未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
王骸獣災害から二日後、レグナの北岸には仮設の救援区画が広がっていた。
崩れた南橋の代わりに浮橋が組まれ、治療院前には白い天幕が並ぶ。軍と組合は交代で残骸撤去を続け、レイルたちも白環異常の調査へ戻る前に、王骸獣の残留魔力と通信器の実戦記録を整理していた。
その朝、ニアが珍しくレイルの机の正面へ座った。
少女型の投影は椅子へ完全に体重を預けられるほど実体化していないが、半透明の膝を揃え、両手を机へ置く仕草は妙に真剣だった。
「それで、ニア。何を増やしたい?」
レイルが聞く。
前半の会議で、ニアは「補助の二文字に若干不満」と言った。
王骸獣戦では通信識別、危険照合、残留魔力の解析をした。必要な仕事だった。
本人は、その先を望んでいる。
『ニアちゃん、マスターが倒れた時ニ何モ決メラレナイノ、そろそろイヤです』
いつもの軽さが薄い。
「俺が倒れた時?」
『前ハ、判断代行禁止。独自魔法完成禁止。攻撃権限ナシ。安全機構モ、マスター確認待チガ多イ。ソレ、今マデハ正しかったと思いマスけど』
「今は違う?」
『全部ジャナイ。でも、目ノ前デ誰カ落チテ、マスターが気絶シテタラ、“確認待ち”デ落チルノ見ルノ、もっとイヤです。萎えです』
レイルは返事をせず、オムニアの安全規則を呼び出した。
【万式魔導環】は最初から、使用者の判断を奪わないよう作られている。ニアは術式を表示し、危険を知らせ、媒体を調整する。勝手に魔法を完成させない。
それは、エルシアが道具へ強すぎる権限を持たせなかった理由でもあった。
「何でも自分で決めたいわけじゃないんだな」
『ソレやったら、マスターより慎重病悪化しそうだしー』
「否定しづらいな」
『ニアちゃんが欲しいノハ、“この条件なら助けていい”って範囲です!』
そこへセレネ、フィア、ノア、ロッテも入ってきた。
ニアが自分から希望を言った以上、レイル一人で許可範囲を決めないために呼んでいた。
セレネが椅子へ座る。
「判断できる範囲は先に狭く決めましょう。事前承認した安全行動だけなら、責任の所在も追えます」
「まず攻撃は外します」
ノアが即座に言う。
「未知の相手へニアが独断で攻撃するのは早すぎます。術式の正当性、敵味方識別、責任主体が未整備です」
『えー。ニアちゃん攻撃技ほしいんですけどぉ』
「欲しいと許可できるは別です」
『ノア先生キビシー!』
「私は先生ではありません」
ロッテが机へ小さな金属板を置いた。
「防御なら、こいつを使える。新しい魔法をニアが作るんじゃない。あらかじめ形成済みの小型結界モジュールだ。入力信号が来れば展開するだけ」
「これなら独自魔法完成には当たらない?」
「道具の起動だ。扉を開けるのと同じにするには、条件を狭くしろ」
フィアが記録板へ項目を書く。
「候補。第一、使用者が応答不能。第二、対象に即時の生命危険。第三、防御または救助のみ。第四、使用後は全記録を保存。第五、攻撃対象への直接加害は禁止」
ニアが手を上げる。
『通信ハ?』
「救難転送は入れていいと思う」
セレネが答える。
「既存通信の送受信先を切り替えるだけなら、判断は“誰へ優先して繋ぐか”です。救命を最優先にする規則を明示できます」
『じゃあ、救難>医療>退避>通常報告?』
「暫定では」
レイルは皆の意見を聞きながら、最後の項目を自分で書いた。
【使用者が意識回復した場合、即時に判断権を返す】
ニアが覗き込む。
『ソレ必要?』
「必要。俺が戻ったのに、ニアが『今忙しいから任せて』って続けたら困る」
『ちょっとやりたいなぁ』
「却下」
『ケチレイル』
軽口が戻った。
レイルは最後に一つだけ確認した。
「ニア。これは、俺が楽するために判断を投げる仕組みじゃない。ニアが何でも背負う仕組みでもない。そこは分かってるよな?」
少女型のニアは、すぐには答えなかった。
猫型なら尻尾で誤魔化したかもしれない。今は人の顔に近い形で、少し考えてから頷く。
