電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない
電線ジャングルの薄黒い昼の世界を、ヘルマンとレナは並んで歩いていた。
ヘルマンの革ジャケットは長く着込まれた色をしていて、肘のあたりに油の染みが地層のように残っている。レナはその半歩後ろを歩きながら、書類鞄を胸の前で抱え直した。前回ギルドに行ったときは一人で、ナイトクラブのような赤紫の照明と、入口の半身機械化のサイボーグ剣士に「ひっ」と声を飲み込んだ。今日は二度目で、隣にヘルマンがいる。
景色が、違って見えた。
通りの向こうから歩いてきた中年の冒険者が、ヘルマンに顎で挨拶を寄越す。ヘルマンも顎で返す。それだけのやりとりで、お互いの近況が伝わったようだった。レナはそれを見て、自分は今、この街の住人の半歩後ろを歩いているのだと、ふと思った。
ギルドの正面入口は、相変わらず照明が明滅していた。ただし、ヘルマンの背中越しに見ると、それは威圧というよりは、街の電気事情の実情だった。電源が安定しないだけだ。レナは少しだけ笑った。
検査場の脇を抜けて、螺旋階段を上る。執務室の扉の前で、ヘルマンが一度だけノックして、返事を待たずに開けた。
「よお」
「来たか」
ギルマスは執務机の向こうで、義肢の指でとんとんと机を叩いていた。あの音だ、とレナは思った。「カチ、カチ、カチ」。前回はあの音が怖かった。今日は、ただの机を叩く音だった。
「お嬢さん、また来たのか」
「はい。本日は、正式なご挨拶と、発注のご相談で」
レナはそう言いながら、書類鞄から発注書を取り出して、机の上に置いた。ギルマスはそれを義肢のほうの手で持ち上げ、紙の縁を一度なぞるように指で押さえた。
「リアクトル、ね。型番が入ってる」
「はい、AGM-RR-001です。商品化に向けて、正式な企画として通りました」
「ヘルマン式リアクトル」
ギルマスが顔を上げて、ヘルマンを見た。
「お前がリアクトルか。出世したもんだな」
「爺さんの手柄だ」
ヘルマンは執務机の脇の壁に肩を預けて、そっけなく返した。ギルマスは少しだけ口の端を上げて、また発注書に目を落とした。
「妖精の粉、ウンゴリアントの毒液、銅線、絶縁ニス、金属核。量も等級もばらばらだな」
「試作品の数を多めに出したいので、素材も余裕を持って手配したく」
「分かった。ただ、これだけまとめてとなると、市場じゃ揃わん。冒険者に直接振るしかねえな」
ギルマスがそう言って、机の脇のベルを鳴らした。義肢ではないほうの手で。
しばらくして、扉の外から、どすどすと勢いのある足音がした。
「親方、ご無沙汰っす!」
入ってきたのは、二十代半ばの男だった。背は高くないが、肩幅が広い。革鎧の留め具がいくつか歪んでいて、最近どこかにぶつけたか、あるいはぶつかってきた何かを受け止めたか、というような風情だった。
腕には、革ベルトに小さな魔石パネルが嵌め込まれた腕輪が巻かれている。バイタルモニターだ、とレナはすぐに分かった。冒険者用に開発された、自社製品である。
「ガロン、調子はどうだ」
「絶好調っす。この前のキマイラ核、使えました?」
「使えた。あれは良かった。値はあれ以上は出せねえがな」
「いやいや、十分っすよ。また見つけたら、真っ先に持ってきますんで!」
ヘルマンとガロンの間には、何度か仕事を回した者同士の気安さがあった。レナはそれを横で見ていて、ああ、知り合いなんだ、と思った。ヘルマンのような腕利きの職人が普段から素材を頼んでいる相手なら、信頼できそうな気がした。
ギルマスが咳払いをした。
「ガロン、こちらAGマギクラフト・コーポレーションの調査員、レナさんだ」
ガロンはぴしっと姿勢を正して、レナに頭を下げた。
「ガロンっす。よろしくお願いしゃす」
「レナです。よろしくお願いします」
ガロンはさっそく発注書を覗き込んで、目を輝かせた。
「うわ、これ親方の新製品っすか。妖精の粉、ウンゴリアントの毒液、これ全部俺が受けます」
ギルマスが片眉を上げた。
「全部か」
「はい。採れる階層も近いから、まとめて捌いた方が効率いいんで、そうしましょう」
ヘルマンが壁から肩を離した。
