悪役令嬢は世界のバグを修正する
礼堂跡地の空気が、
明らかに変わっていた。
白い格子に覆われた世界の中で、
レティシアの周囲だけ風が流れている。
砕けた光線の残滓が舞い、
石畳の古代回路は脈動を取り戻し、
停止していた鐘の余韻がなお夜に揺れていた。
ありえない現象だった。
神殿術式に、
こんな例外は存在しない。
監査官が一歩踏み出し、
初めて声を荒げる。
「何が起きた!?」
冷静さを崩した怒声が、
礼堂跡地へ響き渡る。
彼は手元の端末陣を展開し、
空間制御ログを確認する。
表示される数値は正常。
制御出力も維持。
抑制圧も低下していない。
それなのに、
一点だけ権限が通らない。
監査官の顔色が変わる。
「制御層が局所消失!」
その報告に、
後方の神官たちがざわめいた。
消失などありえない。
神殿制御は解除命令なしには消えない。
まして現場の学生一人に、
突破されるはずがない。
観測員たちは慌てて測定結晶へ魔力を流し込む。
浮かび上がる解析式。
乱れる数列。
何度確認しても、
結果は同じだった。
一人が震える声で叫ぶ。
「上書きではありません!」
別の観測員が続ける。
「侵食痕なし!」
「術式改竄なし!」
第三の観測員が、
半ば悲鳴のように告げた。
「優先権が移行しています!」
場が凍りつく。
誰も意味を理解できなかった。
上書きなら分かる。
破壊でも分かる。
干渉や侵食も対処法がある。
だが、
優先権の移行とは何だ。
神殿が持つ制御権より、
その場所が別の権限を選んだというのか。
監査官はレティシアを見る。
少女はまだ万全ではない。
息も乱れ、
膝の震えも残っている。
それでも、
その足元だけ世界が彼女に従っていた。
「再制御をかけろ!」
「出力二倍!」
「局所封鎖!」
矢継ぎ早の命令が飛ぶ。
白い格子線が再び密度を増し、
レティシア周囲へ収束する。
だが届かない。
触れる寸前で弾かれるのではない。
まるで順番待ちをさせられているように、
制御線そのものが後ろへ押し下げられていく。
「……馬鹿な」
監査官の口から、
信仰も理性もない素の言葉が漏れた。
神殿は初めて知る。
絶対だと思っていた制御の上に、
別の理が存在することを。
騎士たちが動揺し、
神官たちが顔を見合わせ、
観測員たちは記録の手を震わせる。
統制され尽くした組織に、
初めて純粋な混乱が走っていた。