余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
白灰這いが、四方から飛びかかった。
小さな獣だ。
一匹一匹は、グズほど強くない。
影縫い大蜘蛛ほど器用でもない。
カゲヌイほど罠に長けてもいない。
だが、こいつらは未整備空洞で生まれた。
まだ迷宮の床も、壁も、道も定まっていない場所で。
だから、足音がない。
気配も薄い。
壁のひび、湿灰の陰、岩の裏、白灯の届かぬ隙間から、ぬるりと湧く。
「来るぞ!」
隊長が叫んだ。
残った白灯術者が灯りを掲げる。
白い光が空洞を照らした。
白灰這いたちの牙が、一斉に白く光る。
「白光散弾!」
術者の杖先から白い粒が飛び散った。
飛びかかった白灰這いの数匹が撃ち落とされる。
《白灰這い、四体損耗》
「む」
《登録直後の損耗です》
「分かっておる!」
だが、止まらない。
撃ち落とされた白灰這いの背中から、湿灰が飛び散る。
その灰が岩肌に張りつく。
そこから別の白灰這いが、さらに低く這って近づく。
こいつらは、群れで動く。
前の個体が死ねば、その灰を足場に次が来る。
悪くない。
非常に悪くない。
短杖術者は足を折っていた。
逃げられない。
それでも短杖を床へ突き立てる。
「円陣を作れ! こいつらは小さい! 近づかせるな!」
白い薄膜が床に広がった。
簡易結界。
白灰這いが触れると、じゅっと音を立てて弾かれる。
《白灰這い、接近阻害》
「白光系の防護か」
《はい》
「また白か。人間は本当に白いものが好きだな」
余の迷宮も最近かなり白いが、それは言わない。
隊長は結界の中で、上を見た。
縦穴。
落ちてきた穴。
上にはグズ。
追跡者。
影縫い大蜘蛛。
だが、すぐには降りてこない。
縦穴の壁は脆く、未整備空洞は味方にも危険だ。
だから隊長は笑った。
「上の大物は降りられない。小物を殺しながら、壁沿いに進む」
短杖術者が息を荒げる。
「どこへ……」
「奥だ。落とされたなら、落とされた先を使う。迷宮の深い場所には、必ず核へ近づく脈がある」
余は白い部屋で顔をしかめた。
「本当に嫌な人間だな、こいつ」
《隊長個体、迷宮攻略経験が高いと推定》
「推定しなくても分かる」
隊長は剣を白灯の光にかざし、壁を見た。
岩肌に、微かな湿灰の流れがある。
それは第二層深部へ続く魔素の脈。
完全な正解ではない。
だが、外れでもない。
「そこを進むな」
余は低く命じた。
「白灰這い、足を狙え」
群れが動く。
小さな白灰色の影が、結界の縁をぐるぐると回る。
術者は灯りを振る。
短杖術者は薄膜を張り直す。
隊長は一匹ずつ斬る。
強い。
小さな獣相手に、無駄な大振りをしない。
飛びかかる瞬間だけ、剣先を置く。
白灰這いが裂かれ、湿灰が飛ぶ。
《白灰這い、追加損耗》
「ちっ」
余は舌打ちした。
《しています》
「今はしている」
認めてやる。
隊長は強い。
白灰這いだけでは押し切れない。
それどころか、群れを削られながら奥へ進まれる。
グズは縦穴上。
湿骨兵も降ろすには時間がかかる。
大蜘蛛の糸は届くが、白灯で焼かれる。
カゲヌイの針も距離がある。
なら。
余は、穴の上で静かに立つ落武者を見た。
追跡者。
白光に焼かれ、太刀は欠け、鎧袖も割れている。
だが、その片目だけは、穴の底を見ていた。
標的を見ていた。
「追跡者」
落武者が、わずかに首を傾ける。
「降りられるか」
《未整備縦穴への侵入は損傷リスクがあります》
「お前には聞いておらぬ」
追跡者は答えない。
ただ、欠けた太刀を持ち直した。
それが答えだった。
《追跡者、行動要求》
「……そうか」
余は監視面を見た。
追跡者はこれまで、迷宮内ならどこまでも追う魔物だった。
だが、未整備空洞はまだ“道”ではない。
床でも、階層でも、罠でもない。
迷宮の腹の中にできた、未整理の空白。
普通なら、追跡者の能力が鈍る場所だ。
だからこそ。
「そこまで追えるなら、お前は一段上へ行ける」
《進化条件を照合します》
白い部屋に表示が開く。
⸻
【個体進化候補】
対象:追跡者
