余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
灰白庭は、封鎖された。
その通達が王都冒険者ギルド本部の赤掲示板に貼り出されたのは、スタンピード本流が白い霧へ流れ込んだ翌朝だった。
王都はまだ、血の匂いを拭い切れていない。
東門の石畳には、負傷兵を運んだ車輪の跡が残っている。
神殿には、治療を待つ者たちの列が続いている。
広場では、死者の名が読み上げられている。
そんな中で、冒険者ギルドの掲示板だけは、別の熱を帯びていた。
赤い紙。
王国印とギルド印が並んだ、共同通達。
⸻
《王国・ギルド共同通達》
対象:灰白庭、白箱迷宮、銀刻帰らず、白庭化した旧迷靄洞、その他同一地点を指す通称すべて。
内容:
先日の大規模スタンピード流入後、当該迷宮の内部魔力値、構造、魔物反応、報酬生成機能に重大な変化が生じた可能性あり。
正式なダンジョンランク再査定が完了するまで、一般冒険者、素材商、未許可探索者の侵入を禁止する。
違反者はギルド資格停止、および王国法に基づく拘束対象とする。
許可対象:
王国認定調査隊
ギルド査定官
指定護衛戦力
王国騎士団監督官
⸻
掲示板の前で、冒険者たちは押し黙った。
最初に出た声は、怒りではなく戸惑いだった。
「……封鎖?」
「灰白庭を?」
「今さらかよ」
「今さらじゃねえだろ。十万規模の魔物が入ったんだぞ」
「でも、だからこそだろ」
「何がだ」
「魔物素材だよ。オークも、黒狼も、虫型も、飛行種も、山ほど入った。魔神ゴブリンの血や爪だって残ってるかもしれねえ」
その言葉に、周囲の目が変わった。
恐怖で縮んでいた瞳の奥に、欲が灯る。
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。
Sランク魔物。
未成熟とはいえ、蒼穹の楔を退けた化け物。
その素材が、もし迷宮内に残っているなら。
爪の欠片一つ。
血の染みた泥一瓶。
黒い魔力を帯びた骨片。
それだけで、一生遊んで暮らせる値が付くかもしれない。
「封鎖前に入れたやつが勝ちだろ」
「馬鹿言え。もう封鎖されてる」
「抜け道くらいある」
「行ったら死ぬぞ」
「浅いところだけなら――」
その言葉を、近くにいた老冒険者が鼻で笑って遮った。
「銀刻も、暁秤も、きっとそう思ったんだろうよ」
場が静まった。
銀刻の五人。
暁秤。
どちらもAランクパーティ。
どちらも、あの白い霧から戻らなかった。
そして今、灰白庭は十万規模の魔物を呑んだ後でも、壊れていない。
いや、むしろ外部観測では、魔力値が跳ね上がっているという。
「じゃあ、封鎖ってのは……」
若い冒険者が呟く。
「危ないから誰も入るな、ってことか?」
別の冒険者が、通達を指差した。
「違う。再査定だ」
「再査定?」
「ダンジョンランクを測り直すんだよ。灰白庭が、まだAランク相当で済むのかどうか」
誰かが喉を鳴らした。
Aランクではないかもしれない。
その可能性が、掲示板の前にいる全員の背を冷たくした。
だが同時に、別の感情も生まれる。
Aランクを超える迷宮。
十万の魔物を呑んだ迷宮。
もしそこに宝があるなら。
もし、そこから何かを持ち帰れたなら。
恐怖と欲は、同じ場所で育つ。
ギルド職員が、掲示板の前へ進み出た。
「通達は以上です。灰白庭方面への無許可接近は禁止されます。封鎖線には王国騎士団とギルド監視員が配置されます。違反者は拘束対象です」
「調査隊は入るのか!」
誰かが叫んだ。
職員は一瞬だけ目を伏せた。
「王国とギルドの合同再査定調査隊が入ります。護衛として、Aランクパーティ二組が指定されています」
ざわめきが起きる。
「Aランク二組?」
「二組も?」
「そこまで必要なのか」
「逆だろ」
老冒険者が低く言った。
「二組で足りるか、分からないってことだ」
◇
王城地下の軍議室には、まだ戦場の空気が残っていた。
机の上には、灰白庭周辺の地図が広げられている。
王都。
ローヴェ平原。
