悪役令嬢は世界のバグを修正する
ざわめきは、最初は小さかった。
「……誰あれ?」
誰かの呟き。
それが、波紋のように広がる。
「騎士……じゃない?」
否定とも肯定ともつかない声。
だが、
そのやり取りは長く続かない。
理由は単純だった。
――それ以上、話してはいけない。
誰も命じていない。
それでも、
全員が同時に理解する。
空気が変わっている。
目に見えない何かが、
場を支配している。
生徒たちは、
無意識に声量を落とす。
笑い声は消え、
言葉は途切れ途切れになる。
視線だけが動く。
だが、
その視線も長くは続かない。
一度向けて、
すぐに逸らす。
“見てはいけない”
そんな認識が、
言葉よりも先に働いていた。
教師たちも同じだった。
つい先ほどまで続いていた会話が、
不自然なほどに止まる。
指示の声も、
注意の言葉も、
すべてが途切れる。
一人の教師が、
わずかにそちらを見る。
そして次の瞬間には、
何もなかったかのように視線を外す。
関わらない。
触れない。
その選択を、
全員が無意識に取っている。
奇妙だった。
誰一人として、
あの男の正体を知らない。
名前も、
所属も、
何も分からない。
それなのに――
全員が同じ結論に辿り着いている。
“危険だ”
理由はない。
根拠もない。
ただ、
そうとしか認識できない。
それは恐怖ではない。
もっと直接的なもの。
“理解”に近い。
生き物としての本能が、
先に答えを出している。
近づくな。
関わるな。
空気は、
静かに張り詰めたまま動かない。
その中心にいる男は、
何もしていない。
ただ、
そこに立っているだけ。
それだけで――
この場のすべてが、
わずかに歪んでいた。