未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
エルシア・ヴァントが学院へ来たのは、翌朝だった。
研究棟の扉が勢いよく開き、身体より大きな外套を引きずるようにして、小柄な魔女が入ってくる。灰紫色の長髪は毛先だけ銀色に光り、右目の魔導単眼鏡が朝から忙しく回転していた。
見た目だけなら二十代後半。歩き出す時に「よっこいしょ」と言った瞬間、いつもの師匠だと分かる。
「おいバカ弟子が!」
「師匠、おはようございます。いい朝ですね」
「何がいい朝だい。何で王都で暗殺されかけてから報告が来るんだい!」
「暗殺されてないです」
「“かけて”って言ってるじゃろ!」
杖の先がレイルの頭へ軽く落ちる。
コツン。
「痛い」
「痛くしてるんだよ」
「再会一言目から殴るのやめません? あ、でもなんか懐かしいです」
「報告順を直したら考えてやろう」
リィナが横で笑う。
「師匠、レイル最近ちゃんと止まりますよ」
「何を?」
「無理する前に」
「へえ、そうかい」
エルシアの琥珀色の瞳が、少しだけ細くなる。
「それは珍しい。明日は空から槍でも降るかね」
「そこまでですか?」
「アンタを子どもの頃から見てる私が言うんだ。ありがたく聞きな」
レイルは反論しようとして、やめた。
エルシアはそこで初めて、レイルの背中と腰へ分散した装備を見た。
主芯短杖。両腕の出力環。両脚の噴射・制動板。背面の未完環。腰の保持ハブ。
【七環外導架】第一世代。
琥珀色の瞳が、ゆっくり一周する。
「……レイル」
「はい」
「ちくと怖いが、アンタに一つ聞くよ」
「何でしょうか?」
エルシアが主芯を指差した。
「私がお前にやった【七環導杖】、どこ行った?」
「主芯ならここに残ってますけど」
「そういう問題じゃないだろ!」
12歳で学院へ出る前の日、エルシアは倉庫からその旧試作杖を引っ張り出し、「埃を食わせるくらいならお前が使いな」とレイルへ譲った。卒業の時にもらったのは、幼い頃から十年以上書き続けた訓練帳の方だ。杖は借り物ではない。自分の判断でここまで形を変えた。それでも、師匠へ現物を見せるのは妙に気まずかった。
研究棟に声が響いた。
「オムニア接続規格も残してます」
「部品表を聞いてるんじゃないよ!」
「旧外殻も一部は主芯保護に――」
「それ、この前壊したんだろ!」
「はい」
「はいじゃない!」
ニアが肩へ乗る。
『旧七環導杖、構成比率ヲ算出シマスカ?』
「しなくていい!」
『推定――』
「ニアも黙りな!」
猫耳がぺたりと下がった。
リィナはもう隠さず笑っている。セレネまで眼鏡の奥で口元を押さえていた。
「師匠、壊れたら持って帰れって昔から言ってましたよね」
「言った」
「持って帰りました」
「そこまでは偉いが――」
「で、直しました」
「別の生き物にすることを直すとは言わない!」
「でも使いやすいです」
「ああもう、それが一番ムカっぱらが立つねぇ!」
エルシアは頭を抱えた。
しばらくして、諦めたように外導架の主芯へ手を伸ばす。
「ちいとこっちに貸しな」
「壊さないでくださいね」
「お前、誰に言ってるんだい?」
「製作者に」
「元製作者だよ。今これ作ったのはロッテとドルガとお前だろ」
その言い方に、レイルは少し黙った。
エルシアは単眼鏡を下ろし、主芯の魔力線を読む。
最初は軽口だった顔が、次第に研究者へ変わる。
「ふむ、七経路を一本へ集めず、離したか」
「はい。身体の近くへ全部置くと、破損時にまとめて負荷が返るので」
「背面環は?」
「外へ切り離せます。前回の戦闘で一度、1.8メートルほど離して保持しました」
「まだ近いな、それは」
「ですよね」
エルシアが顔を上げた。
「分かってるならいい。強くしたいなら鎧みたいに身体へ貼り付けるんじゃない。お前の経路はもう十分酷使してる。次は離せ。3メートル、10メートル、その先までな」
「俺もそう考えてました」
「真似したね?」
「今師匠が言ったんですけど」
「師匠の発想は弟子の発想より先に存在する」
「無茶苦茶だこの人」
エルシアは笑った。
そしてもう一度、主芯を見る。
「……まあ、いいわ」
「いいんですか?」
「あの日、お前にやった時点で返してもらうつもりなんてなかったよ。私がやった杖をそのまま布で包んで神棚に置かれてたら、その方が説教してるしな」
声が少しだけ穏やかになる。
「道具は使って、傷が入って、直して、持ち主に合わなくなったら形を変える。昔の私の試作品を残すために、お前が手を壊したら意味がない」
「はい」
「主芯まで捨てろとは言わない。でも、残したいから残すのか、必要だから残すのかは毎回考えな」
「分かりました」
エルシアは主芯を返した。
「もう私の試作品じゃない。ちゃんと、お前の道具だ」
エルシアはそこで一度だけ息を吐いた。
「十二の時に渡した頃はね、正直ここまで使い倒すとは思ってなかったよ。学院で何本か別の杖へ目移りして、最後は倉へ戻ってくるくらいに思ってた」
「そんなに信用なかったんですか」
「逆だよ。お前、道具を壊すの怖がってたろ。借り物も、人からもらった物も、失敗した記録も。大事にするのはいい。でも、大事だから使えなくなるのは違う」
レイルには心当たりがありすぎた。
「今は?」
「壊しすぎだ」
「極端ですね」
「お前は昔っからそうだ。だからちょうどいいところを覚えろって話だよ」
エルシアは主芯を指先で軽く叩いた。
「私が渡した時の形を守る必要はない。でも、何のために渡したかは忘れるな。あれは、お前が学院で生きて帰るための杖だった。形が変わっても、その役目まで捨てるんじゃないよ」
「……はい」
その言葉だけは、レイルもふざけず受け取った。
エルシアの杖だった物が、自分の杖になった。その意味は、所有者が変わったことより、持ち主が自分で使い方と帰り方を選び続けたことにあるのかもしれない。
レイルは受け取った杖を見る。
12歳の頃に渡された時より短くなり、周囲には別の環が増えた。
それでも握る位置だけは、昔とほとんど同じだった。
「ありがとうございます」
「礼は壊さず帰ってから言いな」
「また壊れる前提ですか?」
「お前の道具だろ?」
「否定できない、な」
今度はレイルも笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
エルシアは外導架の確認を終えると、そのまま訓練場へ歩き出した。
「さて、と」
「どこへ?」
「上級無詠唱だ。最近、調子に乗ってるって聞いたからな」
「誰からですか」
「いっぱいだよ!」
「範囲が広すぎませんか」
リィナが木剣を肩へ乗せてついてくる。
「私も朝練する」
「いいよ。先にレイルを剣でへろへろにしな」
「師匠?」
「そのあと魔法だ」
「順番逆じゃないですか?」
「実戦は元気な時だけ来るのかい?」
エルシアの八重歯が見えた。
嫌な笑い方だった。
「明日の朝、日の出前。遅れたら訓練追加するからね」
「何を追加するんです?」
「来てから決めるわ」
「それ一番嫌なやつだ!!」
リィナだけが妙に楽しそうだった。