第二防衛線。
南東の森。
そして、白い霧の印。
人間側では、そこに正式な名はまだない。
灰白庭。
白箱迷宮。
銀刻帰らず。
白庭化した旧迷靄洞。
資料によって呼び名が違う。
だが、今はどの呼び名でも同じ場所を指していた。
軍務卿オルド・ヴァイゼンは、地図を見下ろしていた。
疲れは隠せない。
目の下には濃い影があり、声にもわずかな掠れがある。
だが、彼は座っていなかった。
座れば、眠ってしまう気がしたからだ。
「目的を再確認する」
オルドは言った。
「今回の任務は、灰白庭の攻略ではない。素材回収でもない。宝探しでもない。王国とギルドによる正式な再査定だ」
ギルド本部長エルナンド・ロウが頷いた。
「外縁観測だけでは、すでに限界があります。内部へ入らなければ、現在の危険度は測れません」
魔術師団長リヴァルトが、数枚の魔力盤写しを机に置く。
「魔力値は、スタンピード前と比べて明らかに上昇しています。灰霧、白磁、泥、骨系の反応が複雑に絡んでいる。加えて、Sランク魔物ガルザヴェインの反応が、内部流入後に追跡不能となりました」
神殿代表の老司祭が、重い声で言う。
「追跡不能とは、死んだという意味ではないのですな」
「断定できません」
リヴァルトは答える。
「死んだ可能性。迷宮に喰われた可能性。深部に沈んだ可能性。封じられた可能性。いずれもあります」
「最悪は?」
オルドが問う。
誰もすぐには答えなかった。
やがてエルナンドが静かに言った。
「迷宮が、何らかの形でガルザヴェインを利用可能にした場合です」
軍議室の空気が、さらに重くなる。
オルドは目を閉じた。
「それを確かめるために、調査隊を入れる」
「はい」
「そして、ダンジョンランクを再査定する」
「はい」
オルドは、地図上の白い霧の印を見た。
「Aランクのままか」
エルナンドは答えない。
「それとも、Sランク相当か」
その言葉が出た瞬間、部屋の中にいた者たちの視線が一度だけ動いた。
Sランク迷宮。
それは、王国にとって意味が重い。
Aランク迷宮は危険だ。
高位冒険者を要求し、多くの死者を出す。
だが、まだ探索対象として扱える。
宝を求める者が入り、調査隊が入り、ギルドが管理しようとする。
しかしSランク迷宮は違う。
国が動く。
聖教会が動く。
場合によっては、勇者やそれに準ずる者の名まで出てくる。
オルドは言った。
「正確な情報が必要だ。だが、情報を取りに行く者を死なせれば意味がない」
「だから、Aランクパーティ二組を護衛に付けます」
エルナンドが答える。
「それでも安全とは言えません」
「分かっている」
オルドは、軍議室の扉へ視線を向けた。
「呼べ」
◇
扉が開き、二組のAランクパーティが入ってきた。
一組目は、鋼旗の。
正面戦闘に強い、王国騎士団との共闘経験もあるAランクパーティ。
先頭に立つのは、隊長アレク・ヴァイス。
白銀の長剣を腰に下げた剣士だ。
騎士家の出ではない。
平民出身の冒険者。
それでも、立ち姿は騎士に近い。
背筋は伸び、目は冷静で、周囲を見る時に必ず仲間の位置を確認している。
盾役のガルドス・レイムは、巨大な方盾と戦槌を背負っていた。
鎧の上からでも分かる厚い体。
だが、動きは鈍くない。
仲間の前へ出るために鍛えた体だ。
魔術師エリシア・ノートは、氷色の杖を持っている。
表情は静かで、周囲の魔力の流れを目だけで追っていた。
斥候リンド・カーレンは、細身の男だった。
短剣と細い糸罠を腰に下げ、部屋へ入った瞬間から出口と床の継ぎ目を見ている。
二組目は、暁鴉の。
調査、追跡、魔物群戦に強いAランクパーティ。
隊長ネイザは、黒い弓を背負った寡黙な弓手。
鋭い目で、誰よりも先に地図を見た。
前衛ベルグは、双斧を背負った大柄な男だ。
荒い雰囲気だが、歩く時に仲間の射線を塞がない。
光砂術師サラナは、細い金色の砂筒を腰にいくつも下げている。
視界確保と幻惑を得意とする術師だ。
薬師兼呪具師トーマは、瓶と呪具を大量に下げた男だった。
手袋を外さず、椅子にも座らない。
