未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
リィナの剣聖査定は、本人が知らないところで半分始まっていた。
きっかけは学院剣術科の朝稽古だった。
見学していた一年生の女子生徒が、【無終剣】の戻り足を真似しようとして転び、リィナが思わず教えた。
「違う違う。前へ出た足を戻すんじゃなくて、次に動ける場所へ身体を置くの。振り切ってから戻ると遅いから、剣を止めるんじゃなくて、次へ繋げられるところで終わる」
「えっと……こうですか?」
「肩に力入りすぎ。剣で戻ろうとしないで、足から」
少女がもう一度踏み込む。
一撃を振り抜かず、半歩だけ位置を変え、次の構えへ繋ぐ。
形はまだ拙い。それでも考え方は成立しており、リィナの目がわずかに大きくなった。
「……できた」
「本当ですか!?」
「うん。まだ戦闘で使えるとかじゃないけど、今の考え方で合ってるから」
その場面を、剣術科の教官が見ていた。
翌日、正式査定の話が来た。
「嫌」
リィナは即答した。
「え、何で?」
レイルが聞く。
「だって査定って、偉い人の前で剣振るんでしょ」
「普段、魔王種の王の前でも振ってるじゃんか」
「それとこれとは違う!」
「ラガン師とヴァルカ師に二度ずつ負けてるのは平気なのに?」
「負けたこと数えないでくんない?!」
セレネが査定書を読む。
「剣聖認定は単純な勝敗だけでは決まりません。独自剣理を他者へ説明し、再現可能な体系として示せることが条件です」
「分かってるけど……」
「怖いのか?」
レイルが聞くと、リィナは少し黙った。
「……自分の剣って、自分だけのものだと思ってたから。誰かに教えて、できなかったら、私の説明が駄目ってことでしょ」
「それだけの理由なの?」
レイルが聞くと、リィナは少しだけ唇を尖らせた。
「……ラガン師やヴァルカ師から教わったものも入ってる。私が勝手に混ぜて【無終剣】って呼んでるけど、変な教え方して、二人の剣まで安くしたくない」
「二人とも、そんなことで怒るかなあ」
「怒らないと思う。だから余計にちゃんとしたいの!」
リィナらしいと思った。勢いで飛び込むように見えて、大切なものほど雑には扱わない。自分の剣を誰かへ渡すことは、自分の名前を広めることより、今まで教わったものを次へ渡すことなのだろう。
「でもさ、できたじゃん。昨日の子」
「一人だけだよ」
「最初は一人でいいんじゃない? 誰だってそうでしょ」
リィナはレイルを見る。
「レイルって、そういう時だけ簡単に言うよね」
「俺も最初の読者一人から始めたから」
その言葉で、リィナの表情が変わった。
「……あ」
「俺の場合は本だけど。誰か一人に伝わったなら、次を考えればいい」
「それ、私が言ったみたいな言い方」
「最初の読者の影響かな?」
リィナはしばらく黙り、それから小さく笑った。
「ありがとう。じゃあ受けるよ」
「うん」
「落ちたら朝練付き合ってよね?」
「受かっても付き合うけど」
「……そうだった。じゃあやけ食いしよ!」
「腹がパンクするので、それは遠慮しとく」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
査定当日、学院大演武場には王国剣術院の査定官三人と、学院剣術科の教官が並んだ。
さらに王核大陸から来ていた交流使節が、ラガン・ティグリスとヴァルカ・ゼインの戦闘記録を提出していた。
査定官の一人が記録を読み、眉を上げる。
「この二名から直接指導を受けたのか?」
「はい、間違いありません」
「人間圏の基準へ置けば、双方とも剣帝域へ届くお方だ。ラガン殿は戦場運用、ヴァルカ殿は多腕による間合い支配が特に厄介だ。なお王核側の一部でラガン殿を通称【剣王】と呼ぶ例があるそうだが、こちらの正式等級名ではない。いずれにせよ、剣聖が一人で越えられる相手ではない」
リィナの金茶色の瞳が少し輝いた。
「やっぱり、そのくらいの強さなんだ」
「君、嬉しそうだな」
「だって、まだ勝ててないから。上が分かった方がいいでしょ?」
査定官が笑う。
「なら、先に言っておこう。その二人を天井だと思うなよ」
「え?」
「剣帝のさらに上に剣神がいるのだ」
演武場の一番奥。
いつからいたのか、白髪の男が壁へ背を預けていた。
年齢は六十を越えて見える。装飾のない黒い上着、腰には一本の古い剣。魔力の威圧も、派手な気配もない。
ただ、リィナがそちらを見た瞬間だけ、呼吸が変わった。
「……あの人」
足場が見えない。
【固有技能・先路】は働いている。立てる場所はいくつも見える。それなのに、どこへ踏み込んでも自分がその先へ繋がる感覚だけがなかった。
白髪の男が口元だけで笑う。
「娘。いい目だ」
査定官が姿勢を正した。
「現剣神だ。今日はお前の見届けに来られた」
