悪役令嬢は世界のバグを修正する
解析室の空気は重かった。
誰もが投影陣を見つめたまま、
すぐには次の言葉を発せない。
学園全域を覆う白い制御層。
その下で押し潰される自然経路。
さらに深部に存在する、
権限そのものを裁定する不可視の網。
見えてしまった以上、
もう以前の認識には戻れなかった。
神殿は守護者。
神殿は秩序機関。
神殿は世界を管理する存在。
その常識が、
静かに崩れていく。
若い研究員が、
乾いた声で尋ねた。
「……では、神殿は何なんです」
誰に問うでもなく、
部屋全体へ投げられた問いだった。
主任はしばらく答えない。
投影陣に映る幾層もの構造を見つめ、
一つずつ整理するように視線を巡らせる。
やがて、
低く言った。
「代理だ」
「……え?」
「神殿そのものが支配者じゃない」
「もっと上の管理層がある」
「神殿はその命令を地上で運用するための機構だ」
研究員たちが息を呑む。
言葉にされて初めて、
断片だった情報が一つの形へ繋がった。
神殿 = 管理層の代理システム。
人の祈りを受ける宗教組織でも、
純粋な政治機関でもない。
世界へ直接干渉できない上位構造の代わりに、
現実側で処理を執行する端末。
主任は指先で投影陣をなぞる。
白い制御線が三つの層へ分解された。
「第一に、権限使用の制限」
細い光点がいくつも弾かれる。
届きかけた接続が途中で遮断され、
術式へ変換される前に散っていく。
「世界へ深く触れようとする者を選別し、許容量を絞る」
「扱える範囲を小さく固定することで暴走を防ぐ」
次の層が開く。
無数の光点が芽吹く前に消されていく。
「第二に、ユーザー発生の抑制」
その言葉に、
室内の何人かが顔を上げた。
主任は続ける。
「レティシアのような接続者が増えれば、既存秩序は保てない」
「だから最初から生まれにくくする」
「才能ではなく、到達可能性そのものを削る」
若い研究員が青ざめる。
「……人を育ててるんじゃなく、増えないようにしていた?」
「そうだ」
主任は迷わず肯定した。
最後の層が開く。
学園全体を覆う均一化の白い膜。
乱れを削り、
高低差をならし、
全てを平均へ押し込む圧力。
「第三に、世界の安定維持」
「差異が増えれば事故が起きる」
「例外が増えれば予測不能になる」
「だから均す。抑える。揃える」
室内に沈黙が落ちた。
誰も反論できない。
理屈だけなら、
それは確かに正しい。
暴走は減る。
災害も減る。
秩序は保たれる。
だが同時に、
未来も減る。
可能性も減る。
自由も減る。
主任は静かに総括した。
「つまり神殿は――」
一度言葉を切る。
「世界に取り付けられた“セーフティ装置”だ」
安全装置。
壊れないようにする機構。
だが、
壊れないことだけを優先すれば、
動きそのものは鈍くなる。
飛べるものも飛べなくなる。
届くものも届かなくなる。
研究員の一人が震える声で言った。
「……それじゃ、守っているのか、閉じているのか……」
主任は投影陣を見つめたまま答える。
「その二つは、ときに同じ意味になる」
外ではなお、
学園全体へ均しの圧力が降り続いている。
だがこの地下室では、
神殿という存在の意味が、
完全に別の姿へ書き換わっていた。