転生貴族リデル・バートンの野望
ギリアスは何も言わずに、右側の席へと静かに腰を下ろした。
胸元から細巻きの煙草を取り出し、口にくわえる。そのままもう一度懐を探ったが、火種が見当たらなかった。
ゲオルクスはすかさず、自身が手にしていた葉巻の火をスッと差し出した。
「……気を遣わせて悪いね」
「ええんやで。困った時はお互い様や」
ギリアスは差し出された火で細巻きに火をつけた。
ひと口深く吸い込み、紫煙を緩やかに部屋の中へと吐き出す。
しばらくの間、二人は無言のまま佇んでいた。
青白い煙が、応接間の天井へと静かに漂っていく。
「……しかし」
ギリアスが静かに口を開いた。
「こう言うのも何だが──」
どこか探るような、低い声であった。
「あれほどアンタらが渋り続けていた停戦仲介を、どうして今になって急に引き受けてくれたのかねぇ?」
「それに関しては、申し訳ないと思っとるよ」
ゲオルクスは葉巻を口から外し、肩をすくめてみせた。
「だがワシらにかて、優先順位っちゅうもんがあったんや」
「ふうん……」
「本当はな、アンタらの無意味な争いを止めとうて止めとうて、居ても立ってもいられんかったんや」
ゲオルクスは葉巻を口に戻し、両手の指を重厚に組んだ。
「ずっと……この機会を、タイミングを伺っとったんやで」
「へっ」
ギリアスは細巻きを指先で軽やかに一回転させた。
「……噂通り、どこまでも胡散臭い男だねぇ、アンタは」
言葉そのものは酷い罵倒であったが、ギリアスの口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
「大方──」
ギリアスは言葉を続けた。
「俺たちをマルシアと手打ちにさせて、帝国本領で暴れ回るグランツ相手に向けさせようって腹づもりだろうがよ」
もうひと口、煙草を吸い込んだ。
「だが、残念だったね。俺たちにそんな争いをするつもりは毛頭ない」
紫煙を吐き出しながら、ギリアスはきっぱりと告げた。
「俺たちはただ、自分たちの住処と居場所を守りたいだけだ。誰が帝国の覇権を握ろうが、そんなことは知ったことじゃないね」
「はて……何のことやら?」
ゲオルクスは白々しく、とぼけてみせた。
「しかし──」
ゲオルクスは葉巻を指先でトントンと叩き、灰を落とした。
「グランツの野心は留まることを知らん。奴が巨大化して手に負えなくなる前に、叩いておくべきやと思うけどなぁ」
ギリアスは火のついた細巻きを、灰皿へと静かに押し潰した。
「まあ……どちらにせよ」
ギリアスの視線が、部屋の隅にあるもう一つの席へと向けられた。
左側の席──そこはまだ、空席のままであった。
「この停戦仲介を、あのマルシアが素直に飲むかどうかだがね」
「……飲むに決まっとる」
ゲオルクスは即座に断言した。
「恐らく……あの女もワシと同じことを望んどるはずや」
その声には、底知れぬ何かが含まれていた。
極めて意味深な響きであったが、ゲオルクスはそれ以上何も語ろうとしなかった。
ギリアスはその言葉の真意を測るように、しばらく沈黙を守った。
まさにその時──。
廊下の外から、衛兵の大声が響き渡った。
「──北方軍閥特使様、ご到着!!」
部屋の中の空気が、一瞬で鋭く引き締まった。
ゲオルクスが口元を歪め、笑みを浮かべる。
重厚な扉が、静かに開かれた。
長さを誇る銀髪。
腰にまで届く、手入れの行き届いた輝く銀色の髪が、扉をくぐる動作に合わせて優美に揺れた。
切れ長の瞳を持った女性であった。彫刻のように整った美貌を誇っていたが、その瞳に宿る凄絶な殺気と鋭さが、美しさよりも先に強烈な圧迫感となって押し寄せてきた。
女性は部屋の中を一瞥した。
そして、冷ややかに呟いた。
「……なるほど」
一拍の置き間。
「生臭神官に、蛮族の親玉か。どうりで部屋に近づくにつれ、死臭が鼻につくと思った」
「誰が生臭神官や!! いてもうたるぞ、お嬢ちゃん!!」
ゲオルクスが椅子から身を乗り出し、激しい剣幕で噛みついた。
「ハハハ!」
ギリアスは腹を抱え、声を上げて笑った。
「酷い言われようだねぇ。……しかしまさか、北方軍閥のナンバー2のアンタ自身が直接出向いてくるとはね」
ギリアスの目が、鋭く細められた。
「──『剣聖』セシル・エドワード」
「不服か」
セシルは隠そうともしない殺意を全身から滲ませ、冷酷に問い返した。その一言には、圧倒的な威圧感が宿っていた。
「おーおー、怖い怖い」
ギリアスは降参するように両手を軽く挙げた。
「そんなにトゲトゲしなさんな。まずは座って、おじさんたちとゆっくり話をしようじゃないか」
空いている左側の席を指し示した。
「不要だ」
セシルはそれをバッサリと切り捨てた。
「私は貴様らごときと交渉しに来たのではない」
部屋の入口に立ったまま、一歩も動かずに告げた。
「我が主にして聖女であらせられるマルシア様からの『伝言』を届けに来たまでに過ぎん」
「……伝言?」
「貴様らの停戦仲介の申し出を、寛大なるマルシア様はお受け入れになった。すでに近隣の部隊も撤収を開始している」
部屋の中に、死のような静寂が落ちた。
ゲオルクスとギリアスは、思わず互いに顔を見合わせた。
海千山千の怪物である二人をして、驚きを隠せないほどの展開であった。
「……話が早いのは助かるがね」
ギリアスが訝しげに尋ねた。
「本当に大丈夫なのかい? この三年間、アンタらも少なくない金と命をドブに捨てて戦ってきたんだ。おいそれと引き揚げて、現場から反発の声は出ないのかい?」
「我々をお前たちのような俗物どもと一緒にするな」
セシルは吐き捨てるように一蹴した。
「我々にとって、マルシア様の御言葉と御意志こそが絶対であり『正義』だ。これに背く悪徒は、ただ滅ぼすのみ。……それだけだ」
「おお、怖……」
ギリアスは肩をすくめて見せた。
「こんな狂信者どもと俺たちは、三年も泥沼の戦いをやってたのかよ」
「……よっしゃあ!!」
ゲオルクスがパンと勢いよく膝を叩いた。
「ともかくこれで、両者手打ちになったわけやな! ワシの完璧な仲介のおかげで!」
恩着せがましく高らかに宣言してみせた。
「……フン」
セシルは心底忌々しそうに鼻を鳴らした。
「それともう一つ、伝言がある」
「何だ?」
「『命の限り、思う存分戦いなさい。女神と共に見守ります』」
言い捨てると、彼女はくるりと背を向けた。
「……だそうだ」
扉へ向かって歩みを進めながら、短く吐き捨てる。
ギリアスはその去り行く背中に向かって声をかけた。
「だから、戦るつもりはないって言ってるだろうに」
セシルは足を踏み鳴らし、一度たりとも振り返らなかった。
「それと──二度と俺たちにつるもうとするな、とあのイカれ女に伝えておいてくれ」
セシルは当然のように何の答えも返さず、重厚な扉がカシャリと音を立てて閉ざされた。