召喚術師を召喚したいのですが、どうすれば良いですか?
M Mの慰安旅行: 霧島編 (第4幕)
深夜、誰かが最初に目を覚ました。何か音がしたからではない。音の「ようなもの」が、静けさの奥でいていたからだ。それは風でも、雨でもなかった。ましてや虫の羽音でもない。それは
——霧がれる音
と表現した方が良いだろうか、濡れた布をゆっくりとで合わせるような、
すう......
すう......
という、呼吸に似た気配。布団の中で物部かすみは浅く息を吸った。眠りの縁に引き戻される前、肌がひやりとする。障子の向こうが、わずかに白んでいる。
「......霧、濃くなってへん?」
声に出した瞬間、自分でも不自然だと感じた。目覚めた理由を、後付けで言葉にしただけのような感覚。そのとき隣の布団から、衣擦れの音がした。
「イマ、ナニカキコエマシタ......」
と低く抑えたラハニ・カヤンの声が耳に届いた。かすみは頷いたが、その動きに確信はなかった。聞こえたのか、感じただけなのか、境目が曖昧だった。
その時だった。かすみが返事をする前に、外から
こと......こと......
と、誰かの足音だろうか、かすみの耳に届いた。遅すぎる。そして迷いがない。やがて離れの前で、ぴたりと止まる。
「......お休みのところ、すまんです」
声は、昼と同じ仲居のものだった。だが、方言が濃くなっている。かすみは早速起き出して玄関に向かった。
「こんな夜更けにどうされましたか?」
とかすみが小声で応じる。そして、やはり何かの気配を感じたままんだ状態だった神室霊華が、かすみの問い掛けで目を覚まし、起き上がるや早速かすみの隣にやって来た。そしてかすみの耳元で「師匠、どうされたんですか?」と声を落として問い掛けた。かすみが答えようとした時、外から少し困ったような、けれど妙に親しげな声が返ってきた。
「いやぁ......今夜は霧が、
えらいことなっとりましてなぁ」
そこで一拍間をおいてから、
「このへんは、ば過ぎると、
霧が迷い込んで来よることがあるとです」
引き戸の向こうで、着物の擦れる音がした。
「迷い...込む......?」
かすみが思わず聞き返すと、仲居はくすっと小さく笑った。
「人やなかですよ。ただ......」
またしてもそこで一拍間をおいて
「人やったら、まだ良かですばってん」
その言い回しに、神室霊華の手がかすみの腕をしっかりと掴んだ。
「戸締まりは、ちゃんとしとらすごたっですが、
念のため、声ば掛けさせてもろうとです」
この頃になると最神玲とラハニも何があったのか気になってかすみの傍にやって来た。本来であれば玲は玄関を開けて来意を確認すべきところ、仲居の夜中の訪問と彼女の言葉が気になるため、引き戸を開けるのをっていた。だが、ここは召喚術師である彼らは、引き戸を開ける代わりに転移門を設置して外を見ることにした。すると離れの玄関灯の淡い灯りの中、あの仲居が昼と同じ姿で立っていた。だが、足元は霧に沈んで見えない。そしてその顔や表情も俯き加減なのか、暗くて判別できない。まるでこの世の者ではない印象を中にいる4人に与えた。
「霧が......中に入って来ること、
あるんですか?」
玲の問いに、仲居は即答しなかった。そして暫しの間の後、
「......入るっちゅうより」
転移門を通して見ている仲居は少し首を傾げながら
「寄って来よる、ち言うた方が近かですかねぇ」
その言葉の響きが、やけに生々しく耳に残る。ラハニが低く呟く。
「......クルノ、ハヤスギマス......」
仲居は、その言葉を聞いたかのように、ゆっくりと一礼した。
「今夜は、あんまり外ば見ん方がよかですよ」
また一拍おいてから
「霧の向こうは、こっちのと、
ちっと違いますけん」
そして、穏やかな声で、こう締めくくった。
「心配はいりません。朝になれば、
ちゃんと引いていきますけん」
「それまではどうぞ、静かにお休みください」と締めくくり、そのまま足音が、遠ざかっていく。
こと......
こと......
霧の白だけが、離れの縁をなぞるように残った。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。かすみは、ようやく息を吐いて呟く。
「......昼より、何やろ訛り強なってへんかった?」
玲は、居間に戻りながら、声を落として答えた。
「そうだね。何となくだけど、
夜の方が、この土地に近いんかな」
4人は縁側に面する障子を開けて、外の霧がまた一段と濃くなる様子を眺めていた。その中で、昼間ラハニが口にした、意味の分からなかった言葉が、ゆっくりと、形を持ち始めていた。
—— ここは、夜になると、土地が話し始める
今夜、それを聞いているのは、もう彼ら4人だけではないのかもしれなかった。
さて夜も遅いので4人はそれぞれ布団に潜り込んで再び寝ようとしていた。離れの外では、霧がなおも縁側の外で蠢いている。白い海のように、音もなく、しかし確実に近い。誰かが、息を吸い込んだ、その瞬間だった。
......とん......
