悪役令嬢は世界のバグを修正する
神殿監査室は、
学園本館の一角を接収する形で設けられていた。
簡素な机。
最低限の椅子。
壁際に並ぶ記録装置。
祈りの場でも、
休息の場でもない。
執行のためだけに整えられた部屋だった。
その中央に、
ルシアンは立っている。
白い装束は乱れ一つなく、
姿勢も呼吸も変わらない。
感情を映さぬ横顔は、
いつも通り精密に整っていた。
扉が開き、
神殿使者が入る。
無駄な挨拶はない。
ただ命令だけが届けられる。
「聖騎士ルシアン」
「執行補佐を命ず」
短く、
絶対の響きを持つ言葉だった。
拘束作戦への参加。
対象確保の補助。
必要であれば、
制御権限の行使。
説明されずとも、
その内容は理解できる。
ルシアンは答えない。
視線だけが、
机上の記録板へ落ちる。
そこにはレティシアに関する観測情報が並んでいた。
接続反応。
不安定判定。
監視強化。
拘束承認。
整然とした記録だ。
だが、
整いすぎてもいた。
彼の沈黙を、
使者は拒否と受け取らない。
命令は伝達された時点で成立する。
返答は儀式にすぎない。
「速やかな合流を」
そう告げ、
使者は去っていく。
扉が閉まり、
室内に静寂だけが残った。
ルシアンは動かない。
ただ、
微かに目を伏せる。
これまで彼は、
命令に疑問を差し挟まなかった。
世界を保つための処置。
秩序維持のための調整。
その前提がある限り、
執行は合理だった。
だが今回は違う。
学園包囲。
転移封鎖。
騎士団の過剰配置。
対象は一人の生徒。
それに対する手段として、
規模が大きすぎる。
そして何より――
彼女から感じたものは、
破壊衝動ではなかった。
暴走でも、
敵意でもない。
不安定。
確かにそうだった。
だがそれは、
排除すべき異常と同義ではない。
(拘束は最適解か?)
初めて、
命令と判断が並列に置かれる。
どちらが正しいかではない。
一致していないこと自体が、
彼にとって異常だった。
窓の外では、
学園の中庭に騎士たちが配置されていく。
無駄のない陣形。
逃走経路を潰す配置。
効率的だ。
あまりにも効率的だった。
ルシアンは静かに息を吐く。
その音すら小さい。
彼は神殿の剣だった。
迷いなく振るわれるための存在だった。
だが剣にも、
切っ先が触れた対象の感触は伝わる。
今回の命令は、
何かがずれている。
ほんの僅かに。
だが無視できないほどに。
彼は腰の剣へ手を添える。
抜かない。
ただ、
そこに在ることを確かめるように。
「……確認する必要があるな」
誰にも聞こえぬ声だった。
それは命令への返答ではなく、
自分自身への宣言だった。
この瞬間、
ルシアンはまだ神殿側に立っている。
けれどその足元には、
確かに最初の亀裂が入っていた。