未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
サルテ旧診療街から退いた翌朝、十二地点すべてで白環反応が同時に上昇した。
最初の一報は固定継信塔から届いた。
その三十秒後、二地点目。さらに三地点。
フィアが受信時刻を記録し終える前に、壁一面の地図へ十二個の白点が灯った。
【基準日展開:12地点】
【同時照合:開始】
「来たな――!」
レイルは椅子から立つ。
臨時指揮所は、レグナとサルテの中間にある軍用継信所へ移されていた。
大型の有線通信網で各地方本部と繋がり、最後の数百メートルだけを新型の【携帯魔導通信器】で埋める。ロッテが急造した【継信杭】も十六本、各現場へ試験配備されている。
短い鉄杭へ人工導出端を載せ、受け取った信号をそのまま次へ送り直すだけの単純な装置だ。通信距離を無限へ伸ばす力はないが、切れた有線の両端を一時的に繋ぐには使える。
「第一地点、医療区画で【差分複写】進行!」
「第二地点、住民の一部が自主的に装置防衛へ回っています!」
「第三地点、ザルガン軍が施設占拠中!」
「第四、白環執行系確認!」
「第五地点、有線断絶!」
声が重なる。
以前のレイルなら、全部を自分の術式帳へ書こうとした。
今も手は紙へ伸びかける。だが、寸前で止めた。
「全員、一度だけ聞いてくれ。俺が十二ヶ所全部へ指示を出す形にはしない」
重なっていた報告の中で、レイルは声を張った。
皆の視線が集まる。
「フィア。十二地点の番号と、今どこまで進んでいるかを固定して。俺が順番を混ぜないためじゃない。全員が同じ地図を見るために」
「すでに仮番号は振っています。今から正式固定します」
「セレネ。通信路を四群に分けられるか?」
「四群にもできます。ただ、今の通信量なら三群で十分です。第四群を予備へ残した方が、一群落ちた時に組み替えられます」
「じゃあ、その判断でいこう。通信は任せる」
「任せる、と言ったあとで細部まで取り返さないでくださいね」
セレネの青紫の瞳がまっすぐレイルを見る。
「取り返さない。必要な時だけ呼んでくれ」
「分かりました。では第一群、北部1~4。第二群、中央5~8。第三群、南部9~12。私は優先順位と回線だけを管理します。現場で誰を助けるか、どの道を捨てるかまでは、各地点の責任者へ返すことにします」
レイルは頷き、次へ向く。
「ノア。十二地点を止めるだけで終わると思えない。七印の文法を追ってほしい」
「そんな事、言われる前から始めています。昨日抜いた記録核三つを接続します。ただ私が解析へ入ったら戦場指示はできません」
「それでいい。そこは俺たちが持つよ」
「アルド」
「俺は第五地点へ行く。避難隊が一班足りない。俺が入れば、護衛と搬送を同時に組める」
「任せる。帰還条件は現地指揮官と共有してくれ」
「当然だ。昨日の橋で十分学んだからな」
「リィナ」
「第五に前衛が要るなら私も――」
「訂正」
フィアがすぐに割り込んだ。
「リィナは第六地点へ。第五地点はアルドの守備力で足ります。第六は前衛線が崩れ、負傷者の搬出路まで敵が入り始めています」
「そっちの方が私向きだね。分かった、第六へ行くね!」
リィナはレイルを見る。
「レイル、こっちの判断まで後から抱え直さないでよ?」
「やらない。迷ったら通信してくれ」
「よし。じゃあ、ちゃんと任された!」
フィアがすぐに訂正する。
「リィナは第六地点へ。第五地点はアルドで足ります。第六の守備線が崩れています」
「分かった」
誰もレイルの許可を待たない。
情報を共有し、自分の役割を取る。
レイルは腰の【未完】保持表示を見る。
【保持:12件】
各地点へ一件ずつ、事前に形成された停止術式の最後の工程を預かっている。
十二地点。
十二件。
数だけ見ればぴったりだ。
でも、現場は一地点一問題ではない。
『第一地点、治療棟にも白環差分侵入!』
『第七地点、避難門閉鎖!』
『第十地点、魔導炉へ照合波!』
「足りない」
レイルが呟く。
十二件では足りない。
保持数を増やす案が頭をよぎる。
外部媒体を追加すれば、無理をすれば――。
「レイル」
フィアがこちらを見る。
「もしかして13件目を作ろうとしていますか」
「……顔に出てたか?」
「記録上、その顔で何度も上限へ近づいていますから......」
セレネも言う。
「増やさないでください」
「でも」
「十二件でも足りないなら、それ以上の仕事は、別の人へ渡してください」
その言葉で、レイルは息を吐いた。
「そうだったな――」
未完が足りない。
だから未完を増やす。その考え方自体が、昔の自分へ戻りかけていた。
