未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
第192話「4本の腕は待たない」
白環旧交易塔は、牙冠王の都市から北西へ約6キロメートル離れた岩丘に立っていた。7本の白い柱が円を描き、中央には直径12メートルほどの閉じた環が浮いている。塔そのものは半ば崩れているのに、環だけは傷ひとつなく、空から落ちる光を内側へ集め続けていた。
丘の南側には牙冠王軍、東側には灰環盟約の技師と避難車。調査隊は中央環へ続く旧石段の下へ陣を置いた。北側の荒野から、黒い戦団が近づいてくる。
先頭に立つ影は、周囲の兵より頭2つ以上高かった。3メートル近い巨体を包む黒鉄色の皮膚へ赤黒い魔力膜が走り、胸から腹へ4つの炉痕が縦に並ぶ。左右非対称の角の下には、冷静な暗赤色の目。
その4本の腕は、それぞれ別の武器を持っていた。右上腕には幅広の斧、左上腕には長槍、右下腕には砲杖、そして左下腕には節の多い鎖剣。
その名は【四極魔王】ガルヴァド。
彼は部下を止め、丘の中腹で4本の武器を下ろした。
「牙冠王よ――」
低い声は乾いた岩肌を這い、石段の下まで重く届いた。
「旧中継核を我に引き渡せ。都市へは入らん」
「食卓の外なら、好きに奪っていいとでも思ったかブヒ?」
ガズルは口元だけで笑い、大包丁の柄へ手を置いたまま返す。
「塔はお前の民ではない」
「塔そのものは民じゃないブー。だが、その塔が撃てば我の民が死ぬ。なら王として放ってはおけん」
「ならば我が使う。四極の照準へ適合する」
ガルヴァドは中央環を見上げる。
「白環は嫌いだ、兵を同じ形へ直すのでな。だが道具は使える。使える物を、嫌いという理由で捨てる必要はないだろう」
「使う、と言ったな。なら貴公に聞くブヒ。使った後、お前はそれを本当に止められるのか?」
「止まらぬなら、壊すのみよ」
レイルがニアの解析表示へ目を落とすと、中央環から伸びた4本の細い魔力線が、ガルヴァドの胸部炉へ向かっていた。まだ接続していない。それでも白環側が、4つの独立炉を適合対象として認識している。
「魔王の接続前に封じる必要がありますね」
セレネは眼鏡の位置を直しながら言う。
「中央環の4方向補助路が、ガルヴァドの導出端へ自動調整を始めています。接続後は、塔の射線を4本同時に使われます」
「封鎖には何分かかりそうだ?」
「通常なら8分。白環が抵抗すれば12分、といったところでしょうか」
「敵は待ってくれない」
アルドは返事より先に半歩前へ出て、盾を正面へ据えた。
「俺が時間を作る」
「ダメだ、単独で正面へ行くな!」
レイルは右腕の痛みを確かめながら配置を組む。
「アルドとラガンが第一線。リィナ、カインは左右から武器腕を止める。ガズル軍は部下を戦団から分ける。ユノは避難車の上空警戒。クラリスとミレアは負傷者の後送。フィアとノアはセレネの封鎖補助」
「レイルはどうするの?」
リィナは間を置かず問い返す。
「中央環の完成条件を見る。......俺の四件保持は禁止されている。基礎魔法と通常詠唱だけで射線をずらすつもりだ」
「前へ出ないよね?」
「今は環刃短杖がない。近接へ入る理由がそもそもない。リスクが高すぎる」
「約束してよ?」
「前線が崩れない限り、石段より北へは出ないよ」
「前線が崩れたら?」
「その時は、誰がどこまで下がったかを見て決める」
「逃げ道を残した言い方じゃん!」
「絶対に出ないと言って、出る必要が生じた時に約束を破るよりいいだろ?」
リィナは納得していない顔だったが、今は言い争わず剣を抜いた。手にあるのは借り物の片刃剣で、愛剣より軽く、試験剣より峰が厚い。彼女は柄を一度握り直し、今ある重さを身体へなじませる。
ヴェリクが灰環技師へ退避開始を指示した。
「交渉決裂を記録します。避難車は南へ。予備魔力槽は封鎖班へ4基、治療班へ2基。残りは撤収」
「全部使わないの?」
