない」
「同じ家だ」
「でも」
フィルエは、はっきりと言った。
「同じ人じゃない」
白い部屋が静かになる。
同じ人ではない。
その通りだ。
家が同じ。
血が繋がっている。
目的も同じ。
だが。
選んだ行動は違う。
昨日の軍の罪を。
目の前の女へ全て背負わせることが正しいのか。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「お前は」
ガルザヴェインは、しばらくセリアを見ていた。
「キライ」
「ああ」
「デモ」
短く息を吐く。
「コイツ、タタカッテナイ」
「助けてもよいと?」
「ワカラナイ」
正直な答えだった。
「デモ」
「何だ」
「コロス、チガウ」
カゲツにも問う。
「カゲツ」
「ロード」
「意見は」
「昨日ノ敵軍」
大剣を抱えたまま、答える。
「殲滅、妥当」
「ああ」
「眼前ノ女」
一拍。
「敵対行動、確認出来ズ」
「それだけか」
「交渉相手トシテ」
青い光が静かに揺れる。
「処理可能」
「助けるかどうかは」
「ロードノ判断ニ従ウ」
いつも通り。
最後は、余が決める。
◇
《セリア》
「はい」
《弟のもとへ戻るまで、どれほどかかる》
「馬で急げば」
「日が沈む前には」
《今すぐ戻れば、間に合うのだな》
「……おそらく」
医師は。
今夜。
長くても明け方までと言った。
余の持つエリラの実を、一個。
人間へ渡す。
それが。
今後、どれほどの人間を呼ぶか。
考えなければならない。
ノエルが助かれば。
果実が本物だと証明される。
公爵家は。
秘密を守るかもしれない。
守らないかもしれない。
他の貴族へ漏れるかもしれない。
軍より厄介な者たちが来るかもしれない。
「条件をつける」
余は言った。
フィルエが顔を上げる。
ガルザヴェインも。
カゲツも。
声を出さずに聞く。
《セリア・ヴァレスト》
「はい!」
《まだ、助けるとは決めていない》
セリアの表情が硬くなる。
《まず》
余は告げる。
《お前だけを、迷宮内へ入れる》
セリアの目が見開かれた。
「中へ……」
《武器はない》
「はい」
《木箱と本は、その場へ置け》
「ですが、代価として」
《中へ持ち込ませない》
呪いも。
罠も確認されていない。
それでも。
深部へ、人間の持ち物を入れる気はない。
《本はこちらで受け取る》
「分かりました」
《お前は、こちらが用意する道だけを歩け》
「はい」
《立ち止まるな》
「はい」
《勝手に何かへ触れるな》
「はい」
《道から外れた場合》
一拍。
《殺す》
セリアの顔が青ざめた。
だが。
「承知しました」
と答えた。
《さらに》
「はい」
《弟の病状を、余の前で説明しろ》
「医師の記録なら」
《遺留品から読んだ》
セリアの瞳が揺れる。
ベルガたちの持ち物が。
この迷宮に残っている。
改めて。
全員が死んだという事実を突きつけられたのだろう。
《記録では分からないことを聞く》
「私が知ることなら、全て答えます」
《嘘をついた場合》
「分かっています」
《本当に分かっているのか》
「はい」
セリアは。
涙を拭い。
白い霧を真っ直ぐ見た。
「弟を助けていただける可能性があるなら」
「私は、全てお話しします」
◇
「管理音声」
《はい》
「セリア専用の隔離路を形成」
《既存の深部隔離路を転用可能》
「生活区画も」
「軍用区画も」
「命の苗床も見せるな」
《承知しました》
「通過地点は」
余は迷宮図を見る。
外縁。
空の白い部屋。
交渉用隔離室。
そこまで。
軍は見せない。
万蝕酸界も。
ウルグも。
見せる必要はない。
「ガルザヴェイン」
「ウン」
「覇牙軍団は、姿を隠したまま隔離路の外側を囲め」
「承知」
「カゲツ」
「ロード」
「百骸騎士団は、交渉室の外で待機」
「承知」
「異常があれば」
「即時封鎖」
「ああ」
「フィルエ」
「うん」
「お前は苗床から動くな」
「私も話を聞きたい」
「白い部屋から聞け」
「分かった」
前回。
フィルエを人間の前へ出した。
結果。
傷つけられた。
同じことはしない。
相手が一人でも。
武器を持っていなくても。
警戒は崩さない。
「マネ」
「ロード」
「余の声だけを、セリアへ届けろ」
「ウン」
「他の声は出すな」
「ワカッタ」
全ての準備が整う。
◇
《立て》
霧の向こうへ命じる。
セリアは、両手を地面へつき。
震える脚で立ち上がった。
長く膝をついていたため。
一度、体が揺れる。
それでも倒れない。
《木箱を置け》
「はい」
植物大典を箱へ戻し。
蓋を閉める。
白布の中央へ置く。
《三歩下がれ》
セリアが下がる。
白い霧の中から。
白磁の細い腕が伸びた。
人間の腕ではない。
骨でもない。
迷宮そのものが作った、白い運搬具。
木箱を掴み。
霧の中へ引き込む。
セリアは追わない。
命じられた場所で待っている。
《解析》
《再確認します》
《呪詛反応、無シ》
《発信術式、無シ》
《位置追跡術式、無シ》
《危険物、確認出来ズ》
「フィルエへ直接渡すな」
《一時保管区画へ移送します》
「よし」
白い霧の一部が。
縦に裂ける。
人一人が通れるほどの幅。
その向こうには。
何もない白い通路が伸びていた。
セリアが。
息を呑む。
《入れ》
彼女は。
すぐには動かなかった。
怖いのだ。
一度入れば。
戻れる保証はない。
二百六十三人が。
一人も戻らなかった場所。
「……失礼します」
誰に対してか。
小さく頭を下げ。
一歩。
白い霧の中へ入る。
《止まるな》
「はい」
二歩目。
三歩目。
背後で。
白い霧が閉じる。
森が見えなくなった。
セリアの呼吸が大きく乱れる。
だが。
走らない。
引き返そうともしない。
余の示した白い道だけを。
一歩ずつ。
前へ進んでいく。
帰らぬ二百六十三人の代わりに来た女は。
ついに。
白い迷宮の中へ足を踏み入れた。