「せめて一階層ずつに分けて受けろ」
「いやいや、親方、俺、戦士マスターしてるんで。剣士レベル6まで来てて、次バトルマスター昇格控えてるんすよ。これくらい捌けないと話にならないんで」
「お前のレベルの話はしてねえ」
ヘルマンの声は、低く、平らだった。
「二階層と三階層を続けて潜るのは、体に来る。お前、前にも一回、それやって戻ってきたとき、二週間飯が食えなかったろうが」
「あれは、生牡蠣に当たっただけっすよ」
「それは別件だ。続けて潜るな、と言ってんだ」
ガロンは少し怯んだが、強情な首は引かなかった。
「大丈夫っす、ちゃんと帰ってきますんで」
ギルマスが、何か言いかけて、やめた。義肢の指で机を一度叩き、それから息を吐いた。
「分かった。お前に振る。納期は——」
「最短でお願いします」
「最短はやめろ。無理するな」
「了解っす。じゃあ、伝票、サインしますんで」
ガロンは聞いていない。机に歩み寄って、伝票に勢いよく自分の名前を書いた。書きながらすでに次の動きを考えているような、前のめりの体だった。
帰り際、扉を出るところで、ガロンがレナに振り返って、軽く敬礼のような仕草をした。
「お任せください。バトルマスター昇格、これで決まるんで!」
レナは「お、お気をつけて」とだけ返した。ガロンは「っす」と短く返事をして、廊下の向こうへ消えていった。
執務室に静けさが戻った。ギルマスがヘルマンを見て、少しだけ口の端を上げた。
「あいつ、似てるな、お前の若い頃に」
「やかましい」
ヘルマンはそれだけ言って、革ジャケットの襟を直した。
***
数日後、工房での昼下がりだった。
レナはリアクトルの量産仕様書を製図台の上で詰めていた。ヘルマンはバルトの肩のあたりで、別の作業をしていた。ぱしゃ、ぱしゃ、と何かの板金を叩く音が、規則的に響いていた。
聞くところによると、造船のような大掛かりな工作は冒険者ギルドの依頼でたまにあるぐらいらしい。年に1回、近所の職人が大勢ここに集まって、1か月で一気に仕上げるものらしかった。
普段はレナの会社の部品を作ったり、合間に製品を作ったりしている。
工房の両開きの大扉が、勢いよく開いた。
「すんません、ヴァイス工房! 親方、いらっしゃいますか」
ギルドの伝令だった。十代後半くらいの少年で、走ってきたのか、息が上がっていた。革鞄から書状を一通取り出して、ヘルマンに差し出す。
ヘルマンはバルトの肩から下りずに、片手だけ伸ばして書状を受け取り、肩の上で広げた。しばらく目を走らせて、
「ふぅん」
「あの、ガロンさん、ちょっと——」
「分かった。読ませてもらった。お前は戻れ」
伝令の少年は深く頭を下げて、走って戻っていった。ヘルマンは書状を畳んでポケットに入れ、それからバルトの肩を一度ぽんと叩いて、ゆっくりと作業足場を下りてきた。
「お嬢さん」
「はい」
「ガロンが、入院した」
レナは製図用紙の上のペンを、ぽとりと落とした。
「えっ、入院、って……」
「心配すんな、モンスターに襲われたんじゃねえ」
「じゃあ、病気とかですか?」
「バイタルモニターが鳴り続けて気持ち悪いから、医者に見せたら、その場で『お前これ即入院だ』って言われたらしい。ピンピンしてるが、ベッドから出さしてもらえねえそうだ」
「……動けるけど、入院」
「そういうことらしい」
レナは、しばらく自分の手元を見ていた。製図用紙の上に、ペンの線が滲んで、小さな黒い円ができていた。
「素材、間に合わなくなりますね」
「ギルマスも代理の冒険者ぐらい立ててくれるだろ。納入期限までにはなんとかしてくれるはずだ」
レナは少し考えてから、書類鞄から手帳を取り出した。
「段階開発に切り替えてみます。いま手元にある分の素材で、先行試作を作っていただいて、残りはガロンさんが治ってから、ということでも、たぶん大丈夫です」
「それだと、おたくの上が文句言うんじゃねえのか」
「言うかもしれません。けど、段階開発の方が、結果的にいい試作になる気がします。一気に大量に作るより、一号機で問題を出して、二号機で詰める方が」
レナは手帳に箇条書きを足しながら、自分でも言いながら整理していた。プロの企画担当の頭が、自然に回り始めていた。