ユノが聞く。
「塔を守れても、次の集落が空になります。ゼロになるまで使い切る支援は、支援とは呼べませんから」
ガルヴァドが4本の武器を持ち上げた。
「交渉終了だ。第1極、斧。第2極、槍。第3極、砲。第4極、鎖――稼働ゥ!」
最初に動いたのは斧ではなかった。左下腕から放たれた鎖剣が石床を擦り、灰環技師の足元へ蛇のように伸びる。封鎖術式を作る後衛から狙っている。アルドが盾を斜めに立て、鎖を受け、鎖剣は盾へ巻きつかず、途中の節が開いて3方向へ分かれた。
「分岐する!」
フィアの声に反応し、カインは石板へ手を伸ばす代わりに鞘を地面へ打ちつけ、右側の鎖を跳ね上げた。リィナは左側へ踏み込み、剣の腹で鎖を外へ払った。
中央の1本が盾を越え、ノアへ向かう。レイルは通常形成の【風弾】を撃ち、鎖の節を横から押した。軌道が20センチメートルほどずれ、ノアの眼鏡脇を通過する。
「20センチじゃあギリギリすぎます!」
「当たらなかっただろ?」
「次は30センチメートルは最低でもずらしてください!」
「注文が具体的だな」
「最低生存条件です!」
ガルヴァドの上2本の腕が続き、斧はアルドへ、槍はラガンへ。ただし同時ではなく、0.2秒ほど間をずらし、片方を避けた先へ次を置いている。アルドは斧を盾の中央で受けず、下端へ落として石床へ力を逃がす。
盾の縁が欠け、足元に亀裂が走った。ラガンは長刀で槍を滑らせ、鉤縄をガルヴァドの足へ巻く。しかし巨体は止まらず、右下腕の砲杖が灰色に光る。
「第3極、地圧砲。後衛を除去」
砲口がセレネたちへ振られた瞬間、ガズルは大包丁を地面へ突き立て、そこを起点に王域を押し広げた。淡い牙型の光が戦場を覆い、致命傷へ至る力を少しだけ鈍らせた。
「我の食卓で腹を満たした客を、そのまま我の目の前で殺せると思うなブヒ!」
「致命傷を遅らせる王域か。なるほど、戦力維持には使えそうだ」
「勝手に貴様の勘定へ入れるなブー。我の王域は、お前へ貸してなどいない!!」
地圧砲が放たれた。直径2メートルほどの圧縮岩弾が石段を削りながら飛び、レイルは右腕を上げず、左手と七環導杖で風圧を2段階形成した。1発目を岩弾の下、2発目を右側へ当てる。
完全には逸らせない。岩弾は封鎖班の左へずれ、灰環の魔力槽を1基砕いた。破片が技師たちへ降る。
クラリスが白い環を展開する。
「【定型】――搬送具、事故前形状へ」
砕けた魔力槽の外装が元へ戻り、飛散した破片が空中で逆向きに集まった。ただし内部の魔力までは戻らず、空になった槽が地面へ落ちる。
「外形復元。魔力内容は対象外です。次弾には使えません」
「1基損失を記録」
フィアは記録板へ損失を書き込み、そのまま封鎖術式の番号を繰り上げる。その声を聞きながら、ガルヴァドはクラリスへ暗赤色の目を向けた。
「壊れた物を戻す術者。便利だ」
「戻す前に、本人と所有者へ確認します」
「戦場で確認を待てば、次弾が来る」
「それでも、貴方の腕を勝手に戻すことはしません」
「我の腕は我が戻す」
砲杖が再び光り、今度は光属性で、地圧砲で舞い上がった粉塵へ反射させ、後衛の視界を奪う狙いだった。ユノが上空から補助光を逆位相で当てる。
「はあ。白いの増やすとか、趣味かぶり最悪なんだけど! カインの近くまで降らせたら、1個残らず消すから。……あ、今の私、ちょっと重かった? でも怪我させられるよりマシでしょ」
光同士が噛み合って消え、白く潰れていた戦場へ一瞬だけ影が戻る。その薄暗がりを割るように、ガルヴァドが踏み込んだ。3メートルの巨体が石段を1段で越え、アルドの盾へ斧を振り下ろす。アルドは受け流そうとしたが、鎖剣が盾の外縁へ絡み、角度を固定した。
「盾を止められた!」
リィナがガルヴァドの右側へ走り、借り物の剣で鎖を切ろうとするが、節の1つが刃へ噛みつき、動きを奪った。彼女は剣を捨てず、鞘を左手で抜いて節の隙間へ打ち込み、鎖を広げる。カインが反対側から長剣を入れ、2人で同じ節を外し、アルドの盾が自由になる。