「第一地点の治療棟には、未完を使わない。現地治療師へ解除手順を送る。第七避難門はアルドじゃなく現地工兵への依頼。第十魔導炉はロッテの遠隔指示で対応だ」
「受理します」
フィアが記録する。
「十二件は、白環の基準日結着だけに限定します」
「それでいこう」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
問題は、通信妨害だった。
白環側も、こちらが通信網で判断を分散していることに気づいたらしい。
第三群の継信杭が一斉に白い雑音を拾い始める。
『南部9――聞こ――』
『11地点、応――』
『救難――』
音声が崩れる。
「妨害波、白環文法です!!」
ノアが叫ぶ。
「単純な高出力ではありません。継信杭が“正しい信号”として受け入れる形式で偽情報を入れています!」
セレネの【五路演算晶】が激しく明滅する。
「ニア、送信元照合!」
『偽装多すぎです! 現場識別ト一致シナイ信号、毎秒43件!』
「全部切ったら本物も落ちるってわけだな」
レイルは指揮所の外へ出た。
白環妨害の発信源は、近くの地下遺構から来ている。ここが十二地点の照合を束ねる中継点の一つらしい。
「止めに行く」
セレネが言う。
「私も」
「来て。ニアもだ」
『はい!』
地下へ降りる。
狭い通路の先に、白い環状装置が回っていた。周囲へ無数の偽通信を流し、こちらの継信杭へ正規信号として食わせている。
「壊しますか?」
セレネが問う。
「主装置は駄目だ。七印照合データまで飛ぶ」
「なら妨害経路だけ処理しましょう」
ニアが白環装置の側面を見つめる。
『外部送信導線、特定。三本。アレ切れば妨害止まりマス』
「届くか?」
『人工導出端経由ナラ』
レイルはニアを見る。
昨日までなら、ニア自身へ攻撃権限はない。
「生体への攻撃じゃない。敵性通信設備の導線だけ。対象をこの三本に限定する」
『権限追加?』
「今回だけじゃない。今後も、俺か登録責任者が“敵性設備”と認定したものへの停止妨害。人間や生物には使わない。未知の設備は確認待ち」
セレネがすぐに条件を加える。
「破壊範囲は導線または外部端子のみ。主核への直接攻撃は禁止」
「フィアへ送って記録」
『了解!』
オムニアの環から、細い光の針が一本形成される。
魔法弾ではない。外部端子へ短い遮断信号を打ち込むための媒体針。
【導断針】
『ニアちゃん、いきマス!』
一射。
白い光が一本目の導線へ刺さる。
パチン、と小さな音。
偽通信が三分の一減る。
二射目。
三射目。
環状装置そのものは残ったまま、外部送信だけが止まった。
『第三群、通信回復!』
通信器から現場の声が戻る。
ニアが両手を上げる。
『攻撃?』
「妨害」
『ほぼ攻撃』
「設備限定」
『でもニアちゃん撃った』
「嬉しそうだな」
『ちょっとだけにゃ!』
セレネが笑いかけたところで、装置中央が強く光った。
「まだ何か来ます」
白環環状部の六層が別々の速度で回転し、地下空間へ圧力をかけ始める。
ノアから通信が入る。
『レイル! 中央装置が六重防壁へ移行! 妨害再開前に止めるなら、各層を同一周期で崩してください!』
「六層でいく」
レイルは装置を見る。
四層なら安定している。
六層は訓練で数回成立させた程度。実戦で安全終了まで通したことはない。
でも、今ここで自分がやる仕事は一つだけだ。
十二地点全部ではない。
目の前の六重防壁だけ。
「セレネ。十二地点は任せる」
「任されます」
「ニア、俺の経路監視だけ」
『了解』
「形成は俺がやる」
右掌。
左腕環。
背部環。
腰外導端。
右脚。
左脚。
六つの経路へ、それぞれ異なる圧力の風を形成する。
攻撃力を増やすためではない。
六重防壁の回転周期を一層ずつ逆向きに削るため。
始動。
形成。
頭の中で六つの処理が走る。
四つまでは、もう言葉にしなくても並ぶ。
五つ目で視界の端が少し暗くなった。
六つ目を載せると、両足の魔力経路が焼けるように熱い。
『負荷上昇。左右脚部52%。右肩46%。安全域内、余裕少ナメ!』
【刻差知覚】で六層の終了時刻を読む。
第一層が早い。
第三層が遅い。
第六層は不安定。
「0.3、左」
「0.2、背部」
自分で声に出す。
詠唱ではない。
ずれを忘れないためだ。
六つが揃う。
「レイル、いけます」
セレネの声は、十二地点の通信を抱えたままでもこちらへ届いた。
結着。
六本の風圧が別々の角度から白環装置へ入り、回転する防壁へ逆位相で噛んだ。
一層目が止まる。
二層。
三層。
四層目でレイルの右肩が跳ねる。
「まだ!」
五層。
六層。
バンッ!
