悪役令嬢は世界のバグを修正する
レティシアが見習い席へ腰を下ろすと、
止まっていた空気がゆっくりと動き出した。
だがそれは、
会議再開の流れではない。
獲物を値踏みするような、
湿ったざわめきだった。
円卓の右列、
王弟派の席から一人の男が身を乗り出す。
灰銀の髪を後ろへ撫でつけ、
宝石を散らした指輪をいくつも嵌めた壮年貴族。
笑みは柔らかい。
だが目は笑っていない。
この場で最初に口を開く権利を、
当然のように自分のものと思っている顔だった。
「国家会議に学生まで呼ぶとは――」
わざと室内全体へ響く声量で言う。
「王家も人材不足ですな」
一拍遅れて、
あちこちから忍ばせた笑いが漏れた。
扇子で口元を隠す老貴族。
肩を揺らす若手領主。
書類へ目を落としたまま口角だけ上げる官僚。
露骨ではない。
だからこそ悪質だった。
続けて左列の別の貴族が、
葡萄酒の杯を指先で回しながら言う。
「神殿騒動の火種を中枢へ招くとは大胆だ」
「次は王宮でも何か壊されぬと良いが」
今度は先ほどより大きな笑いが起こる。
乾いた音だった。
本当に面白い者は誰もいない。
ただ、
同じ方向を向いていると確認したい笑いだった。
カイルの指が机を叩く。
苛立ちが隠れていない。
「……好き勝手言いやがって」
立ち上がりかけた肩を、
またしても主任が止める。
「座れ」
「挑発に応じると、相手の土俵だ」
「でもよ」
「吠える犬ほど、柵の中にいる」
主任は視線すら向けずに言った。
レティシアは黙っていた。
侮辱も、
嘲笑も、
皮肉も、
そのどれにも表情を変えない。
まるで別の音を聞いているように、
静かに貴族たちを見ていた。
視界の端に文字列が浮かぶ。
HOSTILITY LEVEL
MODERATE
FEAR RESPONSE
HIGH
(敵意……というより)
彼女は灰銀髪の男を見る。
余裕を装う声。
笑みの深さに対して、
杯を持つ指先だけが固い。
(恐れてる)
自分自身を、
ではない。
神殿が揺らいだ事実を。
学生一人が中枢へ呼ばれた前例を。
閉じた会議室へ、
外の現実が入り込むことを。
彼らは見下しているのではない。
見下したふりをして、
距離を取ろうとしているだけだ。
若き国王は何も言わず、
そのやり取りを見ていた。
軍務卿は眉をひそめ、
財務長官は胃の痛みを堪えるように額を押さえる。
誰も笑っていない者もいる。
レティシアは椅子へ背を預け、
小さく息を吐いた。
神殿の敵意はまっすぐだった。
ここにあるのは、
もっと複雑で、
もっと臆病な敵意だった。
笑い声の中で、
この会議の本当の弱さだけがよく見えていた。