悪役令嬢は世界のバグを修正する
夜の学園を覆う白い制御層が、
静かに脈打っていた。
均された風。
抑えられた魔力。
沈められたざわめき。
誰も死んではいない。
誰も血を流してもいない。
それでもこの場にいる全員が、
見えない何かに押さえつけられていると感じていた。
礼堂跡地の中央。
崩れた石柱の間に、
レティシアとルシアンが向かい合う。
互いに傷を負い、
互いにまだ立っている。
だが今、
二人の間にあるのは勝敗ではなかった。
思想だった。
神殿側の監査官が一歩前へ出る。
白い法衣の裾を揺らし、
冷えた声で告げる。
「見ただろう」
「秩序なき力がどれほど危険か」
学園全域へ展開された抑制層を示すように、
腕を広げる。
「個の自由は暴走を招く」
「欲望は限界を越え、世界を壊す」
「ゆえに制御は必要だ」
その声に迷いはない。
長い年月、
何度も繰り返し唱えられてきた教義の響きだった。
「自由は危険」
「管理こそ正義」
騎士たちの何人かが目を伏せる。
教師たちは沈黙し、
生徒たちは言葉の意味も分からぬまま緊張している。
理屈は通っていた。
人は誤る。
力は暴走する。
欲望は際限がない。
だから縛る。
だから決める。
だから選ばれた者が管理する。
それが神殿の答えだった。
レティシアはゆっくり顔を上げる。
呼吸は浅く、
身体はまだ重い。
それでも瞳だけは、
まっすぐ前を見ていた。
「違う」
小さな声だった。
だがその一言で、
場の空気が揺れる。
彼女の視界には、
白い制御線の下でなお脈打つ自然経路が見えていた。
押さえつけられても、
消えていない流れ。
誰かに許されなくても、
在り続ける道。
「接続は……可能性」
言葉を選ぶように、
ゆっくりと続ける。
「届くかもしれないこと」
「変われるかもしれないこと」
「今と違う未来があるってこと」
監査官の眉がわずかに動く。
レティシアは白い層を見上げた。
空を覆う管理の網。
安全の名で敷かれた蓋。
「閉じることが歪み」
その瞬間、
誰かが息を呑んだ。
閉じれば事故は減る。
閉じれば乱れも減る。
閉じれば支配しやすい。
だが、
閉じれば育たない。
閉じれば届かない。
閉じれば、
本来あったはずの未来まで失われる。
監査官が冷たく言い返す。
「未来のために現在を壊すのか」
「可能性のために万の命を賭けるのか」
レティシアは首を振る。
「違う」
「壊してるのは、そっち」
視線が学園全域へ向く。
使えなくなった魔法。
怯える生徒たち。
削られた差異。
均された世界。
「守ってるふりで」
「息ができないようにしてる」
その言葉に、
ルシアンの肩がわずかに震えた。
彼女の言葉が正しいと、
もう否定しきれなかった。
神殿の思想は、
安全のための支配。
レティシアの思想は、
危険を含んだ自由。
どちらにも理がある。
どちらにも代償がある。
だからこそ、
相容れない。
夜風が戻り始める。
均された空気の中に、
わずかな乱れが生まれる。
それは小さな誤差だった。
だが同時に、
新しい始まりでもあった。
この夜、
対立は完全な形を得た。
管理された世界か。
開かれた世界か。
その戦いが、
今ここから始まる。