未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
最初の報告は、意味が分からなかった。
【北東宿場・建物状態が前日朝へ復帰】
【南部農村・修理済み水路が再破損】
【西街道・治療済み負傷者の傷が前日状態へ戻る】
【王都近郊・住民14人が前日の位置へ強制移動】
同じ形式の通信が12地点から届いている。
学院中央通信室では、壁一面の地図へ白い光点が12個浮かび、ユノとカインが送ってきた旧勇者中継塔の環とほぼ重なっていた。
「時間そのものが戻ったわけではありません」
ノアが地図の前で言った。
「報告者は昨日の記憶を保持しています。記録用紙も、対象範囲の外へ持ち出した物はそのまま。戻されているのは、白環側が保存した対象の状態と位置です」
「じゃあ、昨日をもう一回やらされてるってことなの?」
リィナが聞く。
「近いですが、まだ断定はできませんね」
セレネが通信票を並べる。
「12地点とも戻る時刻が同じではありません。現地の日の出前後に集中しています。各地点ごとに“基準日”が設定されている可能性があります」
フィアがユノの通信と照合する。
「旧中継塔記録:【基準日照合――待機】。署名会刺客:【基準日候補――不適合】。一致度、高」
レイルは地図を見た。
十二。
偶然とは考えにくい。
つい数時間前、自分たちは12件の【未完】を同時に管理する方法を試した。
その日のうちに、12地点が同時に異常を起こした。
それはとても気味の悪い一致だった。
「一番近い地点はどこだ?」
「王都北西、馬車で3時間。転移門なら1時間以内。ただし現地座標の再確認が必要です」
「行こう」
レイルが言う。
「今からなら、次の復帰が起きる前に着けるかもしれない」
「レイル」
エルシアが腕を組む。
「Aランクになった日の夜に、いきなり12地点全部へ行こうとしてんじゃないよ」
「全部は無理です。1ヶ所だけ見ます」
「ならよし」
即答され、レイルは少し驚いた。
「止めないんですか?」
「現場見ないで考えても仕方ない。私も行く」
「師匠もですか?」
「何だい。年寄りは寝てろって?」
「言ってません」
「言ったら杖だね」
いつもの調子なのに、単眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
王都北西の町、リゼルへ着いたのは夜半だった。
人口1000人ほど。石造りの家と木造の工房が混じり、中央に小さな診療所がある。
町の入口では、住民が荷車へ必要物資を積んでいた。
昨日と同じ状態へ戻るなら、範囲の外へ逃がせる物だけでも逃がそうとしているらしい。
町長は眠っていなかった。
「本当に来てくださったのですか」
「状況を見に来ました。まだ止められるとは言えません」
「それで十分です。何が起きているのか分からないのが、一番怖い」
町長の右手には包帯が巻かれていた。
「その怪我は?」
「昨日、倉庫で切りました。夕方に治療してもらったんですが、今朝になったら傷が戻っていました。治療した記憶はあります。治療院の記録もあります。ただ、傷だけが昨日の朝へ戻った」
ミレアが包帯を外す。
浅い切創。命に関わるものではない。
「もう一度治します。でも、朝にまた戻る可能性があります。痛み止めも今夜分だけにしましょう」
「お願いします」
ミレアは治癒魔法を使いながら、患者の顔を見た。
「同じ痛みを何度も経験するのは、身体より心が疲れます。明日また戻っても、我慢して慣れようとしないでください。痛ければ痛いと言ってください」
町長はゆっくり頷いた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
レイルたちは町の中央へ十二本の簡易観測杭を立てた。
フィアが位置、住民数、建物状態を記録する。セレネは地面の魔力線を追い、ノアは白環文法の発生源を探す。
リィナとアルドは住民の移動補助へ回った。
午前三時。
変化なし。
四時。
町の北側で白い光が一度だけ走った。
ニアの猫耳が立つ。
『地下魔力線、活性化。町域外周ニ環状反応』
「来る?」
『可能性、高』
レイルは【七環外導架】を起動した。
12件全部を使うつもりはない。まず4件。町の四方へ低出力の観測魔法を未完保持し、変化する瞬間だけを掴む。
「住民は?」
「指定避難所へ302人。町域外へ178人。残りは移動拒否または介助中」
フィアが読む。
「無理に出さない。残る人の位置だけ分かるようにして」
「記録済みです」
東の空が少し白み始めた。
遠くで鶏が鳴く。
町長が診療所前で右手を握っている。
治した傷は閉じている。
最初に変わったのは音だった。
キィィィン――。
高い環鳴りが町全体へ広がる。
次に、石畳の隙間から白い線が浮かんだ。
家の壁、井戸、荷車、人の足元。それぞれへ細い環が重なる。
「始まります!」
セレネが叫ぶ。
白い光が一気に強くなった。
レイルの4件の未完観測が、別々の場所で同時に引かれる。
まるで町全体が巨大な術式へ接続されたようだった。
「フィア!」
「現在位置、記録固定!」
【記録律】が広がる。
住民の現在位置が青い文字として記録板へ走る。
だが白環の力は止まらない。
バンッ!