斧が落ちる直前、彼は盾を右へ傾けた。刃は盾面を滑り、石段へ食い込む。衝撃でアルドの左膝が地面へ付いた。
「第一線、1メートル後退します!」
フィアが叫ぶ。
「守護線は維持せよ!」
アルドは膝を上げ、同じ位置へ戻ろうとする。ガルヴァドの槍が、その動きを待たず盾の横から伸び、ラガンが長刀を入れ、槍先を上へ弾く。火花が2人の間へ散った。
「敗者を飼う虎。貴様は前より遅くなったな」
「守る物が増えたからな」
「遅くなる理由にはならん」
「速さだけで残る者を決めてくれるな」
ラガンは鉤縄を自分の腰へ巻き、ガルヴァドの槍腕を引いた。筋力で押し切る必要はない。狙うのは、槍先の向きを後衛から外すだけでいい。
その間に、セレネの封鎖術式が2本目の柱へ届く。
「封鎖進行、31%。あと7分以上必要です」
「7分は長い」
レイルは戦場全体へ目を走らせた。ガルヴァドは4本の腕を別々に働かせ、前衛と後衛のどちらにも息をつく隙を与えていない。彼の部下は無秩序に突撃せず、塔の外周を回って封鎖柱を1本ずつ確保しようとしていた。牙冠王軍が部下を止めても、ガルヴァド本人だけで戦線を押している。
「ニア、塔とガルヴァドの接続率」
『12%。4経路が同期し始めてる。20%を越えたら砲杖だけじゃなく、塔の4方向射線が開く』
「接続を【未完】にできるか」
『最後の同期工程は1件として取れる可能性あり。でも白環塔側の情報量、大。今の右腕で保持、ナシ寄りのナシ』
「保持しない。接続対象の1本を通常魔法で乱す」
レイルは石段より北へ出ない約束を守り、足元の白環補助路へ七環導杖を当てた。風圧ではなく、流動魔法で内部の冷却液を逆向きへ流す。4本の同期線のうち、左下が一度揺らいだ。
ガルヴァドの鎖剣だけが、一瞬遅れて動きを止めた。
「第4極、同期誤差」
彼は鎖腕を自ら下げ、残る3本へ出力を回した。
「誤差源、止める術者」
暗赤色の目が、前衛ではなくレイルを捉える。
「お前が中核か」
砲杖と槍の狙いが同時にレイルへ重なった。石段の下でそれを見たリィナが、肩越しに鋭く振り返る。
「レイル、下がって!」
レイルは約束どおり南へ下がろうとした。だが、再起動したガルヴァドの鎖剣が後方へ回り込み、先に避難路を塞ぎにくる。下がれば、治療班と避難車の間へ射線が通る。
(前線が崩れた場合、位置を見て決めると言った。今、北へ出る必要はない。石段の横へ3メートル移れば、2本の射線を塔柱へ重ねられるはずだ......)
レイルは横へ走った。槍の衝撃波が背後の石段を砕き、砲杖の熱線が外套の端を焦がす。
右腕を庇い、左手だけで七環導杖を支え、2本の攻撃は、狙いを外れた代わりに白環柱へ当たった。柱表面へ亀裂が入り、ガルヴァドとの同期率が8%まで落ちる。
「敵の攻撃が、接続柱を壊しました」
セレネが即座に理解する。
「残り6本。封鎖手順を変更します。損傷した柱を起点に全体を不均衡化します!」
ガルヴァドは壊れた柱を見たが、怒らなかった。
「利用価値、低下。だが残る6本で足りるわ」
彼の右上腕が斧を引き抜く。同時に、戦団の兵1人が牙冠王軍の矢を受け、脚を負傷して倒れた。ガルヴァドは一瞥し、部下へ命じる。
「歩行不能兵だ。後方へ運べ。再投入は修復後」
部下を踏み越えて捨てるのではなく、稼働不能者を戦線から外し、使える兵だけを残す。冷酷だが無意味ではない。その合理性が、かえってレイルたちの常識からすると、とても怖かった。
「第二射へ移る」
ガルヴァドの4つの炉痕が強く光り、白環塔の中央環が呼応し、空中に4つの砲口が開いた。接続率はまだ8%。完全同期ではなく。それでも、試験射撃には10分といったところだった。
『4方向高出力、形成開始! 着弾候補、前衛2、封鎖班1、避難路1!』
ニアの警告が響く。4つの砲口は、相談も準備も待たず、それぞれ別の命を狙って光を集めていった。