『分かってマスって。ニアちゃん、マスターの代わりニナリタイんじゃナイからぁ』
一度、言葉を切る。
『マスターが返事できない時ニ、隣ニいたいだけ』
レイルは目を伏せた。
その答えに、許可を出さない理由は見つからなかった。
「じゃあ、第一段階」
フィアが正式に記録する。
【ニア自律補助権限:第一段階】
【範囲:救難通信/事前形成防御具/退避補助】
【独断攻撃:不可】
【独自魔法完成:不可】
【未完操作:不可】
『やったーマジ卍』
「喜ぶのは試験してから」
ノアが釘を刺す。
『ハイハイ、99%先生』
「その呼び方を誰から覚えました?」
『民間俗称デス』
「消しなさい」
『記録ハ消セマセン』
「フィアみたいなことを!」
フィアが顔を上げる。
「私も不要な記録は整理します」
『でも消さないデショ?』
「原記録は残します」
『ほらー』
「同類扱いは訂正を要求します」
レイルは思わず笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
事故は、その日の午後に起きた。
仮設救援区画の北端で、王骸獣の残骸を吊り上げていた魔導滑車が破断した。
甲高い金属音のあと、巨大な骨片が吊り索から外れ、作業柵の外へ倒れ込む。
「下がれ!」
レイルは反射で走った。
骨片の下には作業員二人と、炊き出しの器を運んでいた十歳ほどの少年が一人。
距離は二十数メートル。
【短距離転移】の標は近くにない。
右掌へ風圧を形成しながら走る。
骨片が落ちる。
作業員一人が少年を押した。
少年を押し出した直後、地面に残っていた小さな王骸核が割れ、灰色の魔力が爆ぜた。
バンッ!
衝撃が横からレイルを叩いた。
視界が回り、肩から地面へ落ちる。
意識は完全には消えていない。
だが、右耳が鳴り、身体が一瞬動かない。
『マスター!』
ニアの声。
レイルは返事をしようとした。
息だけが漏れる。
骨片の影が少年へ落ちる。
ニアの視界に、朝決めた条件が並ぶ。
【使用者:応答不能】
【対象:即時生命危険】
【許可行動:防御/救難】
ほんの一瞬。
ニアはレイルへ確認を求めなかった。
『防御モジュール、起動!』
作業区画に置かれていた試験用の円盤が光る。
ロッテが午前中に接続した小型結界具。
薄い環状の膜が少年と作業員の上へ開いた。
【環盾】
ドガァンッ!
骨片が結界へ落ちる。
一撃で膜へ亀裂が走ったが、環盾は完全には割れず、骨片の落下速度を大きく殺した。
作業員が少年を引きずって外へ出る。
同時に、ニアは救援区画の通信器へ接続した。
『救難通信、自動優先! 北端作業区画、負傷者発生! 治療班ヲ最優先接続!』
通常報告の回線が一度切れ、治療所へ直接繋がる。
『こちら治療所! 場所確認!』
『北端第三柵! 成人1、少年1、マスター1!』
『搬送班出す!』
ニアはそこで初めて、倒れたレイルを見る。
レイルは片肘をつき、ようやく身体を起こしていた。
「ニア」
声が出る。
その一言で、表示が切り替わる。
【使用者応答:回復】
【自律判断権:返却】
『マスター、戻った?』
「戻った。……今の、ニアが決めたのか?」
『条件内デスにゃ』
「うん」
レイルは立ち上がろうとして、めまいで一度膝をついた。
ニアが心配そうに顔を寄せる。
『怒る?』
「何で?」
『勝手ニ起動したカラ』
「勝手じゃない。許可した範囲だろ」
少年が助かったことを確認する。
環盾は割れている。再使用不可。
一回持てば十分だった。
「ありがとう」
ニアの少女型投影が、ほんの少し固まった。
『……今ノ、記録シマス』
「照れた?」
『分析不能デス』
「顔に出てるぞ」
『投影顔デスから!』
レイルは笑った。
頭は痛い。
治療師がこちらへ走ってくる。
その向こうで、救われた少年が泣きながら母親へ抱きついていた。
ニアはもう一度、その姿を見た。
『ニアちゃん、自分デ決メマシタ』
今度の声には、少しだけ誇らしさが混じっていた。