現在:追跡者
進化候補:灰刃追跡者
進化条件:
・複数回の標的追跡成功
・白光による損傷を受けても追跡継続
・標的変更後の討伐成功
・未整備階層への追跡意思
・Bランク迷宮内での再標定
必要素材:
・白灯術者の血
・盾兵の首骨片
・骨鳴核片の粉
・白灰這いの湿灰
・追跡対象の恐怖記録
・ソウル150
進化効果:
・階層差追跡
・逃走経路への先回り
・白光損傷耐性上昇
・欠け太刀の灰刃化
・標的の「帰路」を斬る能力を獲得
⸻
「ソウル150……」
《現在ソウル残量、進化可能です》
「やる」
《即決ですか》
「今やらずに、いつやる」
隊長が奥へ進んでいる。
白灰這いが削られている。
第二層の脈を知られかけている。
ここで出し惜しみして何になる。
「進化だ」
《ソウル150を消費します》
縦穴の上で、追跡者の足元に湿灰が集まった。
白灯術者の血。
盾兵の首骨片。
骨鳴核片の粉。
白灰這いの湿灰。
それらが太刀の欠けた刃にまとわりつく。
黒ずんだ落武者の鎧に、灰白の筋が走る。
白磁の痕ではない。
骨の白でもない。
湿灰が乾ききる直前の、薄汚れた白。
太刀の欠けた部分に、灰色の刃が生えた。
完全に修復されたわけではない。
むしろ欠けた形を残したまま、その欠け跡が刃になっている。
《個体進化開始》
追跡者の片目が、灰色に光った。
その視線が隊長へ向く。
いや、隊長ではない。
隊長の足元。
隊長が進もうとしている道。
戻ろうとしている道。
選ぼうとしている道。
全部を見ている。
《進化完了》
⸻
【進化成功】
追跡者
↓
灰刃追跡者
新能力:
・灰刃標定
・帰路断ち
・階層差追跡
・灰渡り
・白光耐性・小
・恐怖痕追跡
⸻
「よし」
余は笑った。
「行け、灰刃追跡者」
落武者は、縦穴へ足を踏み出した。
落ちたのではない。
沈んだ。
空気へ。
灰へ。
隊長たちが残した恐怖の痕へ。
追跡者の体が、灰色に崩れた。
次の瞬間。
穴の底、隊長たちの進路の先。
白灯の届かない岩壁の影に、落武者が立っていた。
隊長が止まった。
「……来たか」
白灯術者が悲鳴に近い声を出す。
「上にいたはずだ!」
灰刃追跡者は答えない。
欠けた太刀を、ゆっくり上げる。
隊長が剣を構えた。
「全員、後ろへ下がれ。こいつは俺が止める」
「隊長、後ろは――」
短杖術者の声が途切れた。
後ろにも、灰刃追跡者がいた。
いや、違う。
そこにいるのは本体ではない。
灰の痕だ。
隊長たちが落ちてきた道。
戻ろうと考えた道。
そこに、灰色の斬線が走っている。
《帰路断ち、発動》
縦穴へ戻るための岩棚が、斜めに裂けた。
崩れる。
上へ戻る足場が消える。
「帰り道を……斬った?」
白灯術者が震えた。
そうだ。
灰刃追跡者は、標的そのものだけではなく、標的が逃げようとする道を斬る。
まさに迷靄洞にふさわしい進化だ。
「よい」
余は白い部屋で頷いた。
「非常によい」
隊長は歯を食いしばった。
「なら、前へ行くしかない」
灰刃追跡者が動いた。
技名を告げるように、管理音声が響く。
《灰刃標定》
隊長の胸元に、薄い灰色の線が浮かんだ。
肉体ではない。
防具でもない。
その人間が次に動く先。
剣を振るう角度。
踏み込む足場。
そこに灰色の標が刻まれる。
隊長は即座に横へ跳んだ。
灰刃が通る。
隊長の肩鎧が裂けた。
浅い。
だが血が飛ぶ。
「見えてからじゃ遅いか……!」
「隊長!」
白灯術者が灯りを強める。
灰刃追跡者に白光が当たる。
鎧の灰白の筋が焼ける。
《灰刃追跡者、白光損傷軽微》
「耐えた」
以前なら動きが鈍った。
今は、少し煙を上げただけ。
灰刃追跡者は、白光の中へ踏み込んだ。
白灯術者の顔が引きつる。
「来るな!」
「白光槍!」
白い槍が放たれる。
灰刃追跡者は避けない。
太刀を縦に振る。
《灰刃・灯割り》
白光槍が裂けた。
完全に消えたわけではない。
割られた光が左右へ散る。
その散った光に、白灰這いが反応した。
小さな獣たちが、光の隙間を走る。
一匹が白灯術者の足へ噛みついた。
もう一匹が手首へ。
「離せ!」
