未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
分圧蓄魔研究棟の奥にある扉は、学院研究員証だけでは開かなかった。
ロッテが鍵を二本使い、リオンが契約札を一枚差し込み、最後に立会教官が封印印へ触れる。
ようやく開いた先は、工房というより倉庫に近い広い空間だった。
中央には布を掛けられた巨大な骨組みが置かれている。
「……見なくていいって顔してる」
レイルが言うと、ロッテが露骨に嫌そうな顔をした。
「見えたなら仕方ない」
「何?」
「まだ何でもない」
「この大きさでか?」
「何でもない物は大きくても何でもない」
「理屈がテキトーすぎやしないかい?」
ニアが黒銀猫型で布の裾へ近づく。
『形状推定。大型射出架、可能性73%』
「ニア!」
『訂正。大型ナニカ、可能性100%』
「適当になった!」
リオンが咳払いした。
「正式には【人工導出端・長距離供給実証架】です」
「砲じゃないの?」
「まだ砲ではありません」
妙に“まだ”を強調した。
ロッテが睨む。
「余計な言い方すんな」
「事実です。学院側の用途は都市結界、遠隔治療陣、避難路維持、山間部への魔力供給です。ただし王都軍務局から、大型攻撃術式へ供給可能かという照会が3回来ています」
「三回もか」
「全部、現段階では不適と回答しました」
セレネが布を少しだけ持ち上げる。
中にあるのは砲身ではない。複数の人工導出端を遠くへ向けるための支持架と、魔力を一度に流さず小分けに送る分岐器だ。
「構造としては武器専用ではありませんから」
「そう。使い道が先に決まってるんじゃなく、魔力を遠くへ運ぶための道具ってこと」
ロッテが腕を組む。
「ただ、でかい魔法へ繋げりゃ武器になる。当たり前だろ。包丁だって人を刺せる。だからって包丁を全部禁止するわけじゃない」
「でも、こっちは都市一つ分の魔力をまとめられる」
「そこが問題なんだ」
レイルは巨大な分岐器を見上げた。
自分が【未完蓄魔】を考えた時、目的は戦闘前の余裕を増やすことだった。休憩中に回復した魔力を捨てず、後へ回す。そこから照明や治療具へ広がった。
今は規模が変わっている。
規模はもう、誰か一人の予備魔力という話を越えている。施設も、町も、運用次第では軍さえ動かせる可能性がある。
「レイル」
セレネが横から呼ぶ。
「怖いですか?」
「少し」
「なら正常です」
ノアも近づいてくる。
「技術が大きくなると、用途を一人で決められなくなります。研究者が善良でも、別の運用者が同じ判断をする保証はありません。逆の組み合わせもあります」
「作らない方がいいと思う?」
「いいえ」
ノアは即答した。
「作らなければ、必要な時に使えません。私は、使い方を限定する条件を研究すべきだと思います。誰が、いつ、どの規模まで引き出せるか。履歴を残し、勝手な出力変更をできなくする」
「記録なら担当できます」
フィアが言う。
「外部供給量、使用先、承認者、終了条件。記録を残すだけでなく、将来的には私の固有律で同一の不正操作を減衰できる可能性があります」
レイルは巨大な架台をもう一度見た。誰か一人の善意を安全装置にせず、使用者も出力も履歴も複数人で監視する。その前提があるなら、研究を続けることにも納得できた。
「じゃあ、研究は止めない方がいい」
「簡単に言うな」
ロッテが鼻を鳴らす。
「止めるのも進めるのも、金と人と責任がいる。お前が『いいと思う』って言ったから進む話じゃなくなってるんだ」
「分かってる。でも、俺が最初に【未完蓄魔】を出したから、何も言わないのも違うと思う」
「なら何を言う気だい?」
ロッテの問いは試すようだった。
レイルは巨大な架台と、そこへ繋がる管路を順に見た。
「攻撃に使うことだけを先に禁止するんじゃなくて、誰が何のためにどこまで使えるかを先に決めたい。非常時だからって一人の命令だけで全槽を開けない。使用後の記録を消せない。止める人を、撃つ人とは別に置く」
「他には?」
「壊れた時に一番危ない場所へ人を置かない。出力を上げる研究より、切り離す研究を優先的にする」
ロッテが少しだけ口角を上げた。
「それなら研究員らしい答えになってきたね」
「最初は違ったのか?」
「『怖いけど必要かも』は感想だ。今のは設計条件」
セレネも頷いた。
「私は承認者を最低二系統にしたいです。軍務側と学院側。どちらか片方だけでは最大出力を開けないようにする」
「私は使用履歴の保存期間を無期限へ近づけたいです」
フィアが続ける。
「記録が残らない権限は、存在させない方が安全です」
「いいね」
レイルはようやく頷いた。誰か一人の善意を安全装置にしない。その考えなら、自分が知らない未来へ技術を渡すことも少しだけ怖くなくなる。
少しして、ロッテは声を落とした。
「……でも、いつか必要になる気はしてる」
「何にだ?」
「知らねえよ。知りたくもないくらいでかい何かとかさ」
魔王種や神格相当、白環のさらに上にいる何かまで、レイルの頭にはいくつもの相手が浮かんだが、どれも口にはしなかった。
まだ完成していない物を、未来の戦争へ決めつける必要はない。
今はただ、ここに魔力を遠くへ運べる道が作られ始めている。それだけ覚えておけばいい。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
研究棟を出たところで、学院職員が一通の軍務局文書をロッテへ届けた。
表題だけ見えた。
【対大型領域存在を想定した外部魔力供給試験について】
ロッテは中身を読まず、書類を半分に折る。
「返事は?」
リオンが聞く。
「今は無理。安全弁が先」
「了解です。予算要求を安全弁へ付け替えます」
「そうしろ」
レイルは少し笑った。
兵器化の相談が来ても、この二人は最初に安全弁の話をする。
それなら、今はまだ大丈夫だと思えた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ頃。
ユノとカインは旧街道の廃村から一つ南の小さな集落へ入っていた。
ここには人がいる。
宿の主人は、二人を見るなり困った顔をした。
「昨日も来たよな?」
「初めて」
「いや、昨日の夕方、同じ格好で――」
ユノの目が細くなる。
「その“私たち”、何をした?」
「井戸を見て、北へ行った。あんたは『まだ帰らない』って言ってた」
カインが石板へ書く。
【昨日の私達?】
「……最悪」
ユノは髪を掻き上げた。
「場所だけ戻してるんじゃない。記録を使って、“いたこと”まで置いてるじゃん、ウザッ」
宿の主人は意味が分からず首を傾げる。
ユノは説明を後へ回した。
「カイン。王都へ追加送信」
石板へ短く返る。
【送る】
今度の封筒には、赤い印が付いた。