悪役令嬢は世界のバグを修正する
白い制御格子の圧迫が、
ふっと薄れた。
礼堂跡地を押し潰していた重圧が、
レティシアの周囲だけ静かに剥がれていく。
胸へ食い込んでいた見えない楔。
膝を縛っていた命令。
思考を鈍らせていた冷たい膜。
それらが、
一枚ずつ剥がれ落ちるように消えていった。
彼女は石畳へついていた手に力を込める。
震えていた腕が、
ゆっくりと身体を支える。
片膝を上げ、
背筋を伸ばし、
時間をかけて立ち上がる。
誰も声を出さなかった。
ただその動作を、
息を潜めて見ていた。
風が戻る。
止められていた空気が彼女の周囲を巡り、
銀の髪をやわらかく揺らした。
額に張りついていた前髪がほどけ、
肩口で細く流れる。
制服の裾がかすかに翻り、
その姿だけがこの場の静止から切り離されていた。
広場の外周で、
騎士の一人が思わず後ずさる。
教師たちは言葉もなく見つめ、
生徒たちは恐れと希望の入り混じった目で彼女を見る。
倒れたはずの少女が、
今、
誰よりも自然に立っていた。
レティシアは呼吸を整え、
正面に立つルシアンを見る。
その瞳に敵意はない。
怒りもない。
ただ、
見えてしまった真実への静かな確信だけがあった。
「止めてたのは、私じゃない」
声は大きくない。
だが礼堂跡地の誰よりもはっきり届いた。
責める言葉ではない。
言い訳でもない。
ただ、
世界の状態を告げる事実だった。
神殿が止めていた。
流れを。
自由を。
呼吸を。
彼女はそれを戻しただけだ。
レティシアは静かに一歩進む。
石畳に靴音が鳴る。
そのたった一歩が、
この場にいた全員の心を揺らした。
制御された空間で、
少女が自分の意思で前へ進んだ。
ルシアンは動けない。
剣に手をかけたまま、
抜くことも、
進むことも、
退くこともできなかった。
騎士として鍛え抜かれた身体は万全だ。
それでも動かない。
理由はただ一つ。
目の前の存在を、
もう敵として断じきれなくなっていた。
風が二人の間を通り抜ける。
白い格子の残光が舞い、
夜の静寂だけが広場を満たした。
そして初めて、
ルシアンの沈黙が、
神殿の命令より重く場を支配していた。