未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
第三工房の隣に新設された【分圧蓄魔研究棟】は、レイルが想像していたものより二回り大きかった。
扉を開けた瞬間、低い唸りが床から伝わってくる。
中央には人の背丈を越える円筒槽が6基。研究員たちが第六世代【分圧蓄魔槽】と呼ぶ大型機だ。透明な観測窓の内側で淡い魔力光がゆっくり巡り、床下へ伸びる管路は別々の小区画へ圧力を逃がす構造になっていた。壁には交換式の破断板と、異常時に1基ずつ切り離すための手動弁が並ぶ。
昔の【未完蓄魔】零号は、机の上へ乗る程度の小さな媒体だった。
今は、同じ名前を付けていいのか迷う。
「……ええ、何これ??」
レイルの第一声に、工房の奥からロッテが顔を出した。
焦茶色の髪を後ろで雑に束ね、袖をまくった腕には煤が付いている。
「よっ、レイル。見りゃ分かるだろ。蓄魔槽だよ」
「大きくなりすぎじゃない?」
「お前が卒業してる間に育っただけだ」
「植物みたいに言わないでくれない!?」
別の方向から、やけに明るい声が飛ぶ。
「そして育てたのは。もちろん、資金があってのことです!」
リオンが胸を張った。
金環商会の紋章入り書類束を両腕で抱えている。
「リオン、どれくらい出したの?」
「研究投資額ですか?」
「うん」
「面倒になったので、途中から数えるのをやめました!」
「会計担当がそれ言っていいの?」
「帳簿上は全部残っていますけどね!」
「なら最初からそう言えって!」
ロッテが工具を投げるふりをした。
リオンは慣れた様子で一歩下がる。
「冗談です。試験機、耐圧建屋、共通封緘網、保険費、破断実験費まで全部帳簿に残っています。金環商会に加えて、学院、王都工房連盟、遠征組合も共同出資しています。使い道も明確ですよ」
「よくそこまで出資を集めたな」
「最初は大変でしたよ。『レイル・アルヴァートの固有律がないと動かない研究へ、なぜ金を出す』と何度も言われました」
「……まあ、普通はそう思うよね」
「それで言い返しました。大師匠一人にしか使えないなら、それを一万人へ使える形に変えるための研究費でしょう、と」
リオンは軽く言ったが、抱えている書類の厚みが、その言葉の裏で何度交渉したのかを物語っていた。
「戦闘用の蓄魔は分かりやすい。でも僕が商会として欲しいのは、辺境の診療所が夜でも治療魔法を使えて、魔力の少ない村でも冬の結界を維持できる仕組みです。高位術師を一人雇うより、昼に余った魔力を貯めて夜へ回せた方が安い。安ければ、貴族領だけじゃなく普通の町にも置ける」
「リオン」
「はい?」
「お前、ちゃんと商人になったな」
「今さらですか!?元から商人なのですが、私は」
横でロッテが鼻を鳴らした。
「口は前から商人だった。今は金の使い方が少しましになっただけ」
「褒めています?」
「三割くらいかなあ」
「微妙ですなあ!」
「照明とか飛行具?」
「それだけじゃない」
ロッテが一番近い槽の側面を叩いた。
「遠征用治療具、夜間結界、避難灯、転移補助。魔力のある時に入れて、必要な時に出す。お前みたいに戦闘前へ全部抱えるんじゃなく、場所へ置いとく用さ」
レイルは観測窓を覗いた。
「俺の【未完】はどこに繋がってる?」
「通常運用なら繋がってないんだよ」
「……え?」
思わず振り返る。
ロッテは当然のように答えた。
「共通封緘と分圧だけで保持できる時間が伸びた。まだ長期保存は損失が大きいし、属性混合も面倒だけど、一晩や二晩ならお前なしでも持つように改良した」
「いつの間にそこまで」
「お前がいない間にな」
レイルはしばらく何も言えなかった。
昔、自分の固有律でしか止められなかった工程が、別の技術へ分解されている。
高密度充填や、封緘直前の追加蓄積では今も【未完】が強い。けれど通常運用の一部は、もうレイルがその場にいなくても成立する。最初は自分の特殊能力に依存していた研究が、自分の手を離れて使える技術になり始めていた。
「うーん……いいな、これ」
「何が?」
「俺がいなくても使えるところがさ」
ロッテの表情が少しだけ柔らかくなる。
「そう言うと思ったよ」
セレネは別の槽の記録板を読んでいた。
「回収効率、かなり上がっていますね」
「平均で6割後半。条件が良ければ7割を越える。ただし万能じゃない。媒体交換をケチると一気に落ちる」
「初期は5割以下でしたね」
「だから壊れる順番を変えた。槽本体を守るんじゃなく、安い破断板から逃がす」
ドルガの考え方が混ざっている。
壊れないことだけを追わず、先に壊れて圧力を逃がす場所を決めた道具だ。
レイルが思わず笑うと、ロッテが眉を寄せた。
「何だよ」
「いや。ドルガと一緒に作った感じがするなって」
「……排圧板の素材だけだけど」
「そうなんだ」
「何だよ、その顔」
「何でもないって」
リィナが横で「絶対何かある」と小声で言った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
フィアが研究棟へ入った途端、別の意味で騒ぎになった。
大型の蓄魔槽について過去2週間分の記録を渡され、30分だけ見てほしいと言われたのだ。
フィアは椅子へ座ると、日付順の紙束をいったん崩し、充填担当ごとに並べ直した。
最初の10分、フィアは一言も発さなかった。次の10分で三枚だけへ印を付け、最後の10分を照合に使ってから立ち上がった。
「第三槽。封緘損失増加の原因候補、2件」
「もう?」
「1件目、夜勤交代直後の充填速度変化。2件目、左側第二弁の閉鎖時刻が平均より17秒遅い日だけ損失が増えています」
担当研究員が慌てて計器を見る。
「弁の故障?」
「故障か操作差かは未確認です。次回から閉鎖担当、手袋、直前作業を追加記録してください」
「はい!」
フィアの記録板が淡く光る。
【記録律】が大型槽のログへ接続した瞬間、第三槽の流量計がわずかに安定した。
「……今、下がった?」
「損失率、0.3%低下」
セレネが計器を確認する。
フィア自身も少し驚いていた。
「記録済み条件への再現補助が、装置運用にも作用した可能性があります」
「フィア先輩!」
いつの間にかエリオが背後にいた。
「ここでも師匠になってくださいッス!」
「今日二回目です」
「二回断られたら三回言うッス!」
「増やさないでください」
研究員たちまで笑う。
フィアは少し困った顔をしながらも、今度はすぐに否定しなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方、レイルは研究棟の一番奥で、使われていない太い管を見つけた。
6基の蓄魔槽から伸びる主幹線よりさらに太く、壁の向こうへ消えている。
「ロッテ。これ、どこ行くの?」
「……見つけたか」
「隠してた?」
「隠してねえ。まだ使ってないだけだよ」
ロッテは工具を腰へ戻した。
「【人工導出端】網へ送るための規格だ。今は試験停止中」
「外部導出端って、どのくらい?」
「学院結界なら複数区画。遠征基地なら街一つ分の灯りと治療設備。理論上は、もっと遠くにも送れる」
レイルは壁の向こうへ続く管路を見た。魔力を自分へ戻さず必要な場所へ直接送り、身体の近くへ全部を抱え込まず、仲間と場所へ分散する。将来自分が考えていた戦い方が、学院の設備という別の形で先に伸び始めていた。
「……これ、戦場でも使えるやつだな」
ロッテは答えなかった。
その沈黙だけで、まだ見せていない設備があると分かった。