未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
王立結着学院の七本の塔が見えた時、レイルは思っていた以上に懐かしい気持ちになった。
王都北側の高台へ建つ学院は、外から見ればほとんど変わっていない。中央塔の鐘、学科ごとの旗、広い演習場。けれど正門脇には見覚えのない研究棟が増え、空を横切る小型輸送具も以前より多い。
自分たちがいない間にも、学院は普通に次へ進んでいた。
「学院か、久しぶりだね」
リィナが門を見上げる。
「そんなに経ってないのに、なんか変な感じ」
「寮へ戻ったら、自分の部屋がまだありそうな気がするもん」
「ないよ。後輩入ってるでしょ」
「分かってるけどさ」
セレネは感傷より先に、新設棟の案内板を読んでいた。
「第三工房が拡張されています。【分圧蓄魔研究棟】……以前は仮設室だったはずです」
「名前からして嫌な予感がする」
「なぜです?」
「すっごく大きくなってそう」
門衛へ卒業生証を見せる。
最初の3分は平和だった。
中央広場へ入ったところで、一人の女子学生がこちらを二度見して、叫んだ。
「……え、え、えええええええええええええええええええええええええっ!?!?!?」
足が止まる。
レイルも何となく立ち止まった。
「も、もしかして、レ、レイル・アルヴァート先輩で、ですか……?」
「そうだけど」
少女の顔が一気に明るくなった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ! レイル先輩だああああ!」
「えええっ?」
声が塔の壁へ反響した。
窓が開く。
廊下から学生が出てくる。
中庭の向こうで誰かが「うそだろ!?本物!?」と叫んだ。
「待って、なにこれ、何で?」
「大陸記持ってます!」
「【現象利用術】の講義で先輩の論文読みました!」
「王核大陸の牙冠王に会ったんですよね!?」
「『白紙の向こうへ』も――」
最後の言葉にレイルの肩が跳ねた。
「それは俺じゃ――」
セレネが肘で止める。
「余計なことを言わないでください」
「ふう、危なかった」
数十人が一気に集まる。
男子学生も多いが、女子学生の勢いが妙に強い。
「ねえねえレイル先輩、今って恋人いるんですか!?」
「質問の方向がおかしくない?」
「いませんから!」
リィナが先に答えた。
広場が一瞬静かになる。
レイルが振り向く。
「なんでリィナが答えるの?」
「事実でしょ!」
「まあ、そうだけど」
「……そうだけどって何なの」
横でセレネの周囲へ小さな光球が一つ浮いた。
「現在、正式な交際関係は確認されていません」
「セレネまで補足しなくていい」
「ただし将来可能性については未確定です」
「そこまで言う!?」
後輩たちの目が明らかに輝いた。
「三角関係って本当なんだ……」
「おい後輩、声に出てるよ!」
リィナの耳が赤くなる。
別の女子生徒が、おそるおそる手を挙げた。
「じゃ、じゃあ、まだ立候補しても……?」
「だめだめだめ駄目ぇぇぇぇぇっ!」
今度もリィナが即答した。
「リィナ」
「何!」
「俺、一言も喋ってないよ」
「今喋ったじゃん!」
「そうじゃなくてさ」
周囲から笑いが起こる。
セレネは眼鏡を押し上げ、女子生徒へ穏やかに向き直った。
「自由恋愛そのものを禁止する権限は私たちにはありません」
「セレネ!?」
「で す が」
小さな光球がもう一つ増えた。
「長期遠征への同行、白環関連戦域への参加、術式事故時の避難訓練、レイルの安全確認癖への耐性など、相応の覚悟は必要です」
「条件重すぎです!!」
「あと朝がめっちゃ早いよ」
「リィナまで追加しないで!」
女子生徒は数秒考え、本気でメモを取り始めた。
「いやいやメモしなくていいから!」
自分が学院へいた頃、上級生をこんな目で見たことがあっただろうか。憧れられる側に回った実感より、居心地の悪さの方がまだ大きい。けれど、その横でリィナとセレネが本人以上に真剣になっているのを見ると、別の意味で落ち着かなかった。