リィナの背筋へ冷たいものが走った。怖さはある。それなのに、越えるべき場所が目の前へ現れた喜びで口元が上がった。
「……あの人より上に行けばいいんだ」
「まず査定を終えるのが先だぞ、リィナ!」
レイルが観客席から言う。
「分かってるって!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
査定の第一課題は、三人の学院生へ【無終剣】の基礎を教えることだった。
剣歴も体格も違う三人。
リィナは最初、全員へ同じ説明をしようとして失敗した。
一人は踏み込みが大きすぎる。一人は剣へ力を入れすぎる。もう一人は怖がって足が戻る。
リィナは腕を組んだ。
「……待って。みんな同じことしなくていい」
査定官が目を上げる。
リィナは一人ずつ立ち位置を変えた。
「あなたは前へ出すぎるから、一歩目を小さく。あなたは剣を振り切らないことばっかり考えてる。振っていいよ。ただ、次の足を残して。あなたは戻ろうとしすぎ。怖かったら横へ逃げてもいい。次に動けるなら、それも【無終剣】だから」
自分で言って、少し驚いた。
【無終剣】は決まった型ではない。
最後まで振り切れない呪いへの対策から始まり、ラガンの帰還、ヴァルカの多方向戦、レイルとの朝練を混ぜながら育った。
大事なのは形を同じにすることではない。
次を失わないことだ。
三人目の学生が、ようやく一撃から横へ抜け、構えを戻した。
「それ!」
リィナの声が演武場へ響く。
自分の技を誰かが使った。
真似ではない。その子の身体で、同じ考え方が再現された。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
第二課題は実戦だった。
査定官二人を相手に、3分間、自分の間合いを維持する。
リィナは【継刃】を抜く。
シャキンッ!
最初の査定官が正面から踏み込む。
リィナは受けず、左へ半歩。次の一歩が見える。
【固有技能・先路】。
斬撃を鞘側で滑らせ、そのまま右の査定官へ柄を返す。二人目が下がれば追わず、空いた中央へ戻る。
一撃を終わらせない。
一人を倒すために位置を捨てない。
剣がぶつかるたび、間合いが少しずつ変わる。
前、横、後ろ。
それでもリィナの足は、必ず次へ動ける場所を残していた。
「残り10秒!」
正面の査定官が大きく踏み込んだ。
リィナは半分だけ抜いた【継刃】で受ける。
【無終剣・抜継】
受けた力を鞘へ戻し、腰を回す。
刃を完全に収めない。
角度だけを変えて、もう一度抜く。
査定官の剣が外へ流れ、リィナの切っ先が胸元へ届いたところで止まった。
「終了!」
演武場が静かになる。
リィナは息を吐き、剣を納めた。
査定結果は長くなかった。
「リィナ・アルセイル。今をもって、剣豪上位から【剣聖】へ正式認定とする」
会場中に大きな拍手が起きた。
最初に一番大きく手を叩いたのはレイルだった。
リィナはそちらを見て、笑う。
その直後、現剣神の白髪の男が壁から離れた。
「おぬし、剣聖になった程度で満足する顔じゃないな」
「はい!もちろんです」
「まずはラガンとヴァルカに勝て」
「はい」
「そのあと来い――」
リィナの目が輝く。
「待っててください」
「待たん。拙者も鍛えるからな」
リィナが目を丸くした。
「剣神でも、まだ鍛えるんですか?」
「剣神になったら終わりだと誰が決めた」
「……誰も」
「なら聞くな。上へ来たいなら来い。だが肩書きを取りに来るな。昨日のお前より一歩先へ来い」
その言葉に、リィナの笑みが変わった。
剣聖になったばかりなのに、もう次の場所が見える。終わりだと思っていた線の向こうへ、また道が続いている。レイルが“完成しても次がある”と言った時の感覚が、剣を通して少し分かった気がした。
「はい。絶対行きます」
「返事だけはいいな」
「そこ、師匠たちにも言われます」
「なら直せ」
それだけ告げて、現剣神は背を向けた。
リィナは一瞬ぽかんとしてから、声を上げて笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
翌朝。
宿舎の前に、二十七人いた。
「リィナ先輩! 弟子にしてください!」
「無終剣教えてください!」
「朝練参加希望です!」
扉を開けたリィナが、そのまま閉めた。
「レイル」
「何?」
「昨日の女子後輩に囲まれた時、どんな気持ちだった?」
「今のリィナと同じだと思う」
「もう助けて」
「剣聖なんだから自分でなんとかしなさい」
「そういう時だけ突き放さないで!」
外から「リィナ師匠ー!」と声が飛ぶ。
レイルは笑いながら上着を取った。
「じゃあ朝練、二十七人追加?」
「絶対無理だもん!」
なんとか弟子志願者を振り切り、剣聖になった翌朝も、やっていることはいつもの朝練だった。