最後の白環だけが砕け、中央装置の回転が止まった。
レイルはその場へ片膝をついた。
息が上がる。
頭痛もある。
『六層全工程、終了確認! 残留圧6%、排出中! 再使用禁止!』
「分かってる。もう六層は使わない」
返事をしたレイルの身体が、立ち上がろうとしてわずかに傾いた。
セレネが何も言わず片手を差し出す。
「立てますか」
「立てる。これくらいなら――」
セレネは手を引っ込めなかった。
「立つなら、掴んでください。さっき貴方が私へ十二地点を任せたでしょう。なら、今度は私が一歩分くらい支えても問題ありません」
「一人でも立てるよ」
「知っています。でも、貴方の隣には今、私がいるんです」
「……それ、俺に効くと思って言ってる?」
「はい、かなり」
レイルは観念して手を取った。
セレネの手は細い。けれど、引き上げる力は迷いなくしっかりしている。
「ありがとう」
「どういたしまして。今度は素直ですね」
「最近、頑張って練習してるんだ」
「いつもその調子でお願いします」
立ち上がったあとも、セレネはレイルの重心が戻るまで手を離さなかった。
通信器から十二地点の声が戻ってくる。
『第一地点、基準日停止準備完了!』
『第五地点、避難終了!』
『第八地点、白環執行系後退!』
『第十二地点、待機!』
十二件の未完保持が、腰媒体へ並ぶ。
レイルは一つずつ見る。
でも、いつ完成させるかを一人で決めない。
「フィア。順序」
「4、1、9、12、3、7、2、10、5、11、6、8」
「セレネ。現場確認」
「全地点、受領済み。各責任者から結着許可が揃っています」
「ノア。白環側の逆流」
『停止条件成立。今なら一地点ずつ返しても連鎖しません』
「ニア」
『通信、全群維持。緊急割込ナシ』
レイルは息を整える。
「じゃあ、未完を返す。ここまで決めたのは俺一人じゃない。だから、順番も皆の判断のまま行く」
レイルは十二件の表示を見渡した。
自分の役割は、最後の一工程を返すことだけだ。その前に誰を逃がし、何を残し、どこを捨てるかは、もう各地の人間が選んでいる。
「フィア、順番は変えない」
「はい。変更なしです」
「セレネ、途中で一ヶ所でも現場条件が変わったら止めてくれ」
「止めます。遠慮なく」
「ノア、逆流が出たら?」
『即座に中断させます。貴方が続けると言ってもです』
レイルは少し笑った。
「それでいい。ニア、全部聞こえてる?」
『全群クリア! ニアちゃん、最後マデ繋ぎマス!』
「よし。未完記録、第4番――完成」
一つ目の光が消える。
「第1番――完成」
二つ目。
二つ。
十二地点の光が、順番に消えていく。
レイルは数を増やさなかった。
代わりに、十二件の周りへ十二人以上の判断を残した。
そして、最後の第8番が消えた時、腰媒体の表示がゼロへ戻った。
【未完保持:0件】
静かな表示だった。
それはレイルには、以前のどんな記録より重く見えた。