未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
固有律が目覚めた翌日、フィアは朝から自分の記録を疑っていた。
自分が書いたから味方が強くなったのか。味方が強く動けたから記録が一致しただけなのか。敵の出力が落ちたのも、損傷が蓄積した結果ではないのか。
ノアは「良い研究者の態度です」と喜んだが、リィナには「朝ごはん食べながら三回同じページ見てる」と呆れられた。
検証機会は、望まなくても午後に来た。
旧文書庫から回収した白環片を町外れの封印庫へ運ぶ途中、前日の人型を統率していた大型個体が地中から現れた。
全身は白い甲冑に似ている。左右の腕に刃、胸部には同心円状の核。昨日の三体が記録した戦闘情報を吸い上げたらしく、最初からリィナとアルドの動きへ対策を取ってきた。
ズガァンッ!
地面を割って出た刃が、アルドの盾下を狙う。
アルドは後ろへ跳ばず、右足を引いて【帰城盾】の角度を変えた。衝撃が【白誓魔鎧】へ流れ、青い線が腰から地面へ抜ける。
「初見攻撃。減衰なし!」
フィアが叫ぶ。
「なら覚えろ!」
アルドが盾を押し返す。
大型個体は同じ刃を今度は左から振った。軌道が違う。フィアは記録するが、まだ干渉は起きない。
リィナが背後へ回り込むと、白い甲冑の背面から短い刃が三本伸びた。
「うわ、昨日より賢い!」
「新規対応を学習しています!」
ノアが術式の構造を追う。
「同じ攻撃を繰り返させなければ、フィアの減衰へ捕まりません。こちらの記録律を理解した可能性があります!」
「一日で対策するの早くない?」
「白環ですよ。人の選択を固定することだけは百年以上の専門家です!」
セレネが地面へ光線を引く。
「胸部核の回転、六種類。攻撃型を切り替えるたびに一つ進んでいます。六つ終われば最初へ戻る可能性があります」
「なら六つ全部記録する」
フィアの声が返る。
昨日までなら、その言葉は役割の説明だった。
今日は違う。
「アルド。六型目まで耐えてください。その後は私が軽くします」
「頼んだ!」
大型個体が二型、三型と攻撃を変える。
アルドは一撃ごとに足場を変え、盾へ受ける位置をずらす。フィアは角度、距離、魔力波形を記録し続けた。
四型目で盾面へ深い衝撃が入る。
ガァンッ!
アルドの身体が一歩下がった。
「右腕負荷、上昇」
「まだいける」
「その判断を信用しすぎません」
フィアが即答する。
「五型目、次です!」
白い甲冑が低く沈み、地面すれすれを横薙ぎに払う。アルドは盾を落として受けるが、足元の石が割れた。
六型目は上から来た。
盾ごと押し潰す縦撃。
ドォンッ!
帰城盾の青光が大きく揺れる。
アルドの膝が曲がった。
「六型記録完了。循環確認――一型へ戻ります!」
フィアの記録板が光る。
大型個体の胸部核が最初の位置へ戻った。
右下から盾下を狙う、第一型。
「記録済み。同一行動、一回目の再演」
刃の白光がわずかに薄くなる。
アルドが盾で受ける。
さっきより軽い。
「効いてるぞ!」
「ですが、アルド側の負荷が先に高すぎます」
フィアは現実を見誤らない。
記録律があっても、昨日まで受けた損傷は消えない。
大型個体は二型へ移る。
「ノア――」
フィアが呼んだ。
ノアは意味を察していた。
「……必要ですか」
「現在のアルドの出力では、六型を二巡目まで受ける前に右腕が限界へ近づきます。【血契励起】を使用した場合、短時間なら防衛線維持率が上がると推定します」
「嫉妬すると言っていたでしょう」
「かなりしています」
フィアはノアを正面から見る。
「それでも、アルドが倒れる方が嫌ですから」
ノアの赤紫色の瞳が少し柔らかくなる。
「分かりました、あなたのその表情もまた、うふ、嬉しいものです」
アルドが攻撃を受けながら叫ぶ。
「何をするんだ!?」
「説明は後です! アルド、左腕をお出しなさい!」
「今か!?」
「今です。返事は?」
「はい!」
「よろしい」
ノアが盾の陰へ入り、アルドの左前腕へ短く牙を立てる。
前回より迷いはない。必要量だけを受け、すぐ離れる。
赤紫の細い魔力線が、アルドの腕から肩へ走った。
【血契励起】
白誓魔鎧の青い紋様へ赤紫色が混ざる。
アルドが大きく息を吸った。
「身体が軽い」
「軽くなったのではありません。限界まで使いやすくなっています。無理をすれば反動が増えます!」
