未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
森都の下層工房へ、炉都から灰環便が到着したのは翌朝だった。黒い耐熱箱の中には、リィナの愛剣から取り出した芯鉄、残すと決めた鍔、修復された柄頭、新しく鍛えた外刃が収められている。炉都の老査定師からは、短い伝言板が1枚添えられていた。
【仕上げは持ち主の前で行え】
森都には金属を溶かす大炉がない。代わりに、根から吸い上げた地熱と樹液の圧力を使う小さな鍛造室があり、森人族の細工師が楽器の金属弦や狩猟刃を作っている。ロッテは炉都の部品と古母樹の枝を作業台へ並べ、朝から誰も近づけない顔で工具を広げた。
「先に言っておく。今日できるのは初期完成まで。握りも重心も風圧導線も、実際に振ってから詰めるから。完成祝いの勢いで全力を出したら、剣より先に貴方を森の外へ放り出す」
「分かってるってば。今回はちゃんと止まる。前の試作で間合いを通り過ぎたの、自分でも覚えてるから」
「その『覚えてる』を信用するために、条件を紙へ書くんだよ。リィナは踏み込んでから思い出す時がある。......まったく」
ロッテは作業台の端を指で叩き、レイルへ顎をしゃくった。
「記録、もう作ってる?」
「出力、噴射、零間の禁止条件まで書いた。本人確認だけ残してある」
「よし。じゃあ本人に読ませて署名。格好いい新武器ほど、最初に地味な約束をさせなきゃね」
リィナは不満そうにしながら、安全条件の板へ署名した。
【初回試振り:出力30%】
【脚部噴射:禁止】
【零間:禁止】
【停止位置を3回確認後、出力を上げる】
「なんか私、すごく子ども扱いされてない? 署名までさせられると思わなかったんだけど」
「武器の前じゃ、年齢も剣豪も関係ない。使い手は全員、事故を起こすかもしれない人間として見る」
「じゃあロッテ自身も?」
「もちろん。私は事故を作る側だから、むしろ人より倍見るよ。自分が作った物を信用しすぎる職人じゃ、ろくな壊れ方はしないからね」
言葉は荒いが、ロッテはリィナの手の大きさを測る時、指の節へ冷たい金属を押しつけないよう布を挟んだ。古母樹の枝は薄い板へ割られ、愛剣の柄芯へ螺旋状に巻かれる。表面全てを覆わず、指が触れる位置に深緑と銀色の木目を2本だけ見せた。
その上へ、滑り止めの濃赤色の組紐を巻く。
「おぉ、組紐、赤にしたんだ。前よりちょっと明るい感じする!」
「濃い赤なら血と煤が目立ちにくいし、森の霊木とも喧嘩しない。性能上、問題がなかったから採用しただけ」
「へえ。じゃあ私に似合うかどうかは、ほんとに1回も考えてない?」
リィナが楽しそうに顔を近づけると、ロッテは組紐を締める手を止めないまま、耳だけを少し赤くした。
「……考えたよ。似合うと思った。せっかく何年も持つ剣にするなら、握るたびに嫌な色より、本人が嬉しい色の方がいいでしょ。これで満足かい?」
「うん。そういうの、最初から言えばかわいいのに」
「次言ったら黒一色に戻してやるぞ」
ロッテは顔を上げずに答え、組紐を強く締めた。リィナは嬉しそうに笑い、セレネが隣で小さく首を傾げる。
「ロッテは『装飾ではない』と言いながら、色を選ぶ話になると返答までの時間が少し伸びます。性能以外の評価軸も存在すると推測します」
「そういうところまで測定しなくていい。職人にだって、似合う物を作りたい時くらいあるだろ」
「否定はしないのですね。興味深い誤差です」
「次に誤差って言ったら、その眼鏡へ煤を塗るよ。……あと、似合うって言われて嬉しくない職人ばっかりじゃないから」
外刃と芯鉄は、炉都でほぼ接合されていた。森都で行うのは、柄の固定、鍔の取り付け、風圧導線の最終接続、重心調整である。ロッテは鍔の内側へ0.5ミリメートル単位の薄板を差し替え、剣を水平な糸へ載せた。
