悪役令嬢は世界のバグを修正する
宿舎の一室だけが、
深夜になってもまだ灯りを落としていなかった。
机の上には紙が山のように積まれている。
帳簿。
市場価格表。
税率改定通知。
地方収穫報告。
輸送記録。
倉庫申請一覧。
王宮から半ば押しつけられた資料の束を、
カイルは無言で片端から広げていた。
床にまで紙が散り、
椅子の背にも巻物が掛けられている。
その中央で、
彼だけが妙に静かだった。
レティシアが部屋の入口から覗く。
「まだ起きてたの」
「寝るほど綺麗な数字じゃねぇ」
視線も上げずに返す。
主任は窓際の椅子で腕を組み、
面白がるようにその様子を眺めていた。
カイルは一枚の収穫報告書を指先で弾く。
「北部麦類、平年比九十八」
別の紙へ移る。
「南部野菜、百二」
さらに西部畜産。
「九十五。多少落ちてるが飢饉ってほどじゃねぇ」
彼は次に輸送記録を引き寄せる。
「街道通行量、前年同期比一一三」
「荷車台数も増えてる」
「輸送そのものはむしろ増加」
レティシアが首を傾げた。
「なら、どうして市場は……」
「そこだ」
カイルは市場価格表を机に叩きつける。
パン価格上昇。
小麦高騰。
保存肉不足。
油脂欠品。
生活必需品の多くが右肩上がりだった。
「供給量だけ落ちてる」
「作物はある。運ばれてもいる」
「なのに店頭に並ばねぇ」
主任が小さく笑う。
「途中で消えている、と」
「消えてるってより、溜め込まれてる」
カイルは最後に倉庫報告書を広げた。
王都内備蓄量、
過去五年で最大。
民間大型倉庫稼働率、
満杯近い数値。
保管料、
二か月連続値上げ。
「……ほらな」
彼は紙束の中心を指で叩いた。
「備蓄だけ増えてる」
「市場には出さず、倉庫に眠らせてる」
「値段が上がるまで待ってんだよ」
部屋に沈黙が落ちた。
紙の擦れる音さえ止まる。
レティシアの視界に、
数字が線へ変わって見えた。
畑から収穫され、
荷車に積まれ、
街道を渡り、
王都へ入り、
そこで倉庫へ吸い込まれていく流れ。
人々の食卓へ届くはずの線だけが、
途中で切れている。
「でも……そんなことをして、国全体が困れば」
彼女の問いに、
カイルは乾いた笑みを浮かべた。
「国全体なんて数字でしか見てねぇ奴らもいる」
「自分の倉庫が埋まって、金庫が増えりゃ勝ちなんだろ」
彼は椅子にもたれ、
ようやく天井を見上げた。
疲れた目だった。
だが確信だけは濁っていない。
「この国、壊れてるのは戦場じゃなくて流通だ」
その一言は静かだった。
怒鳴り声でもなく、
皮肉でもなく、
ただ事実を告げる声だった。
けれどレティシアには、
どんな警鐘より重く響いた。
戦場なら敵は見える。
前線なら守る場所も分かる。
だが流通が壊れる時、
人は剣を交えずに飢える。
音もなく、
ゆっくりと、
国そのものが死んでいくのだ。