ヘルマンはそれを横で聞きながら、革ジャケットを羽織りはじめた。
「わかった。あいつにも伝えておく」
「どこに行くんですか?」
「ひとまず見舞いに行ってくる。あいつとは、もう何年か付き合いがある。何か持ってってやらにゃ気が済まん」
「わたしも行っていいですか」
ヘルマンは作業棚の隅から、油紙にくるんだ何かを取り出した。レナには中身は見えなかったが、ヘルマンの手の中で、ずしりと重そうな包みだった。
「行くなら一緒に来い。一人で歩く街じゃねえ」
「はい」
レナは慌てて鞄を取り、フェネクに「お留守番、お願いします」と声をかけた。フェネクは「はい、レナ」と短く答えて、いつものようにバルトの脚元のほうへ、白い装甲を滑らせていった。
ギルド裏手の療養所は、街の喧騒から一区画だけ引っ込んだ場所にあった。漂白剤と、魔石の焦げた匂いと、それとは別の、何か甘酸っぱい薬草の匂いが、薄く混じり合った空気が漂っていた。
廊下を進むと、いくつかの大部屋に、簡易ベッドが並んでいた。冒険者ギルド第七支部の常設医療施設、と入口に小さな看板があった。
ガロンは、奥から二番目の部屋の、窓際のベッドに寝ていた。
寝ていた、というより、寝かされていた、と言ったほうが正確だった。本人はベッドの上で半身を起こし、退屈そうに天井を見上げていた。包帯はない。打撲もない。革鎧を脱いだ簡素な肌着姿で、健康そのものに見えた。
レナとヘルマンを認めると、ガロンはぱっと顔を輝かせて、慌てて姿勢を正した。
「あっ、親方、レナさん、お、お見舞い、すんません、わざわざ……」
「いいから寝てろ」
「いやでも、寝るほどじゃ、ほんとに……」
「寝てろって」
ヘルマンは油紙の包みをベッドの脇の卓に置いた。
「ほれ、燻製肉だ。ライン蛭のな。治ったら食え」
「あ、ありがとうっす! 親方が燻したやつっすよね、これ、すげえ美味いんすよ」
「包みを開けるな、治ったらだ。モンスター肉は医者が許さんだろ」
「えっ、医者?」
ガロンの顔が、一瞬だけ曇った。
その卓の上に、外されたバイタルモニターがあった。革ベルトが緩く丸められて、魔石パネルだけが上を向いていた。表示が、うっすらと浮かんでいた。
レナは、覗き込まないように、と思いながら、目を逸らせなかった。
```
冒険者証統合バイタルモニター AGM-VM-2
登録番号: 7-G-04429
【体力】 142
(基準 350-420) ▼▼▼ 要観察
【魔力】 891
(基準 80-120) ▲▲▲ 要観察
【持久力】 38
(基準 70- 90) ▼▼ 注意
【魔力回復】 2.4
(基準 0.8-1.2) ▲▲ 注意
【体力回復】 0.3
(基準 0.8-1.2) ▼▼▼ 要観察
※【警告】
※即時医療機関への相談を推奨します
製造元: AGマギクラフト・コーポレーション
```
レナは、息を、ふっと止めた。
数字がおかしかった。
なにがおかしいかと言うと、バトルマスター目前の剣士の数値ではない。
魔法使いの数値だった。完全に。しかも【魔力】891など見たことがない。
基準値からの逸脱の方向が、一つの極に揃っていた。
「えっ……ええっ?」
ガロンは、照れくさそうに頭を掻いた。
「いやー、なんか最近、HP低いなーって、薄々思ってたんすよ。中階層を巡回してても、すぐにバテちゃうし」
「……」
「体は調子いいんすよ、ほんと。動けるし、力も出るし。むしろ絶好調まであって。けど数値だけずっと下がってって、あれ? あれ? って」
ヘルマンが、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「鳴ってなかったのか、これ」
「鳴ってました」
「……」
「鳴るまで見なかったんすよね、正直。鳴り始めても、まあ動けるしいいかって。気持ち悪いから一回外して、ポーチに入れといて、そしてつけた途端に鳴り始めて、これは故障かもなと思って医者に見せたら——」
「お前これ即入院だぞ、と」
「そうっす。なんでお前動けてんの? バカなの死ぬの? って言われて」
ヘルマンは何も言わず、口の端をふっと持ち上げた。それから、
「ヒーラーの彼女に怒られたか」
「めちゃくちゃ怒られましたね」
