悪役令嬢は世界のバグを修正する
王宮正門をくぐった瞬間、
外の喧騒は厚い石壁に遮られた。
けれど、
静けさが戻ったわけではない。
むしろ内側には、
別種の緊張が満ちていた。
案内役の侍従に先導され、
レティシアたちは長い回廊を進む。
磨き上げられた白大理石の床。
天井には歴代王の戦勝画。
金縁の柱、
深紅の絨毯、
豪奢な燭台。
王国の威信を示す造りだった。
だがその格式ある空間を、
今日は慌ただしい足音が絶えず横切っていく。
書類束を抱えた文官が駆ける。
顔色は青く、
誰もが早口で指示を飛ばしていた。
「南棟会議室へ追加資料を!」
「北部の伝令はもう着いたのか!」
「財務局長はどこだ!」
銀盆を持った使用人たちも、
普段の優雅さは影を潜めている。
茶器を揺らしながら小走りに過ぎ、
角を曲がるたび互いにぶつかりそうになっていた。
壁際には近衛兵の姿が増えていた。
本来なら儀礼用の甲冑に身を包み、
静かに立つだけのはずの彼らが、
今日は実戦装備に近い革鎧を着込み、
剣帯を確かめながら配置についている。
視線は鋭く、
通る者すべてを値踏みするようだった。
カイルが小さく鼻を鳴らす。
「城の中まで火の粉が飛んでるな」
主任は歩幅を変えず答えた。
「火元が城内なら、当然だ」
曲がり角を進むと、
半開きの扉の向こうから、
ひそめた声が漏れてきた。
「北部で兵糧襲撃だと」
「護送隊までやられたらしい」
別の声が重なる。
「東部じゃ徴税所が炎上したそうだ」
「民衆が石を投げたとか……」
さらに低い声。
「聞いたか、公爵家が軍を動かすらしい」
「まさか王命なしに?」
「しっ、声が大きい」
扉が閉まり、
会話は途切れる。
だが断片だけで十分だった。
地方の乱れ。
税への反発。
有力貴族の私兵行動。
それぞれ別件に見えて、
根は一本に繋がっている。
レティシアの視界に、
淡い文字列が浮かんだ。
SYSTEM PRESSURE
RISING
その表示と同時に、
王宮全体が巨大な装置のように見えた。
回廊を走る文官たちは伝達路。
兵士たちは緊急封鎖弁。
会議室へ運ばれる書類は警報信号。
そして装置そのものが、
内側から軋んでいる。
国家全体が、
何かに押し潰されかけていた。
神殿のような明確な制御者はいない。
なのに誰も止められない。
誰も責任を取らない。
その結果だけが、
重圧となって積み上がっている。
「顔色悪いぞ」
カイルが横目で言う。
レティシアは小さく首を振った。
「……違う」
「苦しいんだ、この場所」
主任だけが、
その言葉にわずかに目を細めた。
回廊の先、
巨大な両開きの扉の前に衛兵が並んでいる。
緊急会議場。
王国の中枢。
レティシアはその扉を見上げた。
今から入るのは部屋ではない。
圧力の中心だった。