未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
【継喰鉱竜】の胸で、白い環が脈打っていた。
ドン、ドン、と心臓の代わりに坑道全体を叩くような振動が来る。
吸い寄せられた金属が鉱竜の体表へ重なり、その継ぎ目を乳白色の鉱物が次々に埋めていく。厚くなるほど、一枚の鎧へ近づく。
壊れないように見える。直せない形へ。
レイルは短杖の主芯を握った。
旧セプテム・ロッドから残したものだ。
背後では、破断した背部欠環が地面へ立ち、外部導出端として淡く光っている。
「セレネ。残ってる境界は?」
「三か所。胸部中央、右肩甲、下腹。白環媒体へ直接届く可能性が最も高いのは胸部です。ただし、正面からは装甲が二重」
「ノア?」
「乳白鉱物の完成率は高いですが、元の鱗との境界は完全ではありません。先ほどの【誘発重層】が残っています」
「リィナ」
「斬れる。もう一回道を作って」
「アルド」
「全員戻す」
「フィア」
「帰還条件、全員。アルド本人も含みます」
「ロッテ、ドルガ」
「左腕環は一回だけ過負荷に耐える」
「主芯は持たせる。壊すなら外からだ」
それぞれの答えが返ったことでレイルは頷いた。
「じゃあ行くぞ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
鉱竜が突進する。
ズガァァァンッ!
前脚が床を砕く。
アルドが予備盾を構えた。
「【完遂護陣】。終了条件――全員が南坑道へ戻るまで!」
透明な防衛線が広がる。
今度は自分も、その内側にいる。
ノアが横から防壁を重ねる。
「九十九%で止めます。最後の一%は開けます」
フィアが即座に位置を指す。
「隙間、左下。アルド、そこだけ守ってください」
「了解」
鉱竜の尾が来る。
ゴォンッ!
予備盾が大きく歪む。
アルドの足が床を削る。
「下がりなさい!」
ノアの命令。
「まだ持つ!」
「勝手に限界値を更新しない! 二歩下がりなさい!」
アルドが下がる。
フィアが支える位置へ入る。
「右腕は私が確認します」
「フィア、危ない」
「貴方が帰還条件です。私も同じ」
アルドはそれ以上言わなかった。
三人が互いを押し出さず、同じ線の中に残る。
その横を、リィナが駆け抜けた。
バシュッ!
右脚から短い噴射。
鉱竜の爪が振り下ろされる。
ギィィンッ!
【継刃】を半分だけ抜き、受ける。
振り切らない。
鞘へ戻す動きで衝撃を身体の外へ逃がし、そのまま腰を回す。もう一度、別角度へ抜く。
キィンッ!
一撃を終わらせず、次の抜刀へ始点を渡す。
「【無終剣・抜継】!」
刃が胸部の亀裂へ滑り込んだ。
ザギィンッ!
白い装甲が一本だけ開く。
「道、開いたよ!」
レイルは上級風圧魔法を無詠唱で起動する。
始動を声に出さない。
形成も、頭の中で完成位置だけを掴む。
【旋風陣】。
ゴォッ――!
複数の風渦が鉱竜の四肢へ絡む。
倒す力ではない。
巨体がほんの三十センチ、右へずれる。
たったそれだけで十分だった。
リィナが開いた胸部亀裂と、背後の外部導出端、レイルの主芯が一直線になる。
セレネが叫ぶ。
「射線一致しました!」
ノアも同時に演算を出す。
「白環媒体まで一層。誘発条件、残存!」
レイルは【誘発重層】を再起動する。
流れ。
振動。
熱差。
排圧。
境界。
射線。
六つの低出力魔法が、それぞれ別の仕事だけをする。
一つも単独では鉱竜を倒せない。
六つ合わせても、巨大爆発にはならない。
それでも世界の側が、すでに割れる寸前まで仕事をしている。
ピシッ。
亀裂が深くなる。
ノアの声が弾む。
「この規模で、この消費量とは……!」
セレネが返す。
「感動は後です。第六層、安定」
「論文題名だけでも今――」
「うるさい!後!」
リィナが前から叫ぶ。
「私にも分かる話にして!」
「今から見てれば分かるさ!」
レイルは笑いそうになりながら答えた。
「最後、斬ってくれ!」
「それなら最初からそう言ってよねぇぇぇぇ!」
リィナが再び踏み込む。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
鉱竜が最後の抵抗を見せた。
胸部白環から光が爆ぜ、周囲の金属すべてが一斉に引かれる。
レイルの左腕環まで強く引かれた。
キィィン――ッ!
接続部が悲鳴を上げる。
「左腕、捨てて!」
ロッテの声。
「まだ使える!」
「使えるうちに捨てるの!」
ドルガも怒鳴る。
「壊れる順番を守れ!」
レイルは一瞬迷い、すぐ解除した。
バキィンッ!