「別れちまったんじゃねえのか」
「別れてねーっす。なんでそうなるんすか」
ガロンが情けない声を出した。ヘルマンは少し笑って、
「お前、前に『俺とキャリア、どっち選ぶの?』とかいう馬鹿な訊き方して、『キャリア』って即答されたって言ってたろうが」
「あれは訊き方間違っただけで、別れてないんすよ。続いてるんすよ。なんかもう、俺が無駄に動揺しただけで」
「不思議と続くもんだな」
「ほんと不思議っす」
レナは、どちらかと言えば呆気に取られて、二人の会話を聞いていた。
そのとき、廊下から、規則的な足音が聞こえてきた。
部屋に入ってきたのは、三十手前くらいの女性だった。
白衣の裾が膝まであって、髪を後ろで一つに結んでいた。胸元のバッジに「ギルド第七支部 常駐医 ミラ」とあった。手にはカルテと、小さな魔石灯。落ち着いた足取りで部屋に入ってきて、ベッドのガロンと一瞬目が合うと、お互いほんの少しだけ困ったような顔をした。レナとヘルマンがいるから、職務モードに切り替える、という小さな間。
ミラはレナとヘルマンに会釈した。
「お見舞いの方ですか、お疲れさまです。少しだけ、診察させてください」
「ミラ先生、こちら、AGマギクラフト・コーポレーションの——」
「ガロン、後で。今は診察」
「っす」
ミラはガロンの手首を取り、目を一瞬閉じて、何かを測っていた。脈、というよりは、もう少し別のものを。それから魔石灯をガロンの胸の前に近づけて、光の色の変化を確かめていた。
「うん、思ったよりは抜けてる」
「ほんとっすか」
「でもまだ全然。ヒール一本でも刺せないよ、これ」
「いつになったら、また依頼受けられます?」
「最短で四週間」
「四週っすか……」
ミラは魔石灯をしまいながら、カルテに何かを書きつけた。
「ヒールってのは、あんたも知ってるでしょ。体外から魔力を流し込んで治す術。中身がもう魔力でいっぱいの体には、入る隙間がない。だから今あんたには、まず魔力を抜く時間が必要。それから、ふつうの飯。魔力のない野菜と穀物。あとは、寝ること」
「魔力、抜く……」
「使うか、出すか、どっちか。あんた、体内の魔力、ふつうに循環させる訓練、受けてないでしょ」
「戦士なんで」
「だから言ってんの」
ミラはそこでカルテを閉じて、世間話のような声色で、ガロンの肩を一度、ぽん、と叩いた。
「あんた、もう魔法使いに転職しちゃいなよ」
ガロンが、弾かれたように顔を上げた。
「えっ」
「優しい先生知ってるよ。職業訓練校。あんた、向いてると思う。MP891とか普通は気分悪くなって動けないわよ」
「えっ、魔法使いに? 今から?」
「うん」
「いやいや、戦士マスターしてもう剣士レベル6まで鍛えてんすよ? ここまで来たら、次はもうバトルマスターしかなくないっすか?」
ミラは表情を変えなかった。
「バトルマスターになって、続けるの? 体がこれで?」
「いや、それはちゃんと治して」
「これじゃ治しても、また同じことするでしょ。あんた、モンスター肉好きだもん。魔力核に汚染されたモンスター肉が一番魔力を持ってることぐらい、知ってるでしょ?」
「……」
「魔法使いなら、その魔力、ちゃんと使い切れる体になる。バトルマスター目指して同じ働き方しても、もう一回これやるよ。そうでなきゃ、次は動けない体で運ばれてくる」
ガロンは口を開きかけて、また閉じた。
ミラはカルテを脇に挟んで、少しだけ声を落とした。
「あんた、剣士レベル6まで来たんでしょ。同じくらい本気でやれば、魔法使いだってマスターまでいける。MP891もあったら大魔法が使えるわよ。素材があるんだから、活かしなよ」
ガロンは何も言えずにいた。
ミラは少し息を吐いて、それから、レナとヘルマンのほうを向いた。
「ご面倒おかけしてすみません。あと一ヶ月くらいで、依頼にも戻れると思いますので」
「いえ、お大事に」とレナは慌てて返した。
ミラはもう一度ガロンに視線を戻して、
「あ、それと、退院したら、もう少し肉減らせ」
「えっ」
「肉減らせって言ったよね」
「……いやそれは、ちょっと、無理っす」
「……」
ミラは鼻で息を吐いて、首を横に振った。
「ま、そこは追々ね」
