悪役令嬢は世界のバグを修正する
礼堂跡地に、
風だけが残っていた。
砕けた制御格子の残光はすでに消え、
石畳には静けさが戻っている。
騎士たちは動けないまま外縁に立ち尽くし、
誰一人として中央へ踏み込めずにいた。
聖騎士が剣を抜かなかった。
その事実が、
命令より重く場を縛っていた。
レティシアは膝をついたまま、
浅い呼吸を繰り返している。
立てる状態ではない。
だが、
拘束できる空気でもなかった。
ルシアンは彼女へ背を向けず、
ただわずかに視線を横へ流す。
耳元で、
微かな高音が鳴った。
神殿からの遠隔信号。
監査権限回線。
彼だけに届く、
上位命令の通知だった。
空中へ白い文字列が浮かぶ。
CONTROL FAILURE
PHASE TWO
INITIATE
制御失敗。
第二段階へ移行。
開始。
ルシアンの瞳が、
初めて冷たく揺れる。
第二段階。
その語句に、
嫌な予感しかなかった。
拘束が失敗した際の代替手順。
対象確保不能時の強制措置。
現場責任者へ事前共有されていない命令系統。
つまり、
この作戦には最初から続きがあった。
彼を使った第一段階の先に、
別の手段が用意されていたのだ。
(……何をする気だ)
無表情のまま、
内側だけが沈む。
彼は今まで、
命令の全体像を疑ったことがなかった。
必要な処置があり、
必要な人員が配置され、
自分はその一部として執行する。
それで完結していた。
だが違う。
今回は違った。
彼は駒だった。
状況確認役であり、
現場制御役であり、
失敗時に切り替えるための前段処理にすぎない。
そして何より、
彼が下した“保留”の判断すら、
すでに想定済みだった可能性がある。
礼堂跡地の風が強まる。
遠く、
学園外周で結界柱が低く唸った。
何かが起動している。
ルシアンはゆっくりと振り返る。
その視線の先には、
学園本館の向こう側。
神殿側指揮所のある方角。
初めて、
彼の中で神殿そのものが観測対象へ変わった。
後方の騎士が恐る恐る問う。
「……聖騎士殿、指示を」
ルシアンは答えない。
代わりに、
短く一言だけ落とした。
「待機しろ」
命令口調だった。
だがそれは、
神殿への服従ではない。
自分の判断で出した、
初めての独立した指示だった。
膝をつくレティシア。
ざわめく騎士団。
遠隔起動する第二段階。
そして、
神殿を疑い始めた聖騎士。
夜の学園で、
本当の対立が今、
静かに始まろうとしていた。