重心は鍔から前へ約11センチメートル。以前の愛剣より3.4センチメートル手元へ寄っていて、総重量は約180グラム軽い。全長は変わらない。
「軽くしたのに、峰が前より厚く見えるようだ」
レイルは結論だけを選んで口にした。
「中空補強だよ。外側を厚くしたんじゃない。峰の中へ2本の空洞を通し、横からのねじれを逃がす。前の試験剣は軽さだけ先へ出てたが、これは軽いまま、止まる場所を残す仕込みだ」
「切れ味はいいのか? 刃は薄く見える」
「外刃の硬度を1段上げた。ただし硬いのは刃先から4ミリメートルだけ。芯へ近づくほど粘る。硬い外殻へ入っても、横から力が来た時は折れずにしなる」
「風圧導線は1本?」
「刀身中央。空気抵抗を消すんじゃない。左右の振動差を揃えるだけ。今のリィナが魔法剣まで始めたら、剣より先に周りが迷惑しそうだからね」
リィナが抗議しかけたが、レイルも同意するように頷いたため、2人まとめて睨まれた。
「レイルはどっちの味方なの? 私がちゃんと止まれるって信じる方? それともロッテと一緒に署名を増やす方?」
「二択にするなら、安全条件を守る方。リィナを信用していないわけじゃない。信用しているから、止まれなかった時の条件まで先に作っておきたい」
「それ、恋愛の答えでも同じ言い方しそう。『好きじゃないわけじゃない、条件を確認したい』とか」
「う......」
レイルが言葉に詰まった瞬間、周囲の森人族たちが一斉に作業の手を緩めた。
(聞いていないふりが下手すぎるんだが......)
「今は武器の話をしている」
「いつもそれ! 都合が悪くなると『今は別件』って箱にしまうんだから!もう」
工房の森人族たちが笑い、レイルは何を言えば正解だったか考えた。(似合うと言えばよかったのか。いや、まだ剣を見ていない。見てから言う方が正確だ)
その考え自体が、リィナに怒られる理由なのだろうと途中で気づいた。昼前、剣は組み上がった。ロッテは両手で鞘ごと持ち、リィナへ差し出す。
「持って」
リィナはすぐ抜かず、鞘の重さから確かめた。左手で鞘を支え、右手を柄へ。指が古母樹の木目へ触れた瞬間、肩の力が少し抜ける。
ゆっくり抜剣する。刀身は以前より細く見えるが、光を受けた刃先は鋭く、中央にはごく細い風圧導線が銀色の筋として走っている。鍔の裏にはエルデ村の古い刻印。
柄頭のへこみは完全には消さず、浅い跡として残されていた。
「へこみ、残したの?」
レイルが問う。
「全部直すと、リィナが場所を探すと思った」
ロッテは工具を止めずに答える。
「指へ引っかからない深さまで削って、跡だけ残した。嫌なら消せるけど?」
「いや、残すよ」
リィナは即答し、剣を顔の前へ立て、刀身へ映る自分の目を見る。
「この剣に名前ってあるの? 銘っていうのかな――」
森人族の細工師が尋ねる。
「炉都では、新しい銘を付けるなら持ち主に決めろと言われていますが」
リィナは剣を見た後、レイルへ目を向けた。
「うーん。ねえ、レイル。これ、新しい剣だと思う?」
「素材だけ見れば半分以上変わってる。構造も重心も別物に近い。でも芯鉄と鍔は残ってるし、柄頭の傷も前のままだ。俺には、完全に別の剣とは思えないな」
リィナは少し考え、それから刀身へ映る自分の顔を見て笑った。
「じゃあ、前の剣の続きだ。新しく生まれ直したんじゃなくて、ここまで来た剣が、今の私に合わせて続いてる」
彼女は刀身を鞘へ戻した。
「【継刃】。これでいい」
リィナらしく、大仰な英雄剣や魔剣のような名ではなく、終わった剣を捨てず、続きを鍛えたことだけを示す名前だった。初回試振りは、森都外縁の訓練枝で行われた。直径約30メートルの平らな枝に、柔らかい蔓束と落葉標的が吊られている。
レイル、セレネ、ロッテ、フィアが四方へ測定札を置き、リィナは中央へ立った。
「出力30%。脚部噴射なし。最初は抜剣から停止まで」
ロッテが確認する。