その時、人垣の外から聞き覚えのある声が飛んだ。
「ちょっと待つッスよーーーー!」
学生の間を縫って、紙束を抱えた少年が走ってくる。
焦茶色の髪は以前より少し伸びたが、勢いのある走り方と語尾は変わっていない。
「エリオ?」
「レイル師匠おおおお! 帰ってきたなら先に僕へ連絡してくださいッス!」
「なんでだよ?」
「弟子だからッス!」
「正式に弟子にした覚えないけど」
「まだそこ保留なんスか!?!?」
エリオ・フェーンはレイルの前へ立つと、集まった後輩たちへ両腕を広げた。
「はいはい、師匠への質問は順番ッス! レイル師匠は僕の師匠なんスからねっ!」
「その主張だと誰も近づけなくない?」
「そこは僕が管理するッス!」
「いつ管理者になった?」
人垣の向こうから、今度は明るい声がする。
「エリオ君。勝手に師弟関係を独占するのは感心しませんね!」
高価そうな金茶色の外套を翻し、リオン・ゴルディスが歩いてきた。
同年代だった顔つきは少し大人びたものの、緑の瞳の輝きと派手な装飾は相変わらずだ。
「リオン」
「お帰りなさい、大師匠!」
「だから同い年だろ」
「年齢と師弟序列は無関係です!」
「リオン先輩は同級生じゃないッスか!」
「同級生だから弟子になれない規則はありません」
「金で一番弟子の席を買う気ッスね!」
「失礼な。投資実績で評価していただきたい」
「それ、ほぼ金ッス!」
久しぶりに学院へ帰ってきた実感が、妙な方向から一気に押し寄せてきた。
リィナは笑いながらエリオの紙束を覗き込む。
「まだ記録術やってるんだ」
「もちろんッス! 今は紙だけじゃなくて、術式ログも取ってるッスよ。で、フィア先輩の新しい固有律って本当ッスか!?」
エリオの視線が、レイルからフィアへ移った。
フィアが一歩だけ後ろへ下がる。
「……なぜ知っています?」
「警備局から学院へ事前資料が来てるッス!」
「閲覧権限」
「記録術科補助員権限ッス!」
「確認が必要です」
「そこからッスか!?」
セレネが小さく笑った。
「学院へ戻った途端、弟子が増えそうですね」
「俺の?」
「フィアのですよ」
フィアの淡い青の瞳が、わずかに揺れた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
歓迎騒ぎから逃げ込むように旧研究棟へ入った頃には、レイルの手元へ署名待ちの本が七冊増えていた。
リィナがその山を見る。
「人気者だね、レイル先輩」
「その言い方やめて」
「女子後輩、結構いたね」
「男子もいた」
「比率は女子61%でした」
セレネが言う。
「わざわざ数えてたの?」
「たまたま視界へ入りました」
「絶対嘘だろ!」
小さな光球が二つ浮いた。
レイルは余計なことを言わない方がいいと判断し、黙って本を抱え直した。
廊下の窓からは、昔三人で何度も横切った中庭が見える。新入生らしい学生が魔導具を抱えて走り、その後ろを教官が怒鳴りながら追っていた。自分たちがいた頃と同じような騒がしさなのに、そこへもう自分たちの席はない。少し寂しく、同時に妙に嬉しかった。
「何見てるの?」
リィナが隣へ来る。
「後輩。俺たちが卒業しても普通に続いてるなって」
「当たり前じゃん、学校なんだよ」
「分かってる。でも、研究も人も、俺がいなくても先へ進んでる」
「それ、嫌?」
「逆。安心するんだ」
リィナは一度だけ中庭を見て、それからレイルの横顔へ視線を戻した。
「じゃあさ。レイルもちゃんと先へ進んでよ」
「何の話?」
「……いろいろ、ね」
セレネが反対側から歩いてくる。
「リィナ。曖昧な指示は伝達精度が下がります」
「分かって言ってる!」
「では私から具体化を――」
「しなくていいって!」
また二人が始まった。
学院へ戻った懐かしさより、このやり取りの方がよほど昔から変わらない気がして、レイルは少し笑った。