術者が杖を振る。
だが、その瞬間に灰刃追跡者が間合いへ入っていた。
太刀が横に走る。
白灯術者の胴が、鎧ごと裂けた。
《侵入者一名死亡》
《ソウル獲得:46》
「九人目」
残り三。
隊長。
白灯術者一人。
短杖術者一人。
短杖術者は足が折れている。
白灯術者は震えている。
隊長だけが、まだ諦めていない。
「白灯を俺に寄せろ!」
「で、でも!」
「寄せろ!」
白灯術者が隊長の背後に立つ。
光が隊長の剣を照らす。
隊長の剣筋が白く浮かぶ。
それはカゲヌイなら縫える輪郭だ。
だが今、カゲヌイは穴の上。
距離がある。
隊長はそれも見ている。
今この空洞で直接戦えるのは、灰刃追跡者と白灰這いだけ。
ならば隊長は、白灰這いを蹴散らしながら追跡者を斬るつもりだ。
「来い、落武者」
灰刃追跡者が、太刀を構える。
隊長が踏み込む。
速い。
白灯を背にして、影を前に伸ばす。
その影を囮にして、剣を下から斬り上げる。
灰刃追跡者の肩が裂けた。
《灰刃追跡者、損傷》
「おい!」
《損傷確認》
「確認している場合か!」
隊長は続けて二撃目。
今度は太刀を狙う。
欠けた太刀と隊長の剣がぶつかる。
火花。
灰刃が削れる。
だが、灰刃追跡者は退かない。
むしろ、一歩前へ出た。
剣が肩に食い込んだまま。
隊長の目が見開かれる。
「こいつ……!」
《恐怖痕追跡、発動》
隊長の足元に、灰色の足跡が浮かんだ。
未来の足跡ではない。
過去の足跡だ。
ここまで逃げずに進んできた、その痕。
部下を捨てた場所。
目隠しの男を守れなかった場所。
盾兵を失った場所。
白い道で迷った場所。
それらの恐怖と判断の痕を、灰刃追跡者が拾った。
隊長の動きが、一瞬止まる。
人間なら、背負うものがある。
それを振り払える者ほど強い。
だが、完全に消せるわけではない。
「帰路断ち」
灰刃追跡者の太刀が、隊長の後ろへ振られた。
直接斬ったのではない。
隊長が次に下がるはずだった足場が裂けた。
隊長の踵が空を踏む。
「しまっ――」
白灰這いが飛びかかる。
一匹は斬られる。
二匹目も蹴られる。
三匹目が隊長の膝裏へ噛みついた。
灰刃追跡者が踏み込む。
《灰刃・標断ち》
太刀が隊長の脇腹を裂いた。
深い。
だが、まだ死なない。
隊長は血を吐きながら、灰刃追跡者の胸へ剣を突き込んだ。
落武者の鎧を貫く。
《灰刃追跡者、中損傷》
「しぶとい!」
余は叫んだ。
もう取り繕わない。
この隊長は危険だ。
生かしてはいけない。
絶対に帰してはいけない。
「白灰這い、全部行け!」
岩の隙間から、残った白灰這いが群れで飛んだ。
白灯術者が悲鳴を上げながら白光を放つ。
何匹も焼かれる。
だが、焼かれた死骸が湿灰になり、足元を滑らせる。
短杖術者の結界が揺らぐ。
「もう、もたない!」
「黙って張れ!」
隊長が叫んだ。
しかし、その叫びで白灯術者の方を見た。
その一瞬。
灰刃追跡者は隊長を見なかった。
白灯術者を見た。
《標的再指定》
「よし」
白灯術者は後ろへ下がろうとした。
その後ろの道が、灰色の斬線で裂ける。
《帰路断ち》
「いやだ、いやだ、いやだ!」
白灯術者が白灯器を投げた。
光が宙を舞う。
灰刃追跡者は、光を斬った。
《灰刃・灯割り》
白灯器が割れる。
光が消える。
空洞が闇に沈む。
その闇の中で、白灯術者の首が落ちた。
《侵入者一名死亡》
《ソウル獲得:44》
「十人目」
残り二。
隊長。
短杖術者。
灯りは消えた。
短杖術者は震えながら、薄い結界だけを張っている。
隊長は片膝をついた。
脇腹から血が流れている。
それでも剣を持っている。
「……なるほどな」
隊長が、暗闇の中で笑った。
「この迷宮、ただの新参Bランクじゃない」
余は黙って見下ろした。
「白磁庭園を喰っただけじゃない。骨も、灰も、虫も、糸も、ゴブリンも、全部混ぜてくる」
「そうだ」
届くはずのない声で、余は答えた。
「余の迷宮だからな」
隊長は聞こえていない。
だが、なぜか笑みを深めた。
「攻略報告、持ち帰りたかったな」
「持ち帰らせるものか」
灰刃追跡者が、太刀を上げる。