「分かってる。今度こそ勢いで上げない」
「分かってるなら、署名した内容を自分の口で言って。戦う前に1回、身体へ覚えさせる」
「出力30%。脚部噴射なし。【零間】なし。狙った停止位置で3回止まるまで、次の段階へ上げない。途中で『いけそう』と思っても追加しない」
「そこまで言えればよし。私は剣じゃなく、最初の3回の停止を見るからね」
リィナは鞘へ親指を掛けた。1回目。抜いた瞬間、切っ先が想定より前へ出る。
彼女は手首で急停止せず、右足を小さく踏み足して、身体を剣へ追いつかせた。停止線を約12センチメートル越える。
「越過12.4センチメートル」
セレネが読む。
「前の試験剣より短い」
「柄の振動が少ない」
リィナは自分の掌を見る。
「止めた時、剣が戻ろうとしない。手の中で暴れない!」
「古母樹の木目が振動を吸っています」
ロッテが言う。
「吸いすぎると剣先の情報まで消えるので、見える2本だけ残した。指へ戻る感覚はどう?」
「ちゃんとある。柔らかいけど、ぼやけない」
2回目。停止線を約4センチメートル越える。3回目。
切っ先は線の手前1センチメートルで止まり、リィナはそこで力を抜き、次の踏み込みへつなげず、完全に静止した。
「3回終了」
フィアが記録する。
「出力を上げてもいい?」
「50%まで」
ロッテは部品を指先で確かめながら返した。
「切る標的は蔓束1本。後ろの枝へ当てない」
リィナは深く息を吸った。抜剣。右足を踏み込み、蔓束へ斜めの一撃。
刃は抵抗をほとんど感じさせず通り抜けた。切られた蔓は1秒ほど形を保ち、遅れて上下へ分かれる。後ろの訓練枝には傷がず、リィナは剣を止め、目を見開いた。
「……軽い。持った時じゃなくて、切った時に分かる。前みたいに最後の一瞬だけ刃が残らない。抜けた後まで手首が引っ張られないんだ」
「それが外刃と芯の仕事です。ただし、よく抜ける剣ほど止める側は難しくなります。人を傷つけず寸前で止めるなら、前より早い段階で力を抜いてください」
「分かった。速くなった分だけ、止める判断も前へ出す。そこまでできて初めて、この剣に追いついたって言えるんだね」
リィナは真剣な顔で頷いた。強い剣を手に入れた喜びより、傷つけないために必要な制御を先に考えている。その表情を見て、レイルは学院での一撃試合を思い出した。
先に届きながら、相手を傷つけない位置で止めた剣。鋭くなった今、その責任はさらに重い。
「似合っている」
考える前に言葉が出た。リィナがこちらを見る。
「剣が?」
「剣も。持っているリィナも」
言った後で、胸の鼓動が速くなる。(分析を足すな。今は余計な理由を付けるな)レイルは黙った。
リィナの頬が赤くなり、剣を鞘へ戻す手が少しだけ遅れる。
「……急にそういうのを真っ直ぐ言うの、ずるい。普段は安全条件とか数値ばっかりなのに、こっちが構えてない時だけちゃんと褒めるんだから」
「聞かれたから、思ったことをそのまま答えただけだ。似合ってるし、前よりリィナの動きに合ってる」
さらに一言足され、リィナの頬が余計に赤くなった。
「そういうところは昔から変わらないけど……今日は許す。あと、その言い方は忘れないからね」
セレネが測定札を閉じた。
「今の『似合っている』という評価は、レイル1名の主観に偏っています。客観性が不足しています」
「セレネ、そこでわざわざ研究みたいに入ってくるの?」
「私も似合うと思っています。剣の色も、握った時の姿勢も、以前よりリィナ本人へ合っています。ただし、レイルだけが先に言う必要はありません」
「だから競うところじゃないって! 褒め言葉を共同研究にしないでよ!」
「共同評価です。研究ではありません」
ロッテは3人へ背を向け、工具を片づける。
「はいはい。恋愛会議は剣を鞘へ入れてからにして。刃が鋭い日に騒ぐんじゃないよ、まったく」
