悪役令嬢は世界のバグを修正する
ルシアンの中で、
何かが静かに反転していた。
つい先ほどまで、
目の前の少女は明確な定義を持っていた。
危険対象。
拘束対象。
異端。
神殿が示し、
騎士として受け入れてきた分類。
秩序を乱すもの。
管理されるべきもの。
排除、もしくは保全拘束すべき存在。
それだけだった。
だから剣を向けられた。
だから迷わず立ち塞がれた。
だからこの場へ来た。
だが今、
その定義は音もなく崩れていく。
礼堂跡地の中央で、
レティシアはただ立っている。
何かを奪ったわけではない。
誰かを傷つけたわけでもない。
神殿術式を食い破ったのでもない。
彼女は、
止められていたものを戻しただけだ。
世界が本来持っていた流れを、
再び通しただけだ。
それが意味するものを、
ルシアンは理解してしまった。
未知権限保持者。
神殿が握っていると思われていた制御より、
さらに深い層へ届く者。
世界接続者。
術式を介さず、
命令系統を介さず、
この世界そのものと対話できる者。
観測すべき存在。
敵意で斬る前に、
理解しなければならない現象。
その認識が、
彼の中で次々と書き換わっていく。
白い格子の向こうで、
監査官が叫んでいた。
「聖騎士ルシアン!」
「執行補佐を継続せよ!」
命令の声。
従うべき声。
これまでなら、
一瞬で身体が動いていた。
だが、
動かない。
ルシアンの視線は、
ただレティシアへ向けられている。
怯えも誇示もなく、
疲弊しながらも立つ少女。
その足元だけ風が流れ、
石畳の光が脈打っていた。
剣の柄を握る手に、
わずかな力が入る。
抜くべきか。
斬るべきか。
押さえ込むべきか。
次の瞬間、
その手から力が抜けた。
剣先がわずかに下がる。
ほんの数寸。
だが騎士にとって、
それは明確な逡巡だった。
周囲の騎士たちが息を呑む。
誰も見逃さなかった。
絶対に迷わぬはずの男が、
初めて迷っている。
ルシアンは小さく目を細める。
敵を見る目ではない。
未知の星を見上げるような、
測りかねるものへの視線だった。
この少女は危険なのか。
それとも、
危険と呼ばれていただけなのか。
神殿の教義より先に、
現実が答えを突きつけていた。