「了解!」
フィアの記録板へ、新しい状態が追加される。
「血契励起状態、記録開始。アルド、右足荷重を昨日の成功値へ。盾角度、3度内側。呼吸は二撃ごとに一回深く」
「細かいな!」
「従ってください」
「はい!」
ノアが思わず笑う。
「フィア、今の貴女はかなり支配的ですね」
「必要な指示です」
「非常に良いですよ」
「喜ばないでください」
大型個体が三型へ移る。
アルドの動きは別人のように速くなったわけではない。
無駄が減った。
盾を上げる距離、足を置く位置、鎧へ衝撃を流す向き。その全部が、フィアの記録した成功例へ寄っていく。
敵の攻撃は、繰り返すほど少しずつ薄くなる。
味方の守りは、繰り返すほど整っていく。
「守護条件を更新します」
フィアが宣言する。
「対象、ここにいる全員。白環片搬送員二名。町側避難完了まで。アルド本人を除外しません」
「分かってる!」
「再確認です」
アルドの【完遂】が応じる。
白銀の鎧を走る光が、一つの線ではなく盾、剣、足元へ広がった。
「始めた。なら、全員帰すまで終わらせる!」
帰城盾を地面へ突き立てる。
ドンッ!
青と赤紫の魔力が扇状に広がり、仲間の前へ守護線を作った。
従来の【完遂護陣】より広い。しかも、フィアが記録した最適経路に沿って無駄なく閉じていく。
【完遂護陣・改】
「リィナ!」
「待ってた!」
守護線の外へ出たリィナが一気に踏み込む。大型個体の攻撃は六型を一巡し、すべてフィアの記録済みになっている。
刃の威力が落ちたところへ【無終剣・抜継】が入り、胸部核の外周を開く。
「セレネ!」
「射線確保済みです!」
光槍が核の回転軸を止める。
レイルは【七環外導架】の主芯短杖を向けた。
「完成条件、核停止。これで十分」
低出力の風圧を一点へ通す。
バンッ!
胸部核だけが甲冑から外れ、地面へ転がった。
大型個体は数歩よろめき、白い光を失って崩れた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戦闘後、アルドはミレアに強制的に座らされていた。
「ふわぁ、血契励起の反動があります。今日は盾を持たないでください」
「歩くのは?」
「歩けます。が、走らないでください」
フィアはその横で記録板を閉じる。
アルドが見上げた。
「フィア」
「はい」
「今日、隣にいただろ」
フィアの瞳が少しだけ開く。
「戦闘配置上は二歩後方です」
「そういう意味じゃないがな」
アルドが笑った。
「俺一人じゃ、あの盾をあそこまで使えなかった。ノアの力も、フィアの記録も必要だった。だから、もう“記録しかできない”とか言うなよ」
フィアは数秒、何も書かなかった。
それから記録板を開き、一行だけ追加する。
【自己評価:訂正中】
「訂正中なのですね、うふふ」
ノアが覗く。
「一度で全部変えると、記録として不正確です」
「真面目ですね」
「ノアもです」
「私は天才ですから」
「そこは記録と一致しない可能性があります」
「厳しい。もう少しお願いします、もっと激しく」
「喜ばないでください」
アルドが笑い、フィアも今度ははっきり笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
翌朝。
ユノは休憩所の入口で、しばらく何も言わなかった。
昨日、自分で刻んだはずの柱の傷が消えている。欠けていた陶杯も、欠ける前の形で卓上へ戻っていた。炉の灰は昨夜と同じ高さまで積もり、床には同じ足跡が、同じ位置まで続いている。
「……最悪」
カインが石板を向ける。
【人は?】
「いない。そこだけ戻ってない」
ユノは室内へ踏み込まず、昨日控えた図と目の前の配置を照合した。
「物と場所を“基準日”へ戻してる。でも、人間まで戻せるのか、戻せないのか、それとも先にどこかへ持っていったのかは分からない」
白い粉が床の隅へ細い輪を描いている。昨日はなかったものだ。
ユノは屈み込まず、距離を取ったまま記録紙へ写す。
「カイン。これ、帰還門の研究だけ追ってたら見落とすやつだ」
【追う?】
「追う。……帰るためにもね。こんなの残したまま帰ったら、あとで絶対気になって眠れない」
カインは石板をしまい、危険側へ回った。
二人は休憩所を壊さず、白い輪の位置だけ記録して北へ進んだ。