悪役令嬢は世界のバグを修正する
王宮会議が終わったあと。
貴族区画へ戻る廊下は、
異様なほど静かだった。
誰も怒鳴らない。
誰も机を叩かない。
それが逆に、
空気を重くしていた。
もし全面敗北なら、
まだ分かりやすかった。
感情を爆発させ、
敵を罵倒し、
責任を押し付けられる。
だが今回は違う。
改革は限定導入。
貴族権限も一部維持。
利益も完全には奪われていない。
つまり、
“完全敗北ではない”。
だからこそ、
余計に苦かった。
石造りの長廊下を、
数人の有力貴族が無言で歩いていく。
足音だけが響く。
その沈黙の中で、
全員が同じことを理解していた。
一線を越えられた。
王家が。
物流へ介入した。
それは、
単なる制度変更ではない。
歴史的前例だった。
今までは違った。
物流。
備蓄。
流通。
価格。
それらは、
貴族と商会が握る領域だった。
王家ですら、
完全には触れられない。
だから均衡が保たれていた。
だが今回、
その境界へ王家が踏み込んだ。
限定的とはいえ、
正式に。
制度として。
老貴族の一人が、
低く呟く。
「……前例になったな」
返答はない。
否定できないからだ。
一度成立した権限は、
消えない。
停止はできても、
“存在した事実”は残る。
次に危機が起きれば、
また使われる。
そして、
少しずつ広がる。
それが権力だ。
別の貴族が、
険しい顔のまま言う。
「今回は限定だ」
「だが次は違う」
「民が効果を見れば、必ず求める」
その言葉に、
空気がさらに重くなる。
公開討論会以降、
民は“構造”を知り始めている。
物がないのではない。
止められていた。
その認識が、
広がってしまった。
つまり今後は、
単純な印象操作だけでは抑えきれない。
結果を見られる。
比較される。
それが、
彼らにとって最も厄介だった。
ある若い貴族が、
小さく吐き捨てる。
「……あの女」
怒り。
警戒。
そして恐れ。
レティシアは、
力で押してきたわけではない。
軍でもない。
暴力でもない。
流れを変えた。
民意を動かし、
慎重派を揺らし、
王家に“限定承認”を選ばせた。
それが恐ろしかった。
真正面から奪われたわけではない。
だが、
確実に削られている。
静かな敗北。
それが、
貴族たちの胸に重く沈んでいた。
長い廊下の先。
暗い窓に、
王都の灯りが映る。
その光を見ながら、
老貴族はゆっくり目を細めた。
「……終わってはいない」
その声は低い。
だが、
そこには確かな執念が残っていた。
今回止めきれなかったのなら、
次は別の形で止める。
表ではなく、
もっと見えない場所で。
静かな空気の奥で、
新しい抵抗が、
すでに始まりつつあった。