軽く会釈をして、ミラは廊下のほうへ歩いていった。白衣の裾が翻って、扉が静かに閉まった。
部屋に静けさが戻った。
ガロンは天井を見たまま、しばらく何も言わなかった。レナもヘルマンも、何も言わなかった。窓の外で、電線天蓋の隙間から差し込む光が、薄く揺れていた。
しばらくして、ガロンが、誰に言うでもなく、ぽつりと言った。
「あいつの言うこと、だいたい、正解なんすよね」
ヘルマンが、椅子の背もたれに体を預けて、少しだけ笑った。
「だろうな」
「パーティ抜けるって言われたときも、即答でキャリアって返されたときも、あの時は俺ショック受けたんすけど、今思えば、あいつの判断が正解だったんすよ。あいつ才能あったし、現場よりこっちのほうが向いてたし、それで——」
ガロンは少し笑って、肌着の襟元を指で引っ張った。
「今回も、たぶん、正解なんすよね。わかってんすよ」
「わかってないだろ」
「わかってんすよ。わかってんのに、認めるのが、また、悔しいなって」
ヘルマンが、ふっと鼻で息を吐いた。
「悔しがってる場合か、お前。周りに迷惑かけてるのに」
「ああ、すみません」
ガロンは少し笑って、それから、レナのほうを見た。
「すんません、レナさん。納期、遅らせちゃって」
「いえ、こちらで段階開発に切り替えますので、大丈夫です」
「段階……?」
「いま手元にある素材で、まず一号機を作っていただいて、ガロンさんが治って戻ってきたら、二号機の素材をお願いするかたちで」
「あ、それなら、二号機、俺が採ってきますんで」
「お待ちしてます」
ガロンは、ぱっと笑った。
「魔法使いになった俺が採ってきますんで」
「……早いですね、決断」
「いやまあ、あいつの言うこと、だいたい正解っすから」
ヘルマンが立ち上がって、
「燻製肉、医者の許可降りたら、食え」
「っす、ありがとうございます」
「ちゃんと、来い」
「っす」
療養所を出ると、午後の街は屋台の支度の時間だった。
通りの両側で、串焼きの炭が起こされ、煙が薄く流れ始めていた。スライム肉の脂が炭に落ちる音、香辛料が鉄板で弾ける音、店主たちが声を交わす音。レナはそれらを、いつもより、少しだけ、はっきり感じた。
「ヘルマンさん」
「ああ」
「ガロンさんと、長いんですか」
「四、五年、ってとこか。新人だった頃から、たまに素材頼んでた。あいつ、目利きが悪くないんでな」
「ミラさんも、その頃から?」
「あいつがまだヒーラーやってた頃に、何度か工房に来たな。今のほうが落ち着いてるが、現場やってた頃はもうちょっと、勝ち気な感じだったよ」
「『俺とキャリアどっちを選ぶの?』って訊かれて、即答した方ですよね」
「そうだ」
「……ふふ」
レナは少し笑った。ヘルマンも、口の端だけ持ち上げた。
しばらく歩いてから、レナが、書類鞄を抱え直しながら、続けた。
「あのバイタルモニター、結構なお値段すると思うんですけど、冒険者が全員つけてるんですか?」
「ああ、ギルマスが支給してるらしい」
「それでか。私の会社、あの素材で結構な金額払ってるんですよ。バジリスク核、値上がりした時期があって。仕入れ部が文句言ってたって、聞いてました」
「ふぅん」
「あの価格高騰、たぶん、あの腕輪のせいだったんですね」
ヘルマンは何も答えなかった。革ジャケットの肘のあたりが、歩くたびに小さく揺れていた。
「だから……ちゃんと活かしてほしい、って、思っちゃいました」
「思うのは勝手だ」
「言わないですよ」
「言えるようなら、お前、もうちょっと出世してるよ」
レナは少しむっとして、それから、少しだけ笑った。ヘルマンは前を向いたまま、口の端を一度だけ持ち上げて、それからまた元に戻した。
しばらく歩いてから、ヘルマンが、屋台の煙の中を歩きながら、ぼそりと付け加えた。
「それと、お前、飯はちゃんと食え」
「えっ」
「できるだけ自炊しろ。お前も、魔力を溜める方だ」
レナは虚を突かれて、口を半分開けたまま、足を止めかけた。屋台の煙が、横顔をふっと撫でていった。スライム肉の脂、香辛料、揚げ物の音、どこかで誰かが値段を読み上げる声——今までずっと、素通りしてきた匂いと音だった。
ヘルマンは振り返らずに、先を歩いていた。
レナは、書類鞄を抱え直して、足を速めた。