声は呆れているが、口元が少し笑っており、片づけを始めた森人族の若い剣士が、少し迷ってからリィナへ歩み寄った。訓練枝の端でずっと試振りを見ていた青年で、腰には細身の樹鉄剣を下げている。
「その剣、きれいですね。止め方も。もし夕方に時間があるなら、少し手合わせをお願いできませんか。終わったら、森都の食堂も案内します」
「今日は無理だ」
返したのはリィナではなく、レイルだった。青年とリィナが同時にこちらを見て、自分でも、声が出るのが早すぎたと思った。
「初回試振りの直後だ。握りと前腕に普段と違う負荷が出ている可能性がある。今日は停止距離の記録と筋疲労の確認までで終わらせた方がいい。追加の手合わせは明日以降――」
「レイル」
リィナがにやりとする。
「それ、私の安全管理?」
「そうだ」
「食堂の案内まで安全管理に入るの?」
「知らない土地での食事は、食物相性と帰路の確認が――」
「ふふ、苦しいですね」
セレネが測定札を閉じながら割り込んだ。
「ロッテが追加訓練を止めるより0.8秒早く、貴方が返答しました。しかも相手はリィナ本人へ質問しています」
「測らなくていい」
「測定したのではなく、見ていれば分かる速さでした」
若い剣士は3人の間に流れた空気を察したらしく、何も悪いことをしていないのに気まずそうな顔で一歩引いた。
「すみません。無理に誘うつもりはありませんでした」
「いや、君が謝ることじゃない」
レイルはそう返したが、胸の奥に残る小さな引っ掛かりまでは消えなかった。手合わせだけなら、ここまで早く口を挟まなかった気がする。”終わったら食堂へ”の一言で、先に断る理由を探し、(危険だからじゃない。たぶん、俺が嫌だっただけだ)そこまで認めると、今度はどう処理すればいいのか分からない。リィナが顔を覗き込む。
「ねえ。嫉妬した?」
「……安全上の理由は本当にある」
「聞いてるの、そこじゃない」
「分かってる」
逃げ道を探す癖が口の中まで上がってきた。レイルは一度飲み込む。
「それだけだと言い切ったら、たぶん嘘になる。食事まで一緒に行くって聞いた時、少し嫌だった」
言った後、自分の耳まで熱くなるのが分かった。リィナは目を丸くし、数秒前まで楽しそうに追及していたのに、今度は本人が言葉を失う。
「……そ、そう」
「聞いたのはリィナだろ」
「聞いたけど! いつもみたいに『合理的理由が』とかって逃げると思うじゃん! 急にちゃんと答えないでよ、こっちにも準備があるんだから!」
「回答を求めておいて、回答したら抗議するのは不合理です」
セレネが冷静に言ったが、その声にはわずかな硬さがあった。
「ただし、レイル。今の自己認識は忘れないでください。リィナに対してだけ発生する現象なのか、別条件でも起こるのかは――」
「セレネ、それ以上は研究にするな」
「……そうですね。今はやめます」
セレネは眼鏡を押し上げた。その耳元に、小さな白い光球が1つだけ浮かび、本人が気づく前に消えた。若い剣士は完全に居場所を失っており、リィナが慌てて向き直る。
「ご、ごめん! 手合わせはまた今度。食堂も、みんなでなら行きたい」
「はい。皆さんで」
青年が安堵して離れていく。レイルは胸の奥に残っていた妙なざらつきが少し薄れるのを感じ、余計に困った。(安心した。これはもう、安全管理では説明できない)世界法則より扱いづらいものが、また1つ増えた。白環杭の光は、訓練枝の下へも走った。足元で、低い音がした。
「動く!」
ロッテの声とほとんど同時に、枝床の一部が基準高さへ戻ろうと持ち上がる。リィナは鞘へ収めたばかりの【継刃】を外側へ逃がした。刃を守るためではなく、転んだ拍子に誰かへ鞘ごとぶつけないための動きだった。
その分、自分の足が遅れた。
「リィナ!」
レイルが手を伸ばす。右腕はまだ強く使えない。左手で肩を支えた瞬間、持ち上がった根が今度は横へ滑った。
