未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
異変は、通信器の試験が終わってから三時間後に起きた。
北央防災城塞から南へ約18キロメートル。人口一万二千ほどの河環都市レグナは、三本の石橋と地下魔導路で両岸を繋ぐ交易都市だった。
レイルたちが到着した時、南岸市場ではまだ普通に夕食の匂いが流れていた。
次の鐘が鳴る前に、地下から最初の衝撃が来た。
ドォン――ッ!
石畳が波打った。
露店の瓶が一斉に倒れ、建物の窓が遅れて震える。地面の下から、岩を擦り合わせるような低い音が続いた。
『地下魔力反応、急上昇! 大型生体反応!』
ニアが少女型で叫ぶ。
「全員、外へ!」
リィナの声が市場へ通る。
レイルは揺れの方向を見るより先に、周囲の人の流れを見た。市場中央へ集まれば危ない。石橋へ一斉に向かえば詰まる。
「北通りと東通りへ分ける! 橋へ直接行かないでください! 広場で誘導を受けて!」
組合職員が鐘を鳴らす。
アルドは【帰城盾】を展開し、崩れた露店の梁を受け止めた。
「負傷者はこちらへ! 走れる者は東へ!」
フィアが人数を数える。
「市場区画、確認214人。転倒負傷7人。建物内未確認あり」
ノアが地面へ手を当てた。
「白環反応ではありません。もっと粗い。生体核が複数――いえ、骨格内に古い王核残滓を取り込んでいます」
石畳が割れた。
亀裂は市場を横断し、倉庫の一棟を持ち上げる。
そこから現れたのは、骨だった。
巨大な肋骨に似た白灰色の構造が、地面を割って空へ突き出す。一本だけで人の身長を越え、その隙間を黒い岩質の肉が埋めていた。次に背骨のような節が持ち上がり、三階建ての建物より高い背中が市場の向こうへ現れる。
頭部は獣に似ているが、角も顎も左右で形が違う。死骸を繋ぎ合わせたようでいて、各部は独立して動いていた。
「あれは――王骸獣......」
現地の古参冒険者が顔色を失った。
「知ってるのか」
レイルが聞く。
「昔の王核戦場跡で出るって話だけだ。こんな街中に来るような奴じゃない!」
王骸獣が身体を捻る。
地面の下で何かが引きちぎられた。
バツンッ!
市場脇の有線通信塔から火花が上がる。
「中央線、断線!」
通信兵が叫んだ。
「南橋管制と繋がりません!」
レイルたちの視線が一瞬だけ合う。
ロッテが荷箱を蹴り開けた。
「通信器だよ!」
試作【携帯魔導通信器】は四台しかない。
予定外の実戦投入だ。
「一台を本部、一台を南橋、一台を治療所、一台を前衛!」
セレネが即座に割り振る。
「距離は?」
レイルが問う。
「南橋まで430メートル。治療所290メートル。市街遮蔽はありますが試験範囲内です。中継なしで届く可能性が高い」
リィナが一台を受け取る。
「前衛、私だね」
「単独で奥へ行くなよ」
「分かってる。レイルの射線が届くところまでね」
セレネがリィナの胸元へ通信器を固定した。
「送信板はここ。押している間だけ話せます。剣を振りながら触る必要はありません。緊急時は二回叩けば開回線へ切り替えます」
「了解」
リィナが走る。
足裏の噴射で瓦礫を越え、王骸獣の正面を避けて左側面へ回り込んだ。
『前衛から本部。聞こえる?』
雑音混じりの声が、レイルの手元から返る。
「聞こえる。王骸の左側、建物二棟の間に避難者が残ってる。攻撃はまだするな」
『見えた。十二人くらい。先に出すよ』
フィアが訂正する。
「映像確認、11人です。最後尾一名は荷車の陰」
セレネが念話でリィナへ送る。
『11人。最後尾は荷車の陰です』
『見えた!』
レイルは一瞬、通信器と念話が重なる感覚に気づいた。
セレネが近距離の主要仲間へ念話。通信器は離れた部隊や魔術師でない兵士へ。
役割が違う。
「レイル!」
アルドの声で意識を戻す。
王骸獣の尾に似た骨列が地面から抜け、横薙ぎに市場の建物へ向かった。
レイルは右腕環へ風圧を立ち上げる。
上級無詠唱。
声を出さず、三本の風路を建物の外壁へ沿わせる。
骨列そのものを止める火力はない。狙うのは軌道だ。
ゴォッ!
風圧が尾の下へ入り、先端を1メートルほど持ち上げる。
骨列は二階壁を砕いたが、一階の避難口は残った。
「通れる!」
アルドが盾を構えて入口へ走る。
「中の者、俺の後ろへ! 最後まで出す!」
王骸獣が吠えた。
声というより、複数の骨洞が同時に鳴る共鳴だった。低音が腹へ響き、窓が次々に割れる。
セレネの通信器が鳴る。
『南橋管制! 橋脚に亀裂! 避難列を止めるべきか指示を!』
別の通信。
『治療所、負傷者28! 追加搬送可能、ただし北棟満床!』
さらに組合員が駆け込む。
「西倉庫で火災! 地下魔導炉の圧力も上がってます!」
セレネの表情が変わった。
青紫の瞳が、王骸獣だけを見なくなる。
「前衛、南橋、治療所、西倉庫、地下魔導炉......」
五つ。
彼女は胸元の【五路演算晶】へ手を触れた。
「ルシアン兄様。使わせてもらいます」
五枚目の演算晶が、腰の収納ケースから浮いた。
レイルが止める。
「初実戦で五路は」
「必要です」
セレネはレイルを見る。
「そして、私一人で全部処理するとは言っていません。五つへ分けます。各区画の判断は現場へ返す。貴方も同じです」
レイルの口が閉じる。
遠くで王骸獣が橋の方向へ身体を向けた。
Aランクの仕事は、目の前の怪物を倒すことでは終わらない。
街にいる全員が、怪物を倒すまで待ってくれるわけでもない。
「分かった。やろう」
セレネは五枚の演算晶を展開した。