悪役令嬢は世界のバグを修正する
礼堂跡地のざわめきは、
なお収まっていなかった。
監査官たちは慌ただしく端末陣を操作し、
神官たちは通信柱へ報告を飛ばし続ける。
騎士団は陣形を維持したまま、
命令待ちの硬直に包まれていた。
誰もが神殿側を見ている。
次に何を命じるのか。
どう立て直すのか。
秩序の中心が何を選ぶのかを。
だが、
ルシアンだけは違った。
彼は神殿を見ていない。
監査官の怒声にも、
神官たちの狼狽にも視線を向けない。
ゆっくりと顔を上げ、
ただ空を見ていた。
白い制御格子のさらに上。
夜の深層で、
何かが動いている。
常人には見えない。
だが騎士として幾度も死線を越えてきた感覚が、
確かに告げていた。
地上の争いとは別種の圧力。
戦場の殺気でも、
魔術師の詠唱でもない。
もっと巨大で、
もっと静かで、
逃れようのない気配。
風が止む。
次の瞬間にはまた吹く。
星の明滅がわずかに遅れる。
耳に届く音が、
一拍だけ世界とずれる。
そんな微細な違和感が、
空一面に広がっていた。
ルシアンの瞳が細くなる。
(これは神殿の動きじゃない)
神殿の術式なら知っている。
抑制、
拘束、
固定、
封鎖。
秩序の名で押さえつける力だ。
だが今降りてきているものは違う。
押さえつけようとしていない。
ただ、
見ている。
測っている。
必要なら触れる準備だけを整えている。
そんな冷たさだった。
(もっと上位の介入だ)
その確信が胸に落ちる。
神殿は絶対ではなかった。
命令系統の末端。
執行者。
地上に置かれた管理装置。
ならば、
本当に警戒すべき相手は別にいる。
彼の中で敵の輪郭がさらに変わる。
レティシアは秩序を壊す異端ではない。
神殿は絶対の守護者ではない。
この場の衝突は、
もっと大きな構造の表面にすぎなかった。
ルシアンは剣の柄へ触れる。
だが抜かない。
その刃を向ける先が、
もう分からなくなっていた。
少女か。
神殿か。
それとも、
空の向こうにいる何かか。
礼堂跡地の中央で、
レティシアもまた空を見上げている。
二人の視線は交わらない。
だが同じものを見ていた。
この夜、
聖騎士ルシアンの戦場は、
地上から天へ移り始めていた。