悪役令嬢は世界のバグを修正する
砕けた白い格子の残光が、
夜の礼堂跡地へ雪のように散っていた。
風は戻り、
鐘の余韻は遠ざかり、
止められていた世界は再び呼吸を始めている。
だが、
広場の中央に立つ二人だけは、
まだ動いていなかった。
ルシアンの外套が風に揺れる。
その手が、
ゆっくりと腰の剣へ伸びた。
周囲の騎士たちが息を呑む。
聖騎士が剣を抜く。
それは執行の最終段階を意味する。
誰もがそう理解していた。
柄へ触れる。
指がかかる。
鞘口がわずかに鳴る。
――だが、
そこで止まった。
抜かれない。
一寸たりとも刃は現れない。
ルシアンの視線は、
レティシアから外れない。
敵を見る目ではなかった。
確認する目でもない。
再評価する目だった。
彼女は世界を壊していない。
制御を破壊したように見えて、
実際には違う。
止められていた流れを戻し、
閉じられていた循環を開き、
歪められた状態を自然へ返しただけだ。
破壊ではない。
修復だ。
その理解が、
彼の中で静かに形になる。
(神殿の報告と違う)
危険対象。
制御不能。
世界構造への干渉者。
そう定義されていた少女は、
今この場で真逆の現象を起こした。
乱したのではなく、
整えた。
ならば、
どちらが正しいのか。
報告か。
現実か。
ルシアンの指先が、
剣の柄から離れる。
それだけの動作に、
後方の騎士たちがざわついた。
誰も声を出せない。
命令に従うべきか、
この沈黙に従うべきか、
判断できないからだ。
一方、
レティシアの脚から力が抜ける。
張り詰めていた集中が途切れ、
膝が石畳へ落ちた。
「……っ」
片手を地面につき、
荒い呼吸を繰り返す。
視界の文字列は乱れ、
明滅し、
意味を持たない断片へ崩れていく。
PRIORITY...
SIGNAL...
RECONNECT...
地下回路との接続も弱まり、
先ほどの奇跡のような反応はもうない。
ただの少女に戻ったように、
小さく肩を上下させていた。
ルシアンは剣を抜かない。
レティシアは立ち上がれない。
勝者はいない。
敗者もいない。
けれど、
決着がつかなかったという事実だけが、
この場のすべてを変えていた。
聖騎士が即時執行しなかった。
対象がなお健在である。
神殿の評価に疑義が生まれた。
それは戦闘結果以上に重い。
礼堂跡地を吹き抜ける風の中、
ルシアンは静かにレティシアを見下ろす。
その眼差しには、
初めて迷いがあった。
そしてレティシアは膝をついたまま、
かすかに笑った。
倒れていない。
それだけで、
十分だった。