左腕環が安全爪から外れ、地面へ飛ぶ。
白環の吸引からレイルの腕だけが残った。
右肩に痛みが走る。
ミレアが見逃さない。
「上級無詠唱、これで終わり! 追加は禁止!」
「了解!」
今回は即答した。
レイルは飛んだ左腕環へ外部接続を繋ぐ。
身体から離れた二つの欠環が、左右の射点として光る。
フィアが数える。
「身体内保持4。外部保持2。総計6。余剰2枠」
セレネがレイルを見る。
「【未完重層砲】、8層まで積めます」
ノアも計算を合わせる。
「外導架の残存枠を使えば、短時間なら可能です」
8層。最大。
念のため。
確実に。
昔のレイルなら、迷わず積んだ。
最大まで準備して、それでも足りない未来を怖がった。
今、目の前を見る。
リィナが亀裂を開いている。
セレネの射線は通っている。
ノアの誘発条件は揃った。
アルドは全員の帰還線を守っている。
フィアが総数を見ている。
ロッテとドルガが壊していい場所を決めてくれた。
ミレアは、もう追加するなと言った。
必要なものは『揃っている』。
「いや――必要ない」
セレネが目を見開く。
「レイル?」
「6層で十分だ」
ノアが一瞬だけ黙り、笑った。
「……採択します」
レイルは六つの保持術式を一直線へ並べる。
高出力をただ積むための六層ではない。
誘発重層で作った亀裂。
外部導出端で分散した射線。
最後に必要な分だけを、【未完重層砲】へまとめる。
「リィナ!」
「開ける!」
【無終剣・抜継】。
ギィンッ!
第一抜刀で装甲を受ける。
返す。
再び抜く。
ザンッ!
胸部の亀裂が、白環媒体まで届いた。
「今!」
レイルは最後の工程を返す。
「未完記録――6層、完成!」
ドォォォォォン――ッ!
坑道を白と青灰色の光が貫いた。
爆発で鉱竜そのものを吹き飛ばすのではない。
射線は細い。
リィナが開いた亀裂だけを通り、白環媒体との接続部へ集中する。
バギィィンッ!
巨大な白環核が、鉱竜の胸から弾き出された。
地面へ落ちる。
ガァンッ!
白い光が消える。
鉱竜の体表を覆っていた乳白鉱物が、ひび割れながら剥がれ始めた。
ゴァ……。
さっきまでの怒号ではない。
低い、戸惑うような鳴き声。
リィナは追わない。
レイルも魔法を構えない。
鉱竜は一度だけこちらを見て、崩れた奥坑道へ身体を向けた。
ズズズ……。
巨体が闇へ消えていく。
誰も野生へ戻る道を、塞がなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
静かになった坑道で、レイルの手から主芯がわずかに震えた。
旧【七環導杖】の外殻から切り出し、主芯保護へ回した最後の補強片が、過負荷でひび割れている。
ミシッ。
「レイル、動かすな」
ドルガが近づく。
ロッテも破断位置を見る。
「予定線。大丈夫」
次の瞬間。
バキィンッ!
古い補強片が割れ、黒銀の主芯だけが残った。
レイルは少し呆然とした。
「……壊れた」
ドルガが首を振る。
「違う」
ロッテも言う。
「わざと、壊したの」
ドルガが主芯をレイルへ返す。
「残すもんを決めてな」
レイルは主芯を握った。
旧セプテム・ロッドは、ここで本当に役目を終えた。
その中身だけが、【七環外導架】へ続いている。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
白環核を回収し、フィアとニアが解析を始める。
表面へ文字が浮いた。
【未処理被害記録】
【外部修復候補】
【帰還不能者】
【修復拒否】
記録は一件ではない。
次々に項目が増える。
矯正された職人。
帰還座標を失った転移者。
家族関係を「正しい形」へ戻された者。
失った記憶を戻されたくない者。
補償ではなく、自分の記録だけを返してほしい者。
そして、何もしてほしくない者。
フィアがレイルを見る。
「総件数を表示しますか?」
以前なら、レイルはまず数を知った。
全部の量を把握し、必要な日数と資金と失敗条件を並べた。
今は首を振る。
「いや」
一番上の記録を一枚だけ取る。
そこには【修復拒否】とある。
「一件ずつ行こう」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戦闘後、アルドは坑道出口へ座り込んだ。
右腕の包帯がまた少し赤い。
ノアが真正面へしゃがむ。
「動かないでください」
「分かった」
素直な返事に、ノアが逆に少し戸惑う。
フィアも隣へ座る。
「痛みますか?」
「多少ある。でも二人は無事か?」
ノアの手が止まった。
「自分が一番怪我しているでしょう!」
「それでも」
フィアが問う。
「理由を要求します」
アルドは坑道の外に広がる夕空を見た。
「二人が帰ってくる場所に、俺も帰りたいからだ」
今度は誰もすぐに言葉を返さなかった。
ノアは赤縁眼鏡を直し、少しだけ視線を下げる。
「……では次から、勝手に帰還条件から自分を外さないこと」
フィアが続く。
「同意します」
「分かった」
ノアが顔を上げる。
「返事は?」
アルドが笑った。
「はい」
「よろしい」
フィアが即座に言う。
「ノア。今の“よろしい”は不要」
「必要です」
「支配傾向です」
「フィア」
「はい」
「後で厳しく査読してください」
「やっぱり喜ぶので拒否します」
アルドの笑い声が、夕方の坑道前へ響いた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
数日後。
エルデ村の家へ戻ったレイルは、夜の灯りの下で刺繍をするエナを見つけた。
淡い栗色の髪を片側へ寄せ、細い針を布へ通している。
途中で小さな咳が一つ出た。
レイルは反射的に立ち上がりかける。
でも、すぐには何も言わなかった。
「今日はどこまで?」
エナが布を見せる。
「ここまで」
「続きは?」
「明日、ね」
レイルは頷いた。
「じゃあ、今日はそれでいい」
エナが少し驚き、それから笑った。
「珍しいわね。今すぐ終わらせなくていいの?」
「続きがあるなら、それでいい」
母の針が布の上へ置かれる。
明日が何回残っているかは、まだ分からない。
だから、今日を勝手に最後にはしなかった。