悪役令嬢は世界のバグを修正する
レティシアの言葉が、
夜気の中へ溶けて消える。
「……なら、どいて」
その要求に、
ルシアンは答えなかった。
否定もしない。
嘲笑もしない。
ただ、
静かに右手を持ち上げる。
指先の動きすら無駄がない。
祈りの所作でもなく、
魔術師の詠唱でもない。
必要な操作だけを切り取ったような、
機械的な動作だった。
次の瞬間、
空間に白い線が走る。
一本。
また一本。
さらに交差し、
縦横へ伸び、
礼堂跡地一帯を覆うように展開されていく。
白い格子線。
光で編まれた檻のような、
幾何学的な網目。
空中にも、
石畳の上にも、
二人の間にも。
見えない座標へ杭を打つように、
正確に配置されていく。
レティシアの視界へ文字が浮かぶ。
FIELD CONTROL
STABLE LOCK
空間制御。
安定固定。
その意味を理解するより早く、
世界の感触が変わった。
風が止まる。
さっきまで揺れていた髪先が、
途中で切り取られたように静止する。
砂埃が舞い上がりかけたまま、
落ちもせず空中で留まった。
地面を踏みしめる感覚が硬い。
石畳そのものが、
一枚の巨大な板へ変えられたようだった。
ひび割れも、
振動も、
揺らぎもない。
礼堂跡地の地下回路も、
先ほどまで脈打っていた反応を止める。
流れが断たれたのではない。
流れるという行為そのものを、
許されなくなったのだ。
レティシアが息を呑む。
胸の奥で魔力を巡らせようとしても、
反応が遅い。
水路に氷が張ったように、
循環が重く鈍る。
術式を組もうと意識した瞬間、
その構築速度が明らかに落ちた。
思考は進む。
だが現象が追いつかない。
魔力循環停止。
術式発動遅延。
空間改変無効化。
ありとあらゆる変化を、
発生前に抑え込む力。
ルシアンはその中心で、
変わらぬ姿勢のまま立っている。
彼自身だけが、
この固定された世界の例外だった。
「動的要素を封鎖した」
低い声が響く。
「ここでは変化は起きない」
感情のない説明。
だがその内容は圧倒的だった。
世界を壊す力ではない。
世界を止める力。
動くもの。
流れるもの。
変わるもの。
生まれるもの。
それらすべてへ、
待機命令を下す権能。
レティシアは一歩踏み出そうとして、
わずかに遅れる自分の身体に気づく。
脚が重い。
空気が粘つく。
時間そのものが、
濃くなったようだった。
ルシアンの目が、
静かに彼女を測る。
「お前の力は流動的すぎる」
「だから、まず止める」
礼堂跡地に張り巡らされた白い格子が、
さらに明るさを増す。
この場の世界は今、
彼の手によって“動かなくされていた”。