悪役令嬢は世界のバグを修正する
夜の学園に、
低い振動音が走った。
地鳴りにも似ている。
だが地面は揺れていない。
空気の奥、
見えない層だけが唸っているような不快な音だった。
包囲結界の外周に立つ騎士たちが顔を上げる。
本館の窓辺にいた教師たちが、
同時に視線を外へ向けた。
誰も合図していない。
それでも全員が、
何かが始まったと理解した。
学園上空、
夜空へ白い光輪が浮かび上がる。
円環は幾重にも重なり、
都市全体を測量するようにゆっくり回転した。
その中心から、
無機質な文字列が展開される。
GLOBAL SUPPRESSION
EXECUTE
全域抑制。
執行開始。
次の瞬間、
学園中の灯りが一斉に揺らいだ。
魔導灯の青白い光が弱まり、
廊下を照らしていた照明が半分ほどの明度へ落ちる。
実習棟の補助結晶は沈黙し、
噴水広場の循環術式も止まった。
魔力そのものが、
広範囲から薄く剥がされていく。
寮棟の一室で、
生徒が慌てて杖を振る。
「点火、火球――」
火花だけが散り、
術式はそこで消えた。
別の教室では治癒魔法の練習中だった生徒が、
手元に集まるはずの光を何度も失う。
「え……なんで、出ない?」
「さっきまで使えてたのに……!」
一部の生徒は、
突然魔法が使えなくなっていた。
才覚の差ではない。
集中不足でもない。
見えない基準で、
使用権限そのものを下げられている。
学園中央塔の防護結界が淡く明滅する。
通常なら柔らかく波打つ膜状の結界が、
今は鏡面のように平坦だった。
揺らぎがない。
乱れもない。
完璧すぎるほど整っている。
教師の一人が顔色を変える。
「……安定値が高すぎる」
結界とは本来、
外部の変化へ応じて伸縮し、
圧力を逃がしながら守るものだ。
だが今の結界は違う。
一切の遊びを許さず、
ただ硬く固定されている。
安定しているのではない。
締め上げられているのだ。
中庭の木々も異様だった。
葉は揺れず、
枝は同じ角度で止まり、
風の流れさえ均一になっている。
池の水面には波紋一つ立たない。
虫の羽音も、
夜鳥の声も聞こえない。
世界から、
ばらつきが消えていく。
廊下を走っていた生徒が足を止める。
「……なんか、気持ち悪い」
誰かがそう漏らした。
その言葉が最も正確だった。
整いすぎている。
静かすぎる。
揃いすぎている。
自然には必ずある微細な誤差。
偶然の偏り。
些細な乱れ。
それら全てが、
見えない手によって削り取られていく。
礼堂跡地で立つルシアンも、
その変化を感じ取っていた。
眉一つ動かさぬまま、
しかし瞳だけがわずかに冷える。
これは現場判断の範囲を超えている。
拘束支援でも、
対象制圧でもない。
学園全体への介入。
膝をついたレティシアは、
重くなる空気の中で顔を上げる。
視界の奥に、
無数の線が走っていた。
太く白い管理線が、
校舎も地脈も結界も生徒たちの魔力経路さえ横断し、
同じ高さへ押し揃えている。
(……均してる)
彼女は息を呑む。
止めているのではない。
守っているのでもない。
違いを消している。
空間は平らにされ、
力は薄められ、
個々の差異は削られていく。
世界そのものを、
扱いやすい形へ整形するように。
夜の学園に、
誰のものでもない沈黙が落ちた。
それは平穏ではない。
圧力だった。