異世界に飛ばされたら適職が「魔王」しかない
四滝伽羅子は困惑していた。
「キャラ作成」を終えたと思ったら意識が途切れ、はっと目が覚めると山中らしいところに居たのである。
格好は、買い物帰りと変わっていない。斜めがけの小さな鞄もある。買ったものも無事だ。酵素ドリンクの壜と、なんだか正体のよく解らない、食物繊維の塊らしい健康食品。牛乳で溶いて食事に置き換えれば痩せるという謎の粉末。怪我は……していないようだ。
「……どこやろ」
四辺を見る。見覚えはまったくない。水音がするから、傍に川があるらしい。
とりあえず、しだや茅の生い茂るなかを、スニーカーで歩く。ずぼんをはいていてよかった。こんなところをスカートで歩いたら、ふくらはぎが傷だらけだ。「いてぇ」
ほら、ずぼんをはいていても茅に切られた。まったくもう。
伽羅子は天を仰ぐ。壜が二本はいった袋が肩に食い込む。しかし、伽羅子は腕力自慢だから、それは気にならない。そうではなくて、この情況はなんだ、という不安が凄まじい。
「……あ」
もしかして、轢かれた?
歩道を歩いてはいたけれど、ガードレールや縁石はなかった。どこかのばかが突っ込んで来て、伽羅子を轢いたのかもしれない。その時に伽羅子は意識を失ったが、奇跡的に怪我はしなかった。しかし犯人は交通事故発覚をおそれ、伽羅子をどこかの山へ運び、放り捨てて逃げた……ということでは。
思わず体をとっくりと眺める。しかし、血どころか土汚れさえない。事故にあったなら多少なりとも汚れているだろう。違うのか。
だとしたら、どう云うことだろう。
アイドルとして芽が出ない余りに遁走? とか。……ないか。
しかし、意識を失っていると思っていた間に自分で移動したとしか考えられない。記憶喪失だろうか? こわい。
ぼんやり考え込む伽羅子に、ふっと影が差した。
振り仰ぐ。
息が停まった。山のような……非常識に大きな猪が居たからだ。
伽羅子は田舎で生まれ育っている。地元では、バイト帰りの夜遅く、街灯もない道を自転車でかっ飛ばしたものである。そんな時、一部の区間で、特に春先から夏にかけては速度を控えめにしていた。伽羅子の通る道は猪一家も利用していたのだ。猪とぶつかったら自転車のほうが壊れる。瓜坊を撥ねたりしたら母猪に復讐されるとばあちゃんが云っていたし。
お母さん猪が可愛い瓜坊を連れて木の根を掘り返したり、畑の芋に悪さをするところに何度遭遇したか。そういう時、刺激せずにその場をすばやく離れるのが一番だ。伽羅子は腕力自慢と雖もか弱い女である。猟銃だって持っていないし、免許があるのはじいちゃんとお母さんだけだ。伽羅子は狩りに興味がないし罠を仕掛ける手伝いもしなかった。猪肉を調理したこと、食べたことはあるが、すでに肉塊になったものを見たことがあるだけである。
それが、目の前に、化け物みたいな猪が出てきたのだ。気を失わないだけ偉い。
と、伽羅子は息をしようとしながら考えていた。気を失ったら絶対にだめだ。逃げないとやばい。息がでけん!
猪が唸った。伽羅子は悲鳴を上げた。おかげで呼吸はもとに戻ったが、猪を思い切り刺激してしまった。
猪が走ってくる。伽羅子は無我夢中で、持っていた袋を振りまわす。猪は上手にそれを避け、伽羅子を牙にひっかけた。
撥ね上げられた。体が宙を舞う。変な落ちかたをしたら首の骨が折れる、と恐怖が襲った。
が……伽羅子は華麗に着地していた。もとから運動神経はいいほうだが、空中で伸身二回宙返り二回ひねりなんて、今までやったことはない。
目を白黒させる伽羅子に、猪が再び突進してくる。伽羅子は数秒の間に、目まぐるしくさまざまなことを考えた。これは夢の続きだ、と、二秒で判断して、喚きながら持っているものを放り投げる。「しゅうのうくうかん!」伽羅子の手の軌道に沿って、空間が裂け、袋が吸いこまれていった。
ぶん殴ればいい。……多分。
伽羅子は右手を握りしめ、顔の高さまであげると、一度頭の後ろまで引いた。一歩下げた右足に一旦重心をおき、猪が向かってくるのに合わせて右拳を繰り出しつつ重心を左足へ移す。
「地下あいどるなめるなああああああああああああ!!」
伽羅子は叫びながら猪の鼻面を殴った。
インパクトの瞬間、拳がいやな音をたてた。が、もっといやな音をたてたのは猪だ。石が割れるみたいな、木が折れたみたいな音をたて、猪は血を吐いて倒れた。
鼻が奇妙に曲がっている。口から泡を吹いていた。
伽羅子は、綺麗に手入れした爪がくいこんで血の出る右掌と、猪にぶつけたせいで切れた手の甲を見て、がたがたと震え出した。
うけいれ難いが、自分は化け物猪を退治してしまったようだ。