異世界に飛ばされたら適職が「魔王」しかない
「ミュー、考えなおして」
ロヴィオダーリ邸の湯殿、ランタンの光を見ながらジーナは云う。
音を立てて、ミューが頭から水をかぶった。手と顔は簡単に洗っていたが、体中血に汚れなかったところがないのだ。ミューが水浴びをしたいと云ったら、リッターは着替えやタオルやせっけんを準備して湯殿まで案内してくれた上に、湯を用意するしせなかを流すいや寧ろ流させてくれと大変な勢いだった。ジーナが叩き出したのでそういう事態にはなっていない。
ミューはちらっと、許嫁を振り返る。ふたりはお互いに背を向け、一応礼を失しないようにはしていた。「考えなおす?君を連れてくことをかい」
「違うわ。あなたがこれ以上戦うことをよ」
「話にならないね」ミューはせっけんを掴んで、頭や体へこすりつけた。血の匂いと油脂の匂いがまざる。「俺は君より強いよ」
「いいえ。わたしのほうが戦える」
「それはそうだ。でも俺は死なない限りまけない。それに癒しの力がふたつあるから死なない。つまり、まけないんだよ」
ジーナは口を噤む。
これは、ふたりの認識の違いだ。今までだって口論になっている。
ミューは痛いことも辛いことも嫌いなくせに、ジーナやチェセールの為にならどんな無理もする。昔、チェルノーラ領へ避寒に訪れたときも、還元過多で魔物の襲撃があって、ミューはジーナを庇って片腕をとばされたのだ。いつもは転んだだけで泣くくせに、その時は涙を浮かべもしなかった。
ミューは癒しの力をふたつ持っているから、腕はくっついたし、傷痕さえ残っていない。ジーナは見たことがある。
でも、ジーナはそれが辛い。ミューの体は傷ひとつないけれど、それは怪我をしなかったということではない。ジーナは怪我をする辛さを知っている。ミューには怪我をしないでほしい。治るからと云って、怪我をして痛くない訳ではないのだから。
ミューは水をかぶり、せっけんを流す。ジーナは苦労して声を出す。
「……あなたはその特殊能力を嫌ってると思ってたわ」
「そうだね」皮肉っぽく、ミューは笑う。「大嫌いだよ」
ミューはしつこく水をかぶった。それから、壁の棚へ手を伸ばす。タオルをとって、頭にかぶる。もう一枚とって、体を拭く。
「でも、ありがたいと思う時もある。君やチェスをまもらなくちゃいけない時とか、今みたいに誰かを救出に行かなきゃいけない場合なんかはね」
「あなたが行くことはないわ。警邏隊だって居るのだし」
「君はそう云われて納得するのか?」
ミューは湿ったタオルを大きな籐かごへ叩き込んで、下着を身につける。
ジーナは答えることができない。絶対に納得しないからだ。ただ、ゆらゆらするランタンの光を眺めている。
「ジーナ」
ミューに呼びかけられ、ジーナは振り向く。ミューは下着姿で、ジーナはつい、その腕を見る。やはり、ミューの腕に傷痕はない。
ミューは櫛を差し出して、ジーナを安心させるみたいに笑みを浮かべた。
「髪を乾かすから、梳いてくれよ。いつもみたいにさ……」