毒と薬を扱う者らしい慎重さがある。
アレクが最初に口を開いた。
「任務内容は、灰白庭の再査定調査。攻略ではなく、調査隊の護衛。生還と情報持ち帰りが最優先。そう聞いています」
「その通りだ」
オルドが答える。
ネイザが低く言う。
「撤退判断は現場で?」
エルナンドが頷いた。
「任せます。危険が想定を超えた場合、即時撤退してください」
ベルグが片眉を上げる。
「Aランク二組つけて、最初から撤退の話かよ」
「そういう場所です」
エルナンドの声は、硬かった。
軽口を返す者はいなかった。
灰白庭は、Aランク二組でも軽視していい場所ではない。
それは、この部屋にいる全員が理解していた。
査定官マルク・ゼノが、静かに前へ出た。
痩せた男だ。
眼鏡の奥の目は冷静で、指には魔力測定用の銀輪がはめられている。
「確認項目は六つです」
彼は、淡々と読み上げる。
「外縁構造の変化。浅層魔物反応。スタンピード由来の残留素材。報酬構造の変化。ガルザヴェイン反応の有無。ダンジョンランク再査定」
魔力盤技師リーゼ・アルムは、まだ若い女だった。
だが、三枚の魔力盤を扱える技師は王都でも少ない。
彼女は少し青い顔で言った。
「私は魔力値と属性変化を見ます。ただし、内部反応が外縁値を超える場合、盤が割れる可能性があります」
浄化鑑定官オルフェンは、神殿の白布を持つ壮年の男だ。
「私は死体魔力、腐敗魔力、魔神性、呪いの混入を見ます。十万の魔物が死んだ場所なら、普通は正気でいられません」
記録士カルムは、他の三人より明らかに若かった。
防水紙と墨管を胸に差し、硬い顔で立っている。
「私は、すべてを記録します」
その声は少し震えていた。
だが、逃げる声ではなかった。
アレクは、調査隊四人を見た。
「我々が守ります」
その言葉に、カルムの表情が少しだけ和らいだ。
しかし、リンドは小さく言った。
「守れる範囲でな」
アレクはリンドを見た。
リンドは肩をすくめる。
「悪いが、今回ばかりは綺麗事を言う場所じゃない。俺たちが死ぬと思ったら、調査隊を捨ててでも戻る判断が要る」
ガルドスが低く言った。
「簡単に捨てると言うな」
「言葉の話じゃない。判断の話だ」
エリシアが静かに割って入る。
「その判断をするためにも、情報が要る。だから調査隊を守る。守れないと判断したら撤退する。それでいい」
ネイザが頷いた。
「暁鴉も同じだ」
ベルグは不満そうに鼻を鳴らしたが、反論はしなかった。
オルドは全員を見回す。
「これは王都を生かした後始末だ。だが、同時に次の危機を測るための任務でもある」
彼は、地図の白い霧へ視線を落とした。
「灰白庭がAランクのままなら、管理方法を考える。Sランク相当なら、王国の対応を変える。君たちの報告が必要だ」
マルクが答えた。
「必ず持ち帰ります」
エルナンドは、少しだけ目を伏せた。
その言葉を、彼は何度も聞いてきた。
そして、その言葉を残して帰らなかった者も多い。
◇
出発前、Aランク二組は別室で最終確認を行った。
鋼旗の四剣と暁鴉の弦は、過去に何度か共同任務を経験している。
仲が良いわけではない。
だが、互いの実力は知っていた。
「正面は鋼旗」
ネイザが地図を見ながら言った。
「霧の視界確保と側面警戒は暁鴉」
アレクが頷く。
「ガルドスが調査隊の前を守る。エリシアは戻り水や泥への対処を優先。リンドは罠線と帰路の確認」
リンドが細い糸を指で弾く。
「帰路が怪しいんだよな、この迷宮」
「帰路喰らいの噂か」
トーマが言う。
「帰れなくなる。出口がずれる。戻ろうとしたら同じ場所に出る。いろいろ聞く」
「噂だろ」
ベルグが言った。
リンドは首を横に振る。
「帰れなかったやつの噂は聞けない。聞ける噂は、帰ったやつが拾った端っこだけだ」
サラナが光砂の筒を確認しながら言った。
「嫌なこと言うね」
「嫌な場所だからな」
ネイザは、静かに矢を並べていた。
「魔神ゴブリンの反応が残っていたら?」
部屋が少し静かになる。
アレクが答える。
