悪役令嬢は世界のバグを修正する
王宮西棟の一角に設けられた仮会議室は、
本来なら倉庫として使われていた広間だった。
急ごしらえで長机が並べられ、
壁には王国全土の地図が貼られている。
そこへ今、
各地から届いた報告書が山のように積まれていた。
封蝋の割られた羊皮紙。
泥のついた伝令筒。
血走った文字で追記された緊急文。
どれも同じことを訴えている。
王国の各地で、
何かが崩れ始めていると。
机の中央で、
財務官が一通の書状を読み上げた。
「北部街道沿いにて襲撃件数増加。護送隊二隊が被害」
別の官僚がすぐに続ける。
「北部は冬明けで食い扶持が不安定になります。例年の範囲です」
さらりと言って紙を横へ置いた。
次の報告。
「南部農村地帯、耕作者の離散多数。納税不能村落あり」
「干ばつの影響でしょう」
「季節的な人口移動です」
「収穫期には戻ります」
誰も現地を見た者はいない口調だった。
さらに別の文書が開かれる。
「東部徴税所前に民衆集結。石投擲あり。守備兵増派要請」
一瞬だけ空気が固まる。
だがすぐに年配の官僚が咳払いした。
「徴税期にはよくある感情的反発です」
「扇動者を数名捕らえれば鎮静化します」
まるで天気の話でもするようだった。
軍務担当が渋い顔で最後の報告を読む。
「西部駐屯軍、軍糧不足。備蓄到着遅延により配給削減」
「輸送路の混雑です」
「神殿騒動の余波で検問が増えたためでしょう」
「一時的現象です」
その言葉が、
今日だけで何度目か分からない。
レティシアは黙って室内を見回した。
誰も嘘をついているようには見えない。
だが誰も真実を見ようともしていない。
個別に見れば説明はつく。
天候。
季節。
偶発的混乱。
神殿事件の余波。
けれど、
それらが同時に全国で起きていることの異常だけは、
誰も口にしなかった。
カイルは壁の地図を見ていた。
北部、
南部、
東部、
西部。
問題の印が次々と打たれていく。
彼は小さく舌打ちする。
「偏ってねぇ」
「全部だ」
だがその呟きは、
書類をめくる音にかき消された。
部屋の隅で、
主任だけが一言も発しない。
椅子へ深く腰掛け、
腕を組み、
報告と官僚たちの言い訳を冷めた目で聞いていた。
表情は動かない。
驚きも怒りもない。
ただ、
既に答えを知っている者の沈黙だった。
財務官が苦笑混じりにまとめる。
「要するに、複数の小問題が重なっているだけです」
「慌てる段階ではありません」
周囲も頷く。
安堵したい者たちの頷きだった。
そのとき、
主任が初めて顔を上げた。
視線だけで地図全体をなぞる。
国中に散った異常点。
詰まる物流。
荒れる地方。
遅れる軍糧。
彼は何も言わない。
だがその無言が、
この部屋の誰より雄弁だった。
小問題なのではない。
一つの大きな病が、
王国全体へ回っているだけなのだ。