悪役令嬢は世界のバグを修正する
礼堂跡地の空気が、
張り詰めたまま震えていた。
白い格子線はなお広場全体を覆い、
ルシアンの制御は完成された形を保っている。
石畳は固定され、
風は止まり、
音すら届きにくい静止世界。
その秩序の中心で、
レティシアだけが立っていた。
視界に浮かぶ文字列が、
最後の確認のように明滅する。
PRIORITY OVERRIDE
REQUEST ACCEPTED
地下深くで、
古代回路が脈打つ。
一度。
二度。
三度。
それは機械の起動音ではない。
長く眠っていた何かが、
ようやく呼びかけに応えた鼓動だった。
次の瞬間、
白い格子線の一角に亀裂が走る。
ぱき、と。
氷の割れるような乾いた音。
続いて別の線。
さらにもう一本。
規則正しく配置されていた制御網に、
内側から無数のひびが広がっていく。
騎士たちがざわめく。
誰かが剣の柄へ手をかける。
だが、
何も間に合わない。
白い制御格子が、
砕けた。
光の破片となって散り、
夜空へ溶けて消える。
固定されていた座標が解かれ、
礼堂跡地を縛っていた見えない檻が崩壊する。
同時に、
風が戻った。
止められていた空気が一気に流れ込み、
広場を駆け抜ける。
レティシアの髪が揺れ、
ルシアンの外套が翻る。
石畳の隙間に溜まっていた砂が舞い上がり、
凍っていた夜が息を吹き返す。
遠く、
学園本館の鐘が鳴った。
誰も撞いていない。
だが止められていた振り子が再び動き、
時刻を告げる鐘音が夜へ広がっていく。
一打。
二打。
澄んだ音が包囲された学園全体へ響いた。
枝先で静止していた木の葉が、
ようやく重力を思い出したように落ちる。
一枚。
また一枚。
ゆっくりと舞い、
二人の間へ降り積もっていく。
世界が、
従った。
ルシアンはその光景を見つめたまま、
初めて表情を変える。
瞳がわずかに見開かれ、
確信のない沈黙が生まれる。
「……あり得ない」
それは敗北の言葉ではない。
彼が積み上げてきた理論、
信じてきた秩序、
成立すると疑わなかった法則。
その全てに対する否定だった。
レティシアは静かに息を整える。
肩で呼吸しながらも、
その目はまっすぐ彼を見ていた。
「止めてたのは、あなた」
声は震えていない。
「私は戻しただけ」
命令していない。
奪っていない。
支配していない。
本来流れるはずのものを、
流れる場所へ戻しただけ。
その言葉に、
ルシアンは答えられなかった。
彼の前で今、
世界は制御されて動いたのではなく、
自然へ戻ることで動いていたからだ。
礼堂跡地に風が吹く。
鐘の余韻が遠ざかる。
砕けた白光の残滓が、
夜空に消えていく。
そしてこの瞬間、
二人の勝負だけではなく、
世界の見方そのものが揺らぎ始めていた。