「戦わない。確認だけして撤退する」
ベルグが眉をひそめる。
「Sランク魔物の残り香を見つけて逃げるのか」
「そうだ」
「Aランク二組だぞ」
「蒼穹の楔はSランクだ」
アレクの声は静かだった。
「その蒼穹の楔が勝てなかった相手だ。傷ついていたとしても、戦う理由がない」
ベルグは口を閉じた。
それは、反論できない事実だった。
ガルドスが大きな方盾を床に置く。
「俺は調査隊を守る。お前らは、守れるように動け」
リンドが苦笑する。
「盾役はいつもそれだな」
「それしかできん」
「それができるからAランクなんだよ」
エリシアが小さく言った。
ガルドスは少しだけ照れたように鼻を鳴らした。
アレクは、白銀の剣を確認する。
仲間たちを見た。
誰も逃げる顔はしていない。
恐れてはいる。
だが、足は止まっていない。
「行こう」
彼は言った。
「測って、帰る」
◇
封鎖線の前には、すでに人だかりができていた。
王国騎士団が槍を並べ、ギルド職員が封鎖札を掲げている。
だが、その外側には冒険者や素材商が集まっていた。
彼らは調査隊を見た。
Aランク二組を見た。
そして、白い霧を見た。
「あれが再査定隊か」
「Aランク二組だぞ」
「なら戻るだろ」
「銀刻もAランクだった」
「二組いる」
「暁秤もいた」
「でも今回は調査隊だ。攻略じゃない」
「迷宮が、そんな区別するかよ」
そんな声が、低く飛び交う。
その中に、パン屋の娘ミーナもいた。
本来なら避難所にいるべきだった。
だが、父親が東門へパンを運んだまま負傷者搬送に巻き込まれ、今は神殿で手当てを受けている。
母親の代わりに水を運んだ帰り、彼女は封鎖線の近くまで来てしまった。
白い霧が見える。
遠いのに、目を離せない。
あそこへ、魔物の黒い地平線が流れた。
王都が助かった。
でも、助かったという言葉の先に、あの霧がある。
ミーナは、調査隊の中に若い記録士を見つけた。
カルム。
彼の顔は青い。
だが、胸に記録道具をしっかり抱えている。
ミーナは、思わず祈った。
名前も知らない相手に。
戻ってきて、と。
◇
封鎖線の内側で、査定官マルクが最後の確認を行った。
「記録士カルム」
「はい」
「見たものを省くな。恐怖で手が止まるのは構わない。だが、見たことをなかったことにするな」
「はい」
「リーゼ」
「はい」
「盤が割れそうなら、割れる前に数値を叫べ」
「叫ぶんですか」
「書く時間がない場合は叫べ。カルムが拾う」
「分かりました」
「オルフェン」
「死体魔力と魔神性の混合を最優先で見ます。浄化できるかどうかではなく、どれほど危険かを」
「それでいい」
アレクが前に出る。
「調査隊は中央。鋼旗が前と右。暁鴉が左と後方。霧の中で互いの声がずれた場合、事前符号だけを信じる。名前を呼ばれても即応しない」
リンドが付け加える。
「声真似の噂がある。仲間の声を聞いても、一拍置け」
ベルグが顔をしかめる。
「嫌な迷宮だな」
トーマが笑わずに言う。
「嫌じゃない迷宮にAランク二組は出ない」
ネイザは、白い霧を見たまま言った。
「行くぞ」
封鎖線が開かれる。
槍を持つ騎士たちが道を作る。
ギルド職員が封鎖札を下げる。
十二人は、白い霧へ向かって歩き出した。
最初にアレク。
その隣にガルドス。
背後に調査隊。
左にネイザたち。
右にエリシアとリンド。
霧が近づく。
ひんやりとした湿気が、肌に触れる。
ただの霧ではない。
見ているような霧。
待っているような霧。
カルムが喉を鳴らした。
マルクが言う。
「記録開始」
カルムは震える手で、防水紙に最初の一行を書いた。
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灰白庭再査定調査、開始。
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そして、十二人は白い霧の中へ入った。
封鎖線の外で、それを見送る人々は誰も声を出さなかった。
霧は、彼らを静かに呑み込んだ。