未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
旧採掘坑へ向かう北西の道は、朝露で黒く濡れていた。
レイルは黒灰色の旅外套の上から軽い採掘具を背負い、破損した【七環導杖】は短杖形態で腰へ固定している。【環刃短杖】はロッテへ預けたままだ。
隣のドルガは革の作業着に厚い手袋、腰へ採掘槌と楔を下げている。冒険者の装備ではないが、足取りには山道へ慣れた人間の迷いがなかった。
二人きりになると、驚くほど会話がない。
鳥の声と靴裏が湿った土を踏む音だけが続く。
「おい、右は駄目だぞ。あぶねぇ」
最初に口を開いたのはドルガだった。
「何がどうダメなんだ?」
「岩」
「だからどう駄目?」
「割れやすい」
「見て分かるのか?」
「見りゃ分かる」
「俺には分からないから聞いてるんだ」
ドルガが立ち止まり、心底面倒そうな顔をした。
「筋が縦に走ってる。色が一段薄い。雨が入るたび中が浮く。上を踏むな」
「なるほど、メモメモ、と」
レイルは帳面を出そうとした。
「書くな。歩け」
「あとで忘れるから」
「一回見ろ」
「記録も見るための手段だ、正確に記録して、後で反芻する。これで将来の安全性を担保――」
「うるせぇ。やっぱお前、昔より面倒臭くなったな」
「二回目だ」
「二回言いたくなるくらい面倒臭いんだって」
それでもドルガは、次の岩ではわざと足を止めた。
「これは?」
レイルは色と筋を見る。
「表面は黒い。でも横に割れ目がある。水が入ってるなら――左から荷重を掛けると危ない?」
「半分正解。下が空洞だ」
「どうして分かる?」
「音だな」
ドルガが槌の柄で石を軽く叩く。
コン、と乾いた音が返った。
レイルは同じ場所を聞き、少し笑った。
「魔法じゃなくても分かることが多いな」
「当たり前だ。お前ら魔法使いは、分からないとすぐ光らせやがる。俺たちは経験と感覚だけでやるんだ」
「それは否定できない」
旧坑道の入口は半分崩れ、木組みの支柱が斜めに残っていた。
レイルは風圧で内部の空気を探り、ニアを猫型で肩へ出す。
『酸欠兆候ナシ。奥部、微弱魔物反応二。崩落危険、右側高ニャ』
「よし、入れそうだな」
「魔物二って言ってたぞ?」
「だから警戒して入るんだ、もし魔物が出たとしても種類を見て退治か回避の判断すればいい」
「昔なら?」
「先に全部準備して、それで日が暮れてたと思う」
ドルガの口元がわずかに動いた。
「そこは変わったな」
初めて、明確に認められた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
鳴鉄鉱の古い採掘面は、坑道の奥で灰青色の筋を見せていた。
ドルガは壁へ耳を寄せ、数か所を槌で叩く。
「あった。ここだ。表面だけ剥がす」
「土魔法で掘ろうか?」
「それだとやりすぎる。鉱脈ごと割る気かよ」
「じゃあ楔?」
「それでもいい。ただ、奥の筋が細いから、繊細な作業が必要だ」
レイルは岩へ手を当てた。
前世で読んだ教科書の知識より先に、昔書きかけた異世界小説の設定が頭へ浮かんだ。
(岩を魔法で吹き飛ばすんじゃなく、割れやすい条件を作る。こういうネタ、前世で何度も考えたな)
火。水。温度差。振動。圧力。
主人公が科学知識で魔法を省エネ化する話を何本も書き始め、そのたびに設定資料だけ増えて本文が止まった。
(完成しなかった設定だけは、山ほどある。自慢じゃないけどな)
「ドルガ。この筋、水入る?」
「入るが、何する気だ」
「魔法で割るんじゃなくて、ちょっとだけ割れやすくしてみる」
レイルはごく少量の【清水】を細い亀裂へ通し、周囲だけを温める。強火ではない。表面の温度差を作る程度。その後、風圧を一点へ当て、ほんの小さな振動を繰り返した。
ピシッ。という細い音がした。
ドルガの目が変わった。
「止めろ」
「失敗?」
「違う。その位置、もう一回見せろ」
レイルが指す。
「熱を入れたのはここ。水は筋の奥。振動は――」
「理屈は後でいい。割れ方を見たい」
ドルガが楔を一本差し込む。
コンッ。
軽く叩いただけで、鉱石が層に沿って綺麗に外れた。
「……これ、鍛造前の素材選別でも使えるぞ」
「そこまで考えてなかった」
「魔法使いは素材を知らなさすぎる」
「鍛冶屋は術式を知らなさすぎる」
「てめぇ、言うようになったな」
「ドルガが教えてくれたから、だな」
言った後、少し気まずくなる。
ドルガは何も返さず、外れた鉱石を光へかざした。
「ふん。悪くねえ」
どちらの意味かは、聞かなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼前、休憩のため坑道外へ出る。
レイルは硬いパンを齧りながら、小さな帳面へ数行書いた。
「お前、また書いてんのか」
「次回作、大陸記第二巻のメモ。書いとかないとあとで忘れるから」
「……そうか」
レイルの筆が止まった。
「今、“また”って言ったよな?」
「言ってねえ」
「もしかして俺の第一巻、読んだの?」
「売れてるから知ってるだけだ」
「内容まで?」
「ああもう、うるせえな!」
ドルガがパンを強く噛んだ。
レイルは追及しなかった。ただ、少しだけ笑った。
「何だよ?」
「別に――」
「そのにやついた顔やめろ!むかつくわ」
それ以上は言わず、昼休憩を終えて二人はまた坑道へ戻った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その頃、村ではリィナが腕を組んでいた。
「二人だけで洞窟って、ずるくない?」
ノアが眼鏡を上げる。
「男性二人で長時間の地下探索ですか、あぁ」
「なんでその言い方、変な意味に聞こえるの?」
フィアが即座に指摘した。
「ノア。不要な含意を確認」
「学術的観察です」
アルドが首を傾げる。
「一体何の話だ?」
ノアは真顔で答えた。
「アルドにはまだ早い話です」
「俺も16歳だぞ、早いことはなかろう」
「年齢ではありません」
フィアが頷く。
「精神的分類では妥当」
「二人とも何を分類してるんだ」
リィナは笑いかけ、それからふと視線を街道の方へ向けた。
「……でも、ちゃんと二人で帰ってきてほしい」
その言葉に、アルドが自然に答える。
「帰ってくるだろ。帰るために依頼登録したんだから」
ノアとフィアが同時にアルドを見る。
「何だ?」
「いえ」
「記録なし」
今度はアルドだけが取り残された。