町の西側で修理した雨戸が古い亀裂ごと戻った。
井戸の新しい縄が消え、昨日朝の古い縄へ置き換わる。
診療所前の町長が声を上げた。
「っ……!」
閉じていた右手の傷が、再び開く。
ミレアがすぐ支える。
「出血、軽度! 意識あり!」
別の通りでは、昨夜移動させた荷車が白光に包まれ、10メートル離れた昨日の位置へ戻った。
人も動く。
避難所へいた男が、一瞬だけ白く透け、昨日朝に立っていたパン屋の前へ移された。
「記憶は!?」
レイルが駆け寄る。
「ある! 何だこれ、俺さっきまで避難所にいたのに――!」
記憶は残っている。
場所と状態だけが戻されている。
レイルは未完観測の一つへ意識を集中した。
白環術式は町全体を一息で作り直していない。保存された“昨日の項目”を1件ずつ照合し、違う部分だけを上書きしている。
「……全部戻してるんじゃない」
「何?」
リィナが隣へ来る。
「違うところだけ選んで、昨日に合わせてる」
「じゃあ止める場所もある?」
「あるはずだ」
地下の12方向。
町一つなのに、白環の照合線が十二へ分かれている。
レイルの背中が冷えた。
「十二本」
フィアも気づいた。
「照合中枢、推定12系統」
ノアが地面へ手を当てる。
「これは試験です。町一つを12分割して、別々の基準日記録から照合している」
「誰の?」
「まだ分かりません。でも、署名会の刺客と同じ文法が混じっています」
白光が収まった。
朝日が屋根の上へ差す。
町は昨日の朝に近づいていた。
完全ではない。
範囲外へ持ち出した荷物は戻らず、人々の記憶も残っている。白環が記録していなかった新しい傷や物も残る。
不完全な昨日。
それでも、今日積み上げたものの多くが消されている。
パン屋の前で、小さな女の子が泣いていた。
昨日、父親と直した木の玩具が、また折れている。
「また壊れちゃった」
父親がしゃがみ込む。
「また直そう」
「でも明日も壊れる?」
父親は答えられなかった。
代わりに、折れた木片を拾って娘の手へ載せる。
「明日また壊れたら、また直す。でも、ずっとそれでいいとは父さんも思わない」
「どうするの?」
「それを今、みんなで考えてくれてる」
少女がレイルたちの方を見た。
期待される視線に、レイルは一瞬だけ息を詰めた。Aランクの札をもらったばかりでも、知らないものをすぐ直せるわけではない。それでも、分からないからと目を逸らすこともできなかった。
レイルはその会話を聞きながら、拳を握った。
昨日へ戻れば失敗が消える。
怪我をしなかった日へ戻れれば、救われる人もいるかもしれない。
けれど、直した物も、選んだ道も、今日頑張ったことも一緒に消える。
「レイル」
リィナが横へ立つ。
「うん」
「止めよう」
「うん」
レイルは地面へ浮いた12の薄い環を見た。
「昨日へ戻すんじゃない」
自分へ言い聞かせるように、ゆっくり口にする。
もしエナの体調が悪くなった日を、元気だった昨日へ戻せると言われたら、自分は迷わず手を伸ばすかもしれない。その誘惑を、今のレイルは笑えなかった。大切な人が苦しむなら、正しさより先に戻したいと思う。
けれど、戻し続けた先に本人の今日がなくなるなら、それを治療とは呼べない。時間を作ることはできても、本人の生き方まで代わりに決めることはできない。
「明日を選べるようにする。戻りたい人がいても、戻りたくない人がいても、敵が勝手に一つへ揃えないように」
リィナが横で静かに頷いた。
「うん。その方がレイルらしい」
「俺らしい?」
「だってレイル、自分の魔法だって最後まで勝手に終わらせられるの嫌いでしょ」
「……確かに」
フィアが記録板を閉じた。
「新規任務として記録します」
アルドが【帰城盾】を肩へ担ぐ。
「帰還条件は?」
「12地点を確認して、全員で帰る」
「了解だ」
セレネが地図を開く。
「12地点を同時に止める必要があるなら、昨日成功した12件保持がそのまま使える可能性があります」
「ただし、昨日と同じ配置をそのまま使うのは反対です」
フィアが即座に続ける。
「実戦条件は異なります。12地点を一人で保持する前提は捨てます。各地点の観測者、外部媒体、通信遅延まで含めて再設計が必要です」
「分かってる。昨日できたから今日も同じ、にはしない」
エルシアが少し離れたところで鼻を鳴らした。
「聖級の訓練で言ったこと、覚えてたね」
「成功した直後が一番危ない、でしょ」
「ならよし」
「偶然にしては、出来すぎですね」
ノアの赤紫色の瞳が細くなる。
「敵がこちらの能力拡張を知っていたのか。あるいは、こちらが敵の12系統へ届く段階まで育っただけなのか」
「どっちでもいい」
リィナが【継刃】へ手を置いた。
「考えてもしょうがない。やることは同じでしょ」
東の空はもう明るい。
昨日へ戻された町にも、朝日は今日のものが昇っていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ朝。
ユノとカインは、12地点のうち北東端にある石造りの塔へ辿り着いていた。
塔の地下には、巨大な白い円盤が埋まっている。
円盤の外周へ12の小環。
中央へ一行。
【複写執行系――基準日展開開始】
ユノは文字を読み、顔をしかめた。
「名前、出た」
カインが石板へ書く。
【王都へ】
「送る。でも私たちはこっちを切る」
カインは剣を抜いた。
ユノも術式札を広げる。
「レイルたちが12ヶ所を見るなら、こっちは元を探そう」
石板へ、短い返事。
【帰る】
ユノは一度だけ笑った。
「うん。今度はちゃんと、ね」
白い円盤の奥で、13個目にも見える小さな光が灯った。