小さく、鈍い音。木を叩く音にしては、柔らかすぎる。家鳴りの「ミシッ」という音とも明らかに違う。そして何かが地面に落ちる音にしては、乾きすぎている。
「......今、何か音したな?」
かすみが布団の中から誰にともなくそう呟いた。そして隣のラハニが返事をする前に、もう一度
......とん......とん......
今度は、規則正しい音が耳に届いた。間隔が、人の歩幅に近い感じだ。だが、そこに重さは感じられない。なぜなら足音特有の音とは異なるからだ。足音なら、縁側の板が鳴る、あるいは砂利が鳴る。だが
——霧は鳴らない
音は、霧の中から直接、現れている。そして、4人は気づいた。音が上から来ていることを。
「......縁側の高さじゃないな......」
玲が、隣に寝ている神室霊華に声を殺してそう伝えた。神室霊華も「はい、もっと高い所のようですね」と答えたが、その音は天井、いやもっと高い、離れの外壁、いや2階かもっと高い所から聞こえて来た。かすみとラハニが布団から起き出して神室霊華の所にやって来た。そして
「ここって、2階とか屋根裏部屋とか
あらへんよな?」
と小声で呟くが、この離れは外から見た時点で平屋であることが分かっている。玲も布団から起き出して、念のため転移門で屋根裏を確認するが、そこに何かが居る気配は見られない。とその時、再び
......とん......
と音がしたかと思ったその直後、今度は、擦る音が混じった。
ず......ずず......
と、まるで濡れた布を柱に引きずるような嫌な感じの音である。やがて音は、離れの周囲を回り始めた。一定の距離を保ち、一定の速度で。まるで人が歩くように。だが足音とは明らかに異なる。
「......何でしょうか、円を描いているようですね」
と神室霊華の声が耳に届いた。その時かすみが
「玲、結界張ってるから
幽霊とかは入られへんよな?」
と不安な表情で玲に尋ねた。勿論そこにいる4人には、玲が張っている結界の存在は分かっている。分かっているのだが聞かずにはいられない。実を言うと、降霊召喚門が万能ではないことがここ最近の事例で明らかになって来た。そしてその幾つかのケースではかすみが直接関わっていたため、かすみは不安で仕方がないのだ。
とその時、決定的な音がした。
......ごり......
何かが、縁側の縁に引っかかったような音である。木が、軋む。そして重みが、ほんの一瞬だけ掛かった次の瞬間、
......こん......
障子の向こう、縁側の板の上で、何かが「置かれた」音。だが、そこに姿は見えない。霧が厚すぎるからだ。そしてこの事態に対し、驚きの余り言葉を失って呆然としていた人物がいた。玲である。縁側を含め建物全体に対し降霊召喚門による結界を張っているのだが、外の何かは結界の存在を無視するかのように、その内側に入って来たのだ。そんな呆然と佇む玲に対し、かすみが震える声で呼びかけた。
「......れ、玲?い、今、そ、そ、そこに......」
かすみの声が言い終わる前に
すう......
障子一枚を隔てた向こうで、誰かの、いや何かの呼吸音がした。吸って、吐く。それは、人の呼吸よりも、少しだけ遅い。そして、喉を鳴らす音。
......ご......ろ......
その時不意にラハニが、はっきりと言った。
「......キコエマス」
その声に返事をするかのように、障子の向こうで霧がゆっくりと膨らんだ。まるで、中に何かを含んだまま、形を取ろうとしているかのように。誰も、動けない。ただ、知ってしまった。これは、戸締まりで防げるものではない。そして、仲居の言葉が、今になって、はっきりと意味を持つ。
——寄って来よる
そのは、もう、離れのすぐ外にいた。そしてそこにいるは、4人が良く知る霊体の類ではないことだけは確かであった。その時かすみが緊張のためか口の中がカラカラに乾いた状態で
「こ、これって......よ、妖怪みたいなものなんか?」
と声をれさせながらそう呟いた。その時ラハニが
「タブン、ノデハナイデスカ?」
と誰もが予想をしないことを呟いた。そして縁側にいたはそのうち気配が消えていなくなった。それでも、誰も外に出て確認しようとはしない。好奇心旺盛な若者であっても、彼ら4人は霊能力者であり、こういう場合の油断が命取りになりかねないことを十分に承知している。
「とりあえず、確認するのは明日やな」
とのかすみの呟きに答えるように、4人は自分達の布団にそのまま潜り込んだ。もっともこのまま寝れるかどうかは定かではないのだが。