視界が横へ流れ、次に背中へ柔らかな枝床の感触が来た。落ちたのだと理解するまで、ほんの一瞬だけ思考が追いつかなかった。
見えるはずの空はリィナの髪に隠れ、代わりに、息が触れそうな距離へ彼女の顔があった。彼女はレイルの上へ覆いかぶさる形で止まり、左手をレイルの胸の横へ突き、右手では継刃の鞘を身体から遠ざけている。
髪が頬へ落ち、数本がレイルの額に触れた。近い。言葉にすると、それだけだった。
けれど今までの”近い”とは違う。リィナが息を呑む音まで聞こえた。吐いた息が頬へ触れる。
服越しに重なった肩と胸元から、彼女の体温が伝わってくる。自分の心臓がうるさいのか、それともリィナの鼓動まで伝わっているのか、区別がつかないほど距離がなかった。
(何が起きた。床が動き、転倒。怪我は――)いつもの順番で考えようとして、途中で止まった。
(違う。今それを口にしたら、たぶんまた怒られる)
リィナの瞳も、同じくらい近くで揺れている。頬が赤い。自分も同じ顔をしている気がした。
「……レイル」
「うん」
喉から出たのは、それだけだった。幼い頃から何度も手を引かれ、肩を貸し、怪我をして背負われたこともある。
それでも、こんなふうに相手の呼吸と体温を意識したことはなかった。さっき嫉妬を認めたばかりだからかもしれず、セレネとの事故を、まだ忘れていないからかもしれない。理由を探したところで、今、胸が速いことは変わらなかった。
「……起きられる?」
「たぶん。でも、リィナが先に動くと継刃の鞘が根に挟まる」
「そこはちゃんと見てるんだ……」
リィナは困ったように笑いかけ、すぐまた恥ずかしそうに目を逸らした。
「……停止位置の確認は3回したはずですが」
少し離れた場所から、セレネの声がし、2人が同時にそちらを見る。セレネは測定札を片手に立っていた。表情は整っていて、整いすぎている。
「床が動いたの!」
リィナが即座に言う。
「見れば分かります」
「じゃあその言い方やめてよ!」
「私の時も床が動きました」
リィナが黙る。
「……まだ言う?」
「忘れる理由がありません」
セレネの淡い金髪の周囲へ、白い光球が2つ浮かんだ。今度は本人も気づき、片手で払うような仕草をする。光は消えない。
「セレネ、怒ってる?」
「怒ってはいません。事故だと理解しています。ただ――」
青紫の瞳が一瞬だけリィナからレイルへ移る。
「理解していることと、何も感じないことは別です」
それは前に、リィナが言った言葉とほとんど同じだった。リィナの顔から少しだけ力が抜ける。
「……そっか。うん。私も同じだったもんね」
レイルの上に乗ったまま納得し合われても困る。
「話し合いは、できれば俺の上から降りてからにしてくれ」
「わっ、ごめん!」
リィナが跳ねるように起きようとし、ロッテが怒鳴った。
「急に動くな! 根がまだ修正中! 剣の鞘を先に抜いて、左足を赤線の外へ置けって!」
「は、はい!」
指示どおりに身体をずらし、リィナが立ち、レイルも左肘を使って起き上がった。
『わぁ恋愛接触事故、累計2件。傾向分析をしなきゃですにゃ――』
「今すぐ消して!」
リィナとセレネの声が重なった。
『えっ、事故管理としては重要――』
「ニア、本人たちが不要と言ってる。恋愛分類は残さなくていい」
『了解。じゃあ【床面修正事故】として保存します』
「それならいい」
「よくない!」
今度はリィナだけが叫び、レイルはなぜ駄目なのか最後まで分からなかった。その時、森都全体へ警鐘が鳴った。笑っていた空気が一瞬で消え、外街道側で、巨大な樹橋を支える白環杭が強く点灯していた。
古い根と新しい補強枝が、同じ高さへ戻ろうとして軋み始める。リィナは継刃の鞘を握り直し、さっきまで赤かった顔から照れが消え、剣士の目へ戻る。
「行こうか」
「うん」
レイルも立ち、胸の鼓動だけは、走り出してからもしばらく速いままだった。