悪役令嬢は世界のバグを修正する
王宮から差し向けられた馬車は、
黒塗りの車体に王家の紋章を刻んだ、
いかにも急使用の実務的なものだった。
飾り気はない。
だが護衛だけは多い。
前後に騎馬兵をつけ、
中央街道を一直線に進んでいく。
王都そのものが、
いま平時ではないことを示していた。
車輪が石畳を打つ音に揺られながら、
レティシアは窓の外を見ていた。
朝の中央街道は本来、
商人の呼び声と荷車の往来で満ちるはずだった。
だが今日は違う。
市場前では店主たちが怒鳴り合い、
掲げられた札の値段を書き換えている。
「また上げるのか!」
「仕入れ値が倍なんだ、こっちだって赤字だ!」
怒声が風に流れた。
別の通り角では、
パン屋の前に長い列ができている。
昨日よりさらに伸びた列だった。
抱えた籠を胸に押し当て、
人々は無言で順番を待っている。
諦めと苛立ちが混じった沈黙だった。
交差点ごとに兵士の姿も増えていた。
槍を持った衛兵が配置され、
荷車を止めて荷台を調べている。
腰の剣に手をかけたまま、
通行人へ鋭い視線を向ける者もいた。
治安維持というより、
暴発への備えだった。
路地の奥では、
酔った男と警備兵が揉み合っている。
叫び声。
倒れる木箱。
子どもを抱えた母親が足早に離れていく。
王都全体が、
目に見えない何かへ歯を食いしばっていた。
向かいの座席で、
カイルが窓の外を一瞥し、鼻で笑う。
「表通りだけ磨いても、床下は腐ってるな」
投げるような言い方だった。
だが怒りよりも、
呆れの方が強く滲んでいる。
隣で腕を組んでいた主任が、
少しだけ口元を上げた。
「腐った床ほど豪華な絨毯を敷く」
「踏む者に軋みを聞かせないためにな」
カイルは肩をすくめる。
「そのうち床ごと抜けるぞ」
「その頃には敷いた本人は別の屋敷だ」
主任は平然と返した。
二人の会話を聞きながら、
レティシアは黙っていた。
視界の端に、
淡い文字列が浮かんでいる。
CIVIL STRESS
RISING
RESOURCE FLOW
BLOCKED
ORDER LEVEL
UNSTABLE
王都そのものが、
軋んでいる。
神殿の制御格子のような明確な敵意はない。
代わりにあるのは、
無数の小さな詰まり、
不満、
欲、
保身、
遅延。
それらが積み重なり、
街全体を締めつけている。
馬車が坂を上ると、
正面に王宮正門が見えた。
白い塔と高い城壁。
王国の威厳を象徴する巨大な門。
だがその門前にも、
普段はない数の兵が立ち、
緊張した面持ちで槍を構えている。
守るべき中心ほど、
危機を知っているのだろう。
馬車が速度を落とす。
重い門が軋みながら開いた。
レティシアは膝の上で手を握る。
これから向かう先にいるのは、
怪物でも神殿でもない。
この国を動かしてきた人間たちだ。