短杖術者が泣きながら叫んだ。
「降伏する! 私は、私はもう――」
「駄目だ」
余は即答した。
「ソウルだ」
白灰這いが短杖術者に群がる。
結界が割れる。
牙が喉に入る。
悲鳴は短かった。
《侵入者一名死亡》
《ソウル獲得:29》
「十一人目」
残り一。
隊長だけ。
隊長は立ち上がった。
剣を構える。
灰刃追跡者も構える。
互いに満身創痍。
だが、ここは迷宮だ。
一対一ではない。
余は静かに命じた。
「グズ、上から石を落とせ」
縦穴の上で、グズが白灰の岩片を持ち上げた。
「ギィィ!」
岩片が落ちる。
隊長は横へ避ける。
避けた先に、灰色の斬線。
《帰路断ち》
足場が裂ける。
隊長の体勢が崩れる。
白灰這いが足首に噛みつく。
隊長はそれを斬る。
だが、剣が一瞬下がった。
灰刃追跡者が踏み込む。
《灰刃標定》
隊長の胸に、灰の標。
太刀が走る。
隊長の剣も走る。
同時だった。
隊長の剣が、灰刃追跡者の鎧を深く裂く。
灰刃追跡者の太刀が、隊長の胸を斜めに断った。
隊長の体が揺れる。
剣が床に落ちる。
それでも、隊長は倒れなかった。
「……くそ」
隊長は、血を吐きながら笑った。
「帰り道、最後まで……なかったな」
灰刃追跡者が、最後の一撃を振った。
首が落ちる。
《侵入者一名死亡》
《ソウル獲得:72》
《侵入者十二名、全滅》
《総獲得ソウル:474》
白い部屋に、静寂が戻った。
余はしばらく何も言わなかった。
勝った。
本隊十二人を全滅させた。
第二層へ落ちた敵も、帰さなかった。
新魔物、白灰這いを登録した。
追跡者は進化した。
だが、損耗も大きい。
灰灯喰い蟲はかなり死んだ。
白灰這いも削られた。
グズは白光で焼かれた。
灰刃追跡者も深く傷ついた。
勝った。
だが、楽勝ではない。
「……危なかった」
《はい》
「今のは、かなり危なかった」
《はい》
「そこは否定しろ」
《危険度は高かったです》
「正直すぎる」
余は息を吐くような感覚を覚えた。
実際に肺はない。
だが、吐きたくなるほどの戦いだった。
隊長は強かった。
目隠しの男も厄介だった。
人間は、学ぶ。
対策してくる。
捨て駒ではなく、攻略する意志を持ってくる。
だからこちらも、進化し続けなければならない。
《灰刃追跡者、帰還可能》
「回収しろ。白灰庭区画で修復だ」
《了解》
灰刃追跡者は、隊長の首を片手で掴んだ。
そして、暗闇の中からこちらを見る。
片目が灰色に光っている。
その姿は、もうただの落武者ではなかった。
帰り道を斬る者。
逃走という選択肢そのものを殺す者。
灰刃追跡者。
「よくやった」
余は低く言った。
灰刃追跡者は何も答えない。
ただ、欠けた太刀を下げた。
その刃には、隊長の血と湿灰が混ざっていた。
《ダンジョン新聞、号外反応》
白い部屋の床に、新聞が落ちた。
文字が黒く浮かぶ。
⸻
【号外】
迷靄洞、Bランク昇格直後の人間本隊十二名を全滅。
第二層未整備空洞にて、新規魔物群体「白灰這い」を確認。
また、既存最強枠「追跡者」が戦闘中進化。
確認名:
灰刃追跡者
特徴:
・階層差追跡
・逃走経路切断
・白光耐性
・恐怖痕追跡
評価:
迷靄洞は、単なる防衛型迷宮ではない。
敵の帰路、記録、対策、心理を順に喰う、成長型迷宮である。
⸻
「ふふ」
《嬉しそうです》
「当然だ」
余は新聞を見下ろした。
「だが、浮かれるのは後だ。死体、装備、記録、骨、全部回収しろ」
《了解》
「隊長の剣は残せ。灰刃追跡者の修復素材にする」
《了解》
「白灯器の残骸は灰灯喰い蟲の繁殖場へ。短杖術者の結界具はカゲヌイに解析させろ。記録官の記録石は最優先で読む」
《了解》
勝利は宴ではない。
勝利は素材だ。
素材は次の罠になる。
罠は次の死体を呼ぶ。
それでいい。
それが迷宮だ。
余は、白い部屋の監視面を第二層未整備空洞へ向けた。
そこには十二人分の血と、砕けた白灯と、湿灰に沈む骨があった。
そして、白灰這いの群れが、静かに死体を囲んでいる。
「食え」
余は命じた。
「全部、迷靄洞にしろ」
白灰這いたちは、一斉に牙を立てた。