悪役令嬢は世界のバグを修正する
屋上の風は強かった。
朝の冷気を含んだ空気が、
制服の裾を揺らしていく。
カイルは手すりにもたれたまま、
何気ない顔で校内を見下ろしていた。
怠けて授業を抜け出した生徒にしか見えない。
少なくとも、
遠目にはそう映る。
だがその目だけは、
一瞬たりとも遊んでいなかった。
正門前、
騎士六名。
交代要員二名。
外周東側、
巡回線を兼ねた固定配置。
中庭南口、
監査官付きの制圧班。
数を数える。
位置を読む。
間隔を測る。
誰が強いかではない。
どこが穴か。
それだけを見ていた。
「露骨だな……」
小さく呟く。
包囲は丁寧だ。
素人目には警備強化に見える。
だが、
現場を知る者には分かる。
これは守備陣形ではない。
捕獲陣形だ。
カイルの視線が、
本館裏手の渡り廊下へ移る。
騎士が二人。
近いようで近すぎない位置。
逃走者を追い込みやすい距離感。
さらに実技棟横の石畳。
巡回を装った三名が、
互いの死角を補完している。
「……徹底してやがる」
だが、
完璧な陣形など存在しない。
人が立つ以上、
必ず癖が出る。
西棟裏の補給路。
物資搬入のため、
警戒が一拍遅れる。
図書塔横の階段。
視線は通るが、
足は入りにくい。
旧講堂脇の樹列。
上からは見えるが、
横移動には弱い。
カイルの脳内で、
学園全体の地図が塗り替えられていく。
通学路ではなく、
脱出路として。
(もう政治じゃねぇ)
神殿の命令。
学園の沈黙。
騎士団の分裂。
そんなものはもう段階を過ぎた。
建前は終わった。
残っているのは、
誰を確保するかだけだ。
(奪取戦だ)
その言葉が、
妙にしっくりきた。
レティシアを拘束しようとする側。
それを阻止したい側。
本人の意思すら置き去りにして、
周囲が奪い合い始めている。
「……気に入らねぇな」
彼女がどうしたいか。
それを聞いている奴が、
一人もいない。
カイルは手すりから身体を離した。
表情から気怠さが消える。
代わりに、
研ぎ澄まされた静けさが宿る。
まず接触する。
監視の薄い時間を読む。
教師側で使える人間がいるか確認する。
研究所が動いているなら、
その攪乱も利用する。
一手で救える状況じゃない。
だから、
先に盤面を崩す。
階段へ向かいながら、
ポケットの中で鍵束を鳴らす。
旧校舎の裏口。
倉庫の通用扉。
閉鎖済みの地下通路。
使える道はいくつもある。
「待ってろ、とは言わねぇ」
誰に向けた言葉でもなく、
独りで笑う。
「動けるなら、動け」
「動けねぇなら、俺が動かす」
その足取りに迷いはなかった。
学園中が包囲網を狭める中、